新天地への誘い3
着替えを終えてリーリエの部屋を出ると、ローランド様とフリップ様が居間のソファに向かい合って座っていた。
「フィーア! よかったよ。居間に姿がなかったから、まさかひとりでここを出ていってしまったのではないかと心配した」
私の姿を見るや、ローランド様はソファから立ち上がり、大股で歩み寄ってくる。
「そんな。さすがにご挨拶もしないまま、そんな不義理なことはしません。ですが、気を揉ませてしまったようですみませんでした」
「いや、俺の杞憂でよかった。リーリエにドレスを借りたのか? よく似合っている」
「ありがとうございます」
「……おい、フィーア」
ローランド様と話していたら、リーリエの低い声が耳を打つ。
「は、はい」
リーリエはツンとして私とローランド様の横を通り過ぎると、フリップ様の向かいにドカッと腰を下ろした。
「気が利かないな。温かい飲み物でも淹れてくれよ」
リーリエが不機嫌も露わに言い放つ。
「かしこまりました」
私はすぐに壁際のティーテーブルに向かい、お茶の用意を始める。
横柄な態度のリーリエに、フリップ様が眉を寄せた。
「なんだよ、フリップ? あたしになにか文句でもあるのかよ」
「いいや」
フリップ様は諦めたように、ヒョイと肩を竦めて見せた。
ローランド様も顔を顰めていたが特に言及はせず、仏頂面のリーリエに話しかける。
「おはよう、リーリエ。もしかすると、もうフィーアから聞いたかもしれないが、彼女は孤児院に居続けるのが難しい状況になった。それでいったんここに身を寄せてもらったんだ。今後は──」
「なぁローランド、これからフィーアにはあたしの侍女をやってもらうことになったから」
ローランド様の話を途中で遮って、リーリエが告げる。
「なんだと!?」
「ははっ。なにをそんなに驚くんだよ。フィーアは行く場所がないんだ。あたしが王都に連れて行って、侍女として使ってやるなんて、フィーアにとってこれ以上ない話だろう?」
「だが、君たちは同じ孤児院で過ごした友人同士だったはず。いきなり主従の関係になることに、抵抗はないのか?」
「抵抗? そんなものはないさ。あたしは気心が知れたフィーアが付き従ってくれるのが嬉しいよ。フィーアもあたしの下でなら安心して過ごせるって、快く受けてくれたんだ。なぁ、フィーア?」
話を振られた私は、お茶を注いでいた手を止めた。
「はい、リーリエお嬢様のおっしゃる通りです」
「ほらな! だからさ、今後はこうやってお茶を淹れたり、あたしの身の回りの細々とした世話はフィーアの仕事なんだ。もちろん、両親にはあたしからちゃんと話しをして給金だって払う。これは双方納得ずくのことだから、ヘンな気回しはやめてくれよな」
「……そうか。ふたりがそれでいいのなら、俺がとやかく口を出すことではないが」
ローランド様が私にどことなく物言いたげな目を向ける。私はそれに微笑んで応え、温かな湯気を立てる三人分のお茶をトレーにのせるとソファへと向かう。
「お茶が入りました。ローランド様とフリップ様の分もこちらに置かせていただきますので、よかったら温かいうちにどうぞ」
「ああ。もらおう」
私がソファの前のローテーブルにお茶を並べていたら、その様子を見ていたフリップ様が怪訝そうに首を傾げた。
「ん? フィーア嬢、君の分はないのか?」
「はい。私はリーリエお嬢様の侍女ですので」
「そういうこと! 侍女ってのはさ、主人との飲食はしないのが基本だろう? あたしだってそのくらいは知ってる」
私の答えにリーリエが被せるように告げ、ティーカップを掴んで勢いよくフーフーと息を吹きかける。フリップ様、そしてその隣に腰掛けたローランド様が、揃って目を剥いていた。
リーリエはそんなふたりの様子を特に気にするふうもなく、ゴクリと喉を鳴らす。
「へぇー! 高いお茶ってのはさ、こんなに美味いんだなぁ!」
いつリーリエから声が掛かってもいいように壁際に控えながら、私は満足そうに喉を鳴らす彼女の姿を眺めていた。
「そういえば、フリップ。未明にロビーが騒々しかったようだがなにか聞いているか」
ひと息ついたタイミングで、ローランド様がこんなふうに切り出した。なぜかピクンとリーリエの肩が跳ねたように見えた。
「ああ。昨日、宵の口に裏路地の娼館で火事があったらしくてな」
「宵の口? 俺たちがフィーアを見つけた頃か?」
「ああ、同じ頃だろうな。それが出火元の娼館のみならず近隣の建物にまで火が回る大惨事になったらしくてな。未明になってこの宿も、一時退避場所として客室の一部を当局に提供してる。そのせいで出入りが多くなって、騒々しかったようだ」
フリップ様はさらに言葉を続ける。
「ちなみに、その火事で娼館主の女を始め、従業員や客のほとんどが亡くなったそうだ。今は唯一の生き残りから、当時の状況を聞き取りしてるらしい。とはいえ相当動揺してるだろうし、さて、どの程度証言が取れるかね」
……この近くでそんな凄惨な火災があったのね。
私はそっと目を瞑り、犠牲になった方々の冥福を祈った。
「そうか、それでか。それにしても、ずいぶんと詳しいな」
「たまたまロビーに下りた時、まさに避難者が誘導されて来るところでな。気になって、ここの従業者に子細を聞いたんだ」
「ほう」
「異常なほど火の回りが早かったらしい。原因の究明はこれからだが、放火かもしれんともっぱらの噂だな」
ローランド様とフリップ様が会話する向かい。リーリエは我関せずといった様子で、ティーカップを手で遊ばせていた。
