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新天地への誘い1




 ゆっくりと意識が浮上してきて、まず感じたのは肌に触れたシーツの滑らかさ。これまで触れたことがない、やわらかな感触だった。


 ……なんてやわらかいシーツかしら。


 孤児院の備品でないことは瞭然だったけれど、ならばここはいったいどこなのだろう?

 突いた手を支えにし、そっと上半身を起こす。


「目覚めたのか」


 すぐ近くで安堵の滲んだ声があがり、鮮やかな金髪とグリーンの瞳が私の視界に飛び込んでくる。心配そうに私を覗き込むその人は──。


「天使様……!」


 心の声をそのまま漏らしたら、天使様は痛ましそうに髪と同色の眉を下げた。


「……可哀想に。まだ混乱しているんだな」

「え?」


 耳に届く明瞭な声は、とても幻影とは思えぬもの。なにかがおかしいと感じだす。


「フィーア、俺はローランド。リーリエの連れで、君とは昨日の昼に一度街で会っているんだが覚えていないかな?」


 ゆっくりと告げられた次の瞬間、靄がかかったようにぼんやりしていた思考が覚醒し、ここに至る経緯も一気に思い出す。

 私は青くなって、慌ててガバッと頭を下げた。


「す、すみません! もちろん、昼間お会いしたことも、農具小屋で助けていただいたことも覚えています。助けていただいて、ありがとうございました!」

「そんなふうに急に頭を振り動かしてはいけない。だが、思い出したならよかった」


 ローランド様は座っていた椅子から立ち上がり、ベッドヘッドの前に枕を積み上げた。そうしてそっと私の肩に手を添えて、高さを出したそこに凭れかかるように促す。


 私はここで初めて、自分がとても上質なネグリジェを着ていることに気づき、ピクリと肩を跳ねさせる。肌もサラリとしており、土埃の汚れが綺麗になっていた。


 ……これって?


「宿付きのメイドに頼み、着替えと簡単な清拭をさせた。意識のない間に勝手をしてすまなかったね」

 ローランド様は私が問うよりも先に、安心させるように告げる。ベッドの足元に向かい、フットベンチからガウンを取り上げて私の肩にかけてくれた。

「そんな、とんでもない。助けていただいたばかりか、ずいぶんとご迷惑をおかけしてしまったようで。なんとお礼を申し上げたらいいか……」


 あんなことがあったばかりだからだろう。彼が私に対し、ずいぶんと配慮してくれているのがひしひしと伝わる。

 勝手どころか、彼が着替えさせてくれなかったら、私はビリビリに破れた服で肌を露出したままいるところだったのだ。感謝こそすれ、謝ってもらうことなど、これっぽちもない。


「やめてくれ。すべて俺がしたくてやったことだ。迷惑だなんて思っていない」


 ローランド様は柔和に微笑み、再びベッドの横の椅子に腰を下ろした。


「体調の方はどうだ。目眩がしたり、痛みがあったりはしないかい?」

「それは大丈夫ですが……」


 答えながら、ふと窓の外に広がる空が僅かに白み始めているのに気づく。


「あの、ローランド様! 今は何時ですか? それと、ここはどこでしょう?」


 ゴクリとひとつ喉を鳴らし、勢い込んで尋ねた。


 あの後サンクがどうなったのかは分からないが、院長は不祥事を嫌う。だから、きっとあの件も表沙汰にはせず、内々に処理されるだろう。いずれにせよ、私はこれまで通り与えられた仕事を熟しながら、あの場所でやっていくしかないのだ。

 昨夜は夕食の支度に間に合わず、院長の逆鱗に触れた。朝食で同じ轍を踏むわけにはいかなかった。


「今は……あぁ、もうじき五時になる。ここは俺が泊っている宿だ。場所は大通り沿い。昨日の昼間に君と会ったところのすぐ近くだ」


 ……なんてこと。


 私は毎朝、五時半には厨房に立って調理を始めている。ここからの移動を考えると絶望的な思いになった。


「すみませんが私、そろそろ戻らないと。朝食の支度に間に合わなくなってしまうので」

「まさか君はあんなことがあったのに、あそこに戻るつもりでいるのか?」


 慌ててベッドから降りようとする私に、ローランド様は目を瞠った。


「私にはあそこしか行く場所がありません。それに、もうゴールは見えていますから」

「ゴール?」


 望んで帰りたいわけではないが、私には他に行く当てがない。私はローランド様を見上げて、さらに続けた。


「半年後に成人するんです。そうしたら仕事を斡旋してもらって、あそこを出られます。あと、少しと思えばどうとでも頑張れます」


 ローランド様に告げた言葉は、本当は自分自身にこそ言い聞かせたかったのかもしれない。


「聞いてくれ、フィーア。君はもうあそこに帰る必要はないんだ」

「え?」

「昨夜のうちに院長に話はつけてある。君があそこを出ることは、既に決定事項だ」


 咄嗟のことに理解が追いつかず、パチパチと目を瞬く。


「君に相談なく決めてしまい、すまない。だが、あんなことがあった場所に、君を引き続き置いておくなど容認できなかった。今後については、もちろん君を新たな養育施設に移すこともできるが……」


