ーー人生ーー
ーーそれからの青年の人生は、誰が見ても「普通」と呼べる幸せな人生だった。
数年後、彼は結婚し、小さな家庭を築いた。
仕事は順調で、大きな成功を掴んだわけではないが、堅実に努力を積み重ねていった。
やがて手に入れた小さな新築の家には、冬の朝に湯気を上げる味噌汁の香りと、子どもの笑い声が満ちていた。
あの正月を境に、彼はきっぱりとパチンコをやめた。
代わりに始めた自転車の趣味は、気づけば人生の支えになっていた。
休日の朝、まだ街が眠る時間にペダルを踏むたび、冬の空気の冷たさが頬を刺す。
それはあの雪山の朝の感覚とどこか似ていて、青年の胸にかすかな懐かしさを呼び起こすのだった。
仕事に追われ、家族を想い、歳を重ねる日々。
大きな幸運もなければ、大きな不幸もない。
けれど、その穏やかな繰り返しの中に、確かな充実があった。
それは彼があの冬の日に見つけた「生きる」という行為そのものの尊さだったのかもしれない。
昔よりも飲みに出かける回数は減ったが、変わらぬ仲間たちとの集まりは今でも楽しみだった。
互いの容姿の変化を笑い合い、血圧の話で盛り上がり、誰かが冗談めかしてこう言う。
「なぁ、あの恐竜の話、まだ信じてんのか?」
青年は苦笑いを浮かべてグラスを傾ける。
「信じてるも何も、最初から俺が作り話したんじゃなかったっけ?」
そう言って、いつものように場を和ませる。
そのやりとりは、原人に出会う前からずっと続く“お約束の小芝居”になっていた。
誰もそれを深く追及することはない。
あの日の出来事――
そして、実家の庭の奥に静かに眠るあのタイムカプセルのことを、青年は一度も誰かに話すことはなかった。
それは自分だけが知る、世界の秘密。
時の流れとともに、あの冬の記憶は雪解け水のように薄れ、やがて夢の断片のようになっていった。
けれど、心の奥のどこかで確かに、あの声は生き続けていた。
そして、長い年月を経て、青年は老いを迎える。
静かな晩年を過ごしながら、人生を振り返る夜、ふと窓の外を見ると、あの日と同じような青い月が浮かんでいた。
(ああ、あれは間違いなく、本当にあった出来事だったな。)
そう呟くと、彼は静かに微笑んだ。
その表情は、あの冬の朝に見た恐竜原人の優しい瞳とよく似ていた。
やがて、青年はその生涯を全うし、静かに長い旅を終える。
彼の人生は決して特別ではなかったが、確かな意味と温もりに満ちていた。
もちろん――
あのカプセルは、今も地中深く、誰にも掘り起こされることなく眠っている。
その中で、未来へ向けた青年の想いと、原人との記憶は、今も静かに息づいているのだった。