「放火犯が野放しとなると、うかうか眠るもできないぜ」
フリップ様がわざと身震いする真似をすると、ローランド様が考え込むように顎に手を当てながら口を開く。
「はたしてそうだろうか。俺には犯人が明確な意図をもって、娼館を狙い撃ちで焼き払ったように見えるがな」
「おいおい、ローランド。そりゃまた物騒な見解だな。まぁ、それなら他所に被害が出ないという一点においては安心だが」
「なんにせよ、今は当局の調査を待つしかない」
「違いない」
火事の話題がひと段落したところで、ずっと黙していたリーリエが声をあげる。
「なぁ、ところでさ」
「うん? どうした」
「ローランたちが、フィーアが危ないところを助けたってのはさっき聞いたけどさ。そもそも、どうしてローランドたちはそんなところに居合わせたんだよ。あたし、どこの孤児院の出だとかそういうのは一切伝えなかったよな……もしかして、あたしの身辺を勝手に嗅ぎまわってたのか? それで、あたしがいた孤児院を探し当てて、訪ねて行ったってこと?」
挑発するようにリーリエが問う。
「リーリエ嬢、それは誤解だ。俺が所用で出向いた先で、フィーア嬢が馬車と接触しかけた一件に居合わせた商店主と、たまたま世間話をする機会があった。その店主がフィーア嬢の身の上も知っていたようでな。二時間もかかる街外れの孤児院まで帰るのだと同情交じりでこぼすのを聞いた。憔悴した彼女の様子もあって気になってな、ローランドとも相談して見に行くに至ったんだ」
答えたのはフリップ様で、隣でローランド様が同意するようにひとつ頷いてから口を開いた。
「まぁ、フィーアが入所する孤児院となれば、当然君も入所していたことになる。ついでに職員たちに、多少の確認をしようと思っていたのは事実だ。もっとも、フィーアの予想外の状況でそれどころではなかったがな」
「……孤児院にはまた行くのか?」
「俺が直接足を運ぶことはないが、杜撰な運営状況を知ってしまったからには調べないわけにはいかない。後で監査人をやることになる」
憮然と尋ねたリーリエに、ローランド様が淡々と答えた。
「ふーん」
それっきり、リーリエは何事か考え込むように黙り込んでしまった。
「孤児院に人をやるのに、なにか問題があるか?」
「いや、別に! それよりさ、午後の出港までにフィーアの身の回りの物を揃えなきゃならないだろ? 今はあたしの服を貸してるからいいけど、旅の間ずっとって訳にはいかないもんな」
え。私の物を揃える?
急に話が自分のことに及び、ピクンと肩が揺れる。
「ああ。店の開店に合わせて買いに行こう」
「それさ、あたしとフィーアがふたりで行ってくるよ!」
「なに、ふたりで?」
「昨日もそうだったんだけど、買い物中の店内で男の人に待たれるのはどうにも落ち着かなくてさ。ふたりの方が、気兼ねなくゆっくり選べるから。フィーアだって下着を選んでる側でローランドたちに待たれたくはないだろう。なぁフィーア?」
ずいぶんと明け透けな物言いではあるが、たしかにそんな状況は恥ずかしい。水を向けられた私は、戸惑いつつ小さく頷いた。
「おいリーリエ、誤解を招くような言い方をしないでくれ。俺は、婦人がそのような買い物をしている時に側に張り付くような無粋はしない。君の買い物中も、別室で待っていただろう」
ローランド様が苦み走った表情で告げる。
「はははっ、今のは言葉の綾だよ。たださ、女ふたりの方が気兼ねなくゆっくり選べるってのは本当だよ。それにこの辺りのことなら、ローランドよりあたしたちの方がよっぽど詳しい。危ないこともないさ」
私はハラハラしながらリーリエとローランド様のやり取りを見つめる。
「いいだろう。そんなに言うなら、君たちふたりで行ってくるといい」
「任せてよ! なぁローランド、お金は? フィーアは財布がないし、あたしが預かっとくよ。旅に必要な物を揃えるのに足りる分、頼むよ」
ローランド様は懐から長財布を出し、紙幣を掴んでリーリエに差し出す。
「これだけあれば足りるだろう」
「うん、ありがとう!」
リーリエは一瞬キラリと目を輝かせ、満面の笑みで紙幣を受け取って自分の財布にしまい込んだ。
私の場所から紙幣の枚数までは見えなかったけれど、リーリエの反応を見るにローランド様はかなり多い金額を出してくれたのかもしれない。
「ローランド様、申し訳ありません」
慌てて頭を下げる私に、ローランド様はやわらかに微笑んだ。
「なに、当然のことだ。不足のないように買い揃えてくるといい」
「本当になにからなにまで、ありがとうございます」
「ああ。さて、少し早いが朝食にするか」
今後についての話はこれで終わり、皆で朝食を取りにいくことになった。
朝食の後はリーリエの旅の荷物を整え、店の開店に合わせて連れ立って宿を出た。ところが『女ふたりの方が気兼ねなくゆっくり選べる』と言っていたはずのリーリエは、なぜか私の買い物には付き添わなかった。
私を低価格帯の衣装雑貨店まで連れてくると、彼女は慌ただしくひとり街へと消えていく。怪訝に思いつつ、主従の立場となった今、その行動に疑義を唱えることはできなかった。同様にリーリエから渡された、肌着や服をそれぞれ二枚ずつ買うのがやっとの金額にも、言及することはできない。
私はひとりで店に入り、金額内で収まるよう頭を悩ませながら最低限の旅装を選んだ。
そうして午後、私はローランド様たちと共に河港から目も眩むような豪華な客船に乗り込んで、王都へと旅立った。




