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恐竜原人の創造  作者: SHIRATORI TOSHIHIDE


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33/43

ーー皆神山へーー

ーーガシャン。


温かい缶コーヒーを取り出した瞬間、指先に伝わる金属の熱が心地よかった。

両手で包み込むように缶を転がし、そのぬくもりを掌からじわじわと吸い込む。

缶の表面に浮かぶ綿雪が、姿を消すように水滴に変わる。


一歩、外に出た瞬間。

空気が変わった。

それは、肺の奥まで冷気が入り込み、体温を根こそぎ奪うような寒さだった。

見上げれば、街灯の光が雪煙をぼんやりと照らし、まるで時間が止まったような世界。

ここが真冬の山中にあるサービスエリアだということを、改めて思い知らされる。


ほんの数分の休憩のつもりだった。

後部座席に置いたフィルジャケットを羽織るまでもないと、薄着のまま外に出たことを少し後悔する。

それでも、車内のぬるい暖かさに慣れた体には、この冷気がかえって心地よい刺激だった。


ーー(いい冷え込みだ。これで少し目が覚める。)

2時間ほど走り続け、エンジン音と暖房のリズムに体が馴染みすぎていた。

同じ姿勢で固まった腰を軽く伸ばし、肩を回して首筋を鳴らす。

遠くの山影には薄く雪雲がかかり、灰色の空に白い吐息だけが浮かんだ。


ーー(ここを出たらもうすぐ長野に入るな。山を越えたら天気も良くなるだろう。)

思考を声にせず、吐息と一緒に空へ放つ。

雪の粒がその言葉を吸い取るように舞い散っていった。


車に戻ると、フロントガラス越しの景色がまるで別世界に見えた。

ぬるくなり始めたコーヒーをプルタブごと押し上げ、香ばしい香りと共に三分の一ほどを一気に飲み干す。

走行中、跳ねた雪や凍結した路面で手元が狂えばこぼしてしまう。だから、今のうちに。


缶をカップホルダーに戻し、深く息を吐く。

再びシートベルトを締める音が、気持ちすらも締める。

ハンドルを握り、指先で軽く叩いてからアクセルを踏み込んだ。


タイヤが圧雪を踏みしめ、低く唸る。

ヘッドライトの光が、白一面の雪景色へと道を刻んでいく。

青年の旅は、再びその孤独な軌跡を進み始めた。


スキー場を過ぎた辺りから、高速道路を走る車の数が目に見えて減っていった。

雪を巻き上げるトラックもなく、車線を阻む渋滞もない。

青年の車は、ようやく自由を取り戻したようにスムーズに走り出す。


標高が少しずつ下がるにつれ、降りしきっていた雪も次第に細くなっていく。

ワイパーの動きがゆっくりになり、窓の外の白が薄れ、灰色の雲の切れ間に淡い光がのぞいた。

長野方面の空がわずかに明るい。

向こうでは、すでに晴れているのかもしれない。


カップホルダーの中で、飲み終えた缶コーヒーが路面の段差に合わせて小さく揺れた。

「カタン、カタン」と軽やかなリズムを立てる音が、車内にやけに陽気に響く。


ーー(それにしても、宝の在処が松代でよかった。)

ーー(48時間以内に探すんだから、もっと遠かったらきついよな。四国とかだったら、もう飛行機だったよ。)


青年がそう思った瞬間、脳内に原人の声が静かに響く。


(そうですね……と言いたいところですが、実のところ、場所も時間も決まっていました。)

声は優しく、どこか金属的な響きを帯びている。

(それを誰が取りに行くか。我々で動くことも可能でしたが……あなたと出会ったことを思い出し、もう少し“人の反応”を研究させてもらおう、という話になったのです。)

(急な依頼で申し訳ありません。)