 ここでローランド様はいったん言葉を区切り、真っ直ぐに私を見つめ、ゆっくりと唇を開く。


「君さえよければ、俺と一緒に王都に行かないか?」

「私が、ローランド様たちと一緒に……?」

「ああ。俺はぜひ、共に来てほしいと思っている」


 トクンと鼓動が跳ね、心が期待に震える。


 考えるまでもない。ローランド様と一緒に行きたい……!

 けれど、私がここで頷いてしまっていいのか。シスの……いや、リーリエの姿が脳裏を過ぎった。彼女はきっと、私が共に行くことに、いい顔をしないだろうと思った。


 そういえばリーリエは、ローランド様が『ずっと捜してくれていた』と言っていた。もしかすると、ローランド様に見つけ出された彼女もここに滞在しているのかもしれない。私がここにいると知れば、それも彼女の心を煩わせてしまうだろう。


 ……やはり、断ろう。別の施設を紹介してもらって、そちらに身を寄せよう。そして、早めにここをお暇した方がいい。


 私が口を開こうとしたその時。


 ──コンコン。


 部屋の扉が叩かれた。


「ローランド、早くにすまん。急ぎの報告がある」

「入ってくれ」


 ローランド様の声を受け、素早く部屋に入ってきたのは、昨日の昼リーリエやローランド様と一緒にいた灰色の短髪の男性だった。


「おっと! これは、フィーア嬢。目が覚めていたんだな」


 ベッドに身を起こしていた私と目が合うや、男性は人好きのする笑顔を向ける。


「はい。昨日は助けていただいて、ありがとうございました」

「なに、当然のことをしたまでだ。俺はフリップ。まぁ、ローランドの従者のようなものだな。レディの寝起きに押し入った無礼を許してくれ」


 フリップ様は気さくな性質のようだ。そしてローランド様とタイプは違うが、彼もまた細やかな気遣いのできる男性だと感じた。


「無礼だなんてとんでもない。私こそ、こうして部屋を占拠してしまって、なんだかすみません」

「そんなのは気にしないでいい。君がゆっくり休めたならよかった」


 ローランド様がスッと椅子から立ち上がり、フリップ様へと歩み寄る。


「それでフリップ、報告とはなんだ」

「ああ、実は想定外の事態になった」


 ローランド様の問いかけに、フリップ様は笑顔から一転、スッと表情を引き締めた。ふたりはあえて場所を移ろうとはしないけれど、きっと深刻な話に違いない。


 私はなんとなくこのまま聞いているのが忍びなく思え、スルリとベッドから飛び出した。


「……あの」


 私の声に、ふたりが揃って振り返った。


「すみませんが私、お水をいただいてまいりますね」

「気が回らなくてすまなかった。隣の居間の方にティーセットの用意がある。あと、あちらの扉が洗面に繋がっている。ここの備品はどれでも自由に使ってくれて構わない」

「ありがとうございます」


 ローランド様に親切に教えてもらい、私はお礼を告げて足早に居間に続く扉に向かう。そうして居間に入って扉を閉める直前、フリップ様の声が微かに耳に届く。


 え? 今、一瞬だったけれど『リーリエ』と聞こえたような……。


 もしかしてフリップ様の急ぎの報告とは、リーリエに関係することなのだろうか。彼女になにかあったのかしら?


 気になりつつ、それ以上のことは考えたところでなにも分からない。

 私は広い居間の壁際に設えられたティーテーブルに向かい、ウォーターピッチャーの水をグラスに注ぐ。微かにレモンの風味がする水が、渇いた喉に染みた。


 喉が潤うとグラスを置き、十人は座れるソファセットに向かう。ひとり掛けのソファにそっと腰を下ろすと、座面の包み込むようなやわらかさにホゥッと感嘆の息が漏れた。

 この居間にしても、先ほどの寝室にしても、見上げるほど天井が高くてとても広々している。白を基調とした品のいい調度で統一され、ティーセットや花瓶、ランプといった備品もひと目で一級品と知れる。


 ……なんて贅沢なのかしら。


 ここは上層階になるのだろう。天地に伸びた大きなガラス窓の向こうには、一面朝焼けの空が広がっていた。


 窓の外の景色を眺めていたら、後ろで物音がした。






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