ーー決意ーー
その決意は、別れの寂しさを包み込むように胸の奥で静かに固まりつつあった。過去の遺物を掘り返した人間がいた。だからこそ、自分も遺す側に立てる。そう思うと、希望にも似た熱が再び灯る。
(タイムカプセルを作ろう。)
ただ埋めるだけの思いつきでは終わらせない。小学生の遊びとは違う、“本気の記録”として未来へ残すものだ。
頭の中で必要な条件が次々と並び始める。
浸水対策。
結露対策。
圧力対策。
錆対策。
列挙すればするほど終わりは見えない。だが、それがむしろ青年の原動力になっていく。未知へ向かう準備という行為そのものが、もう次の物語の始まりだった。
ひと息つき、タッチパネルを手繰り寄せる。まずは腹ごしらえだ。注文画面を眺めながら、手早く提供されそうな料理を選ぶ。
(こういう時は……パスタだな。ミートソースなら絡めるだけで出てくるはず。)
ボタンを押し終えると同時に視線をスマートフォンへ戻す。
画面に映るのはホームセンターの候補と、検索結果に連なるDIY用品の数々。
(タイムカプセルは三重構造くらいにするか。外層は防水、内層は結露対策……問題は「場所」だな。百年先まで掘り起こされない場所……はたしてどこが最適か……)
熱いコーヒーの湯気が揺れ、その向こうで青年の目はすでに未来を見ていた。
青年が思考を巡らせていると、不意に軽やかなメロディが近づいてきた。陽気で、どこか場違いなほど明るい音楽。顔を上げると、配膳ロボットがテーブルへ滑るように近づいてくる。銀色のアームには、湯気を立てるミートソーススパゲッティ。
(……来たか。)
現実へと引き戻されたような感覚を覚えつつ、青年はスッと手を伸ばし、ロボットのトレイから皿をそっと取り上げた。完了ボタンを押すと、ロボットは一礼でもするかのように一瞬静止し、また音楽を流しながらゆっくりと方向転換していく。
その背を目で追いながら、ふと青年は自分の手のひらを見つめた。
(これも “人間の発明”。でも──将来は、今よりずっと高度なロボットが生まれるんだろうな。)
去っていく機械の背中と、自分の掌を交互に見比べる。金属の光沢と、生身の温もり。その対比が妙に鮮やかだった。
(人間は機械を作った。けれど、人間もまた “作られた存在” なんだ。)
彼らの言葉と、彼らの存在。
それが青年の世界観を変えた。
ただのファミレスの一幕が、まるで文明史の縮図のように目の前で重なっていく。誰にとってもありふれた光景なのに、青年だけはそこに “次の未来” の影を見ていた。
近くに大型ホームセンターがあることをスマートフォンで確認すると、青年はフォークでスパゲッティを器用に巻き取りながら、必要となる材料のリストを画面に打ち込んでいった。
(容器、乾燥剤、防湿材、耐圧の外装……。うん、だいたい揃うな。埋める場所はやっぱり実家の庭か。山に埋めたら、最悪発見された時に面倒なことになる。)
自分の未来と、自分より先の未来。
その両方へ向けて責任を持つような、不思議な感覚だった。
最後のひと口分のスパゲッティをスプーンで集め、口に放り込む。トマトの酸味が静かに広がり、温度の残る旨味が腹の底へ落ちていく。
湯気の消えたコーヒーを一気に飲み干し、レシートを手に席を立つ。
トレイをまとめ、卓を軽く拭き、短い食事の時間を終わらせると、青年はそのまま会計へ向かった。
支払いを済ませると、冷えた外気へ足早に戻り、駐車場を横切る。
ドアを開けて運転席に滑り込み、エンジンをかけた瞬間、胸の奥が小さく熱を帯びる。
(よし。形にしよう。)
アクセルを踏み込む。
車はスッと夜の道路へ滑り出し、青年はホームセンターへと向かった。
店の駐車場へと車を滑り込ませると、青年は思わず目を見張った。
建物の外壁に広がる巨大なロゴ。整然と並ぶトラック用の区画。無数の外灯に照らされた広いアスファルト。
(でかい……。まるで倉庫みたいだ。ここなら何でも揃いそうだ。)
車を降りると冷気が頬を刺す。身体を小さくすぼめながら自動ドアをくぐると、乾いた暖房の風と工具の金属的な匂いが迎えた。年末らしい慌ただしさの空気が漂っている。
迷う時間は惜しい。青年は入り口付近のスタッフに歩み寄り、すぐ声をかけた。
「すみません、ステンレスのペール缶はどこですか?」
レジ袋を束ねていた若い店員が顔を上げ、丁寧な口調で応える。
「ステンレスのペール缶でしたら、資材スペース側の3番レーンですね。」
「3番レーンですね。ありがとうございます。」
軽く会釈し、青年は足早に向かう。
だがその途中でも視線は忙しく棚を走り、使えそうな部材があればすぐ立ち止まり、次々とカートへ放り込んでいく。乾燥剤、シーリング材、工具、補強材。カートはあっという間に重量を増していった。
(結露防止、耐圧、浸水対策……考えつく限り全部やる。)
棚の前に立ち尽くしながら、自分の計画の無謀さも理解している。しかしそれでも心は折れない。
――百年。二百年。もしかしたら誰にも見つからず、土に還るかもしれない。
それでもいい。託すのは結果ではなく意志なのだから。
レジで会計を済ませ、青年はカートを押しながら駐車場へ戻った。
自動ドアを抜けた途端、夜の刺すような寒気が容赦なく襲いかかる。息は白く、耳はすぐに感覚を失い始めた。
(これはヤバい冷え込みだな……帰りの峠は絶対アイスバーンだ。)
荷物を積み終えた青年は、空を仰ぐ。日中の陽光が嘘のように、夜空は透き通り、星の瞬きだけが凍てつく景色を照らしていた。
(急いで帰ろう。まだ、やることが山ほどある。)
ドアを閉め、エンジンが低く唸る。
帰り道、青年はハンドルを握る手に力を込めた。
路面は既に凍りはじめており、少し油断すれば簡単に滑ってしまう。慎重すぎるほど慎重にアクセルを踏む。
冬の澄み切った空気は、星の一つ一つをくっきりと浮かび上がらせていた。
信州の夜空。静かな闇に散りばめられた無数の光を、青年はフロントガラス越しに何度も見上げる。
(…綺麗だな。)
だが、高速に乗り、長いトンネルへ入ると光景は一変する。
出口を抜けた先の空は、まるで別世界。どんよりとした雲が空を覆い、いつもの冬の日本海側の表情が待っていた。
行きは心が三人だった。青年と原人たちとで、車内は見えない会話で満ちていた。
だが帰りは違う。頼れるのは愛車のエンジン音だけ。
アクセルに応じて唸るその野太い響きは、いつもと変わらないはずなのに、今日はどこか物悲しい。
(…静かだな。)
疲労も重なり、ふいに眠気が押し寄せる。思考が少しずつ霞み始め、視界がぼやけた。
(このままじゃ危ないな。次のサービスエリアで休もう。)
サービスエリア入り口の看板を確認し、ウインカーを出す。
雪が舞うサービスエリアに車を滑り込ませると、青年はエンジンを切り、深く息を吐いた。
シートを倒し、フードを軽くかぶり、そっと瞼を閉じる。
外はきっと氷点下。しかし車内の静けさは、妙に温かい。
(…おやすみ。)
意識は、雪の夜へとゆっくり沈んでいった。