青年はハンドルを握りながら、思わず笑みをこぼす。


ーー「大丈夫ですよ。ちゃんと仕事納めまで待ってくれましたし。」

ーー「恥ずかしながら、これといって予定もありませんでしたから。」


声には出さずに答えると、原人は(それはよかった)と穏やかに返す。


正月に実家へ帰れば、親戚一同から「結婚はまだか」と矢のような言葉が飛んでくる。

特に話すこともなく、笑ってごまかすうちに酒がまわり、気づけばひとり炬燵の隅で寝ているのが毎年のパターンだった。

そうした自分の姿を思い出し、青年は少しだけ苦笑した。


ーー(まあ、そんな情けない一人暮らしの男に見えているんだろうな。)

ーー(でも――原人さんが選んだのが、俺でよかった。)


窓の外に目をやる。

雪はすでに止み、霧が覚め、遠くの山肌は輪郭をたしかにし始めている。

光の筋が一本、雲を裂いて降り注いでいる。

その光を目にして、青年はほんの少しだけ、胸の奥が温かくなるのを感じた。


ーー(このトンネルを抜けると天気が一変するはず。)



 冬の日本海側――これが“デフォルト”と言わんばかりに、灰色の雲が空を一面に覆っていた。

太陽の光は厚い雲の層に遮られ、地上へ届くころには力を失っている。

その灰色の群れは、北アルプスの稜線に阻まれて滞留し、山の向こう側に抜けることができない。


だが、その先には――。

雲を越えた平野では、まるで別世界のように澄み渡る青空が広がっている。

光と影を分ける見えない境界線。

冬の日本列島における、天気の“分水嶺”だ。


青空の下に立つだけで心が軽くなるのは、冬の長い曇天に慣れた日本海側の人々にとって、ほんのわずかな青が奇跡のように思えるからだろう。


そんな灰色の世界からやってきた青年は、最後のトンネルの入り口に差しかかる。

そこを抜ければ、もう信州の空だ。


エンジン音が壁に反響し、車内にこもる。

ヘッドライトの光がトンネル内の壁を照らし、一定のリズムで照明が流れていく。

青年はハンドルを握りながら、出口の光が見える瞬間を待ちわびていた。


ーー(このカーブの先だ。)


緩やかな右カーブを抜けたその先、トンネルの出口が視界に飛び込む。

遠くから差し込む光はみるみる強さを増し、車内を白く染めていく。

まるで夜明けを迎えるように。


トンネルを抜けた瞬間、世界が一変した。

眩しさに思わず目を細め、青年はサングラスをかけ直す。


眼前には、雪の絨毯の上で陽光が乱反射し、あらゆる場所がきらめいていた。

白が光を放ち、青が深く、空のすべてが透明だった。


冷たい空気がフロントガラス越しに透けてくるような感覚。

青年は無意識に息を吐き、思わず笑みを漏らす。


ーー(やっぱり、天気はこうじゃなきゃな。)


それは、日本海側で冬を過ごす者なら誰もが心の奥に抱く、素朴で切実な感想だった。

灰色の季節を抜け、ようやく出会えた青の広がりに、彼の胸の中まで光が差し込むようだった。


ーー(ここまで来たら、あと少しだ。)


休憩の予定はもうない。

エンジン音とロードノイズの単調なリズムが眠気を誘う代わりに、青年はスマートフォンを操作してBluetoothをつなぐ。

お気に入りのシティーポップに続いて、HIPHOPのクラシックがスピーカーから流れ出す。

ベースの低音が車内を包み込み、スネアの乾いた音が雪の残る山肌に反射するようだった。


青空とマッチするスムースファンクのリズムに、指先が自然と反応する。

ハンドルを軽く叩けば、タムのような音が心地よく跳ね返ってくる。

そのリズムが、長い道のりで少し冷めかけた集中力を再び温めてくれる。


ーー(何が待っているかなんて、もう考えない。)

目的地にたどり着いた先に、期待か、驚きか、それとも何もないのか――そんなことはどうでもよかった。

今はただ、この瞬間を全力で楽しむ。

青年はそう決めて、少しアクセルを踏み込んだ。


風景は少しずつ変わっていく。

遠くに見える山肌の雪が薄くなり、木々の影が濃くなっていく。

そのたびに、旅の終わりが確実に近づいていることを肌で感じた。

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