ーー太古の覇者ーー
(氷河期の訪れにより、地球の表面温度は著しく低下しました。
すべての生物が絶滅したと言われていますが、我々はその少し前――地表の変化を感知していました。)
(当時の我々はすでに一定の進化を遂げ、判断と行動を同時にできる知能を得ていたのです。)
ーー「それで、地下へと潜った……?」
青年の問いに、原人の声はわずかに間を置いてから答えた。
(はい。氷河期が訪れる前に、我々は地殻の内部に移住しました。
ただし、そこはあなた方の想像する“地下世界”のような静かな場所ではありません。
マグマが流れ、岩盤がうねり、光のない世界――その中を、我々は形を変えながら降りていきました。)
エンジン音が一定のリズムで続く。
青年は無意識にハンドルの上で指をとんとんと叩いていた。
原人の語るその世界は、科学の言葉では測りきれない“地球の記憶”のように思えた。
ーー「つまり、その頃地上に残ったのは?」
(進化に繋がらなかった草食恐竜や、小型の肉食恐竜たちです。)
(彼らは環境の変化に適応できず、体の大きさゆえに地中へ逃れる知恵もなかった。
結果として絶滅の道を辿りました。)
原人の声は、淡々としているのに、どこか哀しみを帯びていた。
(今の我々のようになる――そのさらに前の話です。
人間で言えば、類人猿の段階に近い進化系でしょうか。)
「ですが、どうやって地下に?」
青年は思わず口にする。
ハッとしてもう一度頭の中で問い直す。
ーー「ですが、どうやって地下に?」
地球内部には数千度の熱がある。そこに“潜る”というのは、
生物の常識として考えれば不可能だ。
(溶岩が溶け出す地球の中ですから、もちろん簡単ではありません。
我々も生身のままではなく、変化を伴いました。
氷河期に入る少し前に極冷期がありました。その極冷期にはマグマの活動が一時的に落ち着いた時期がありました。
その“静寂”の隙を縫って、我々は地表の下へ降りたのです。)
ーー「まるで地球そのものが、あなたたちを招き入れたみたいですね。」
青年が問いかけると、原人は少し柔らかい声で返した。
(……あなたの表現は正しいかもしれません。
我々は地球に抗ったのではなく、地球の意思の一部として潜ったのです。)
青年は息を呑む。
フロントガラスの向こうで、雪の粒が舞い、陽光に反射して瞬いている。
地上を走る自分と、地底を語る原人。
その二つの存在が、同じ星の上に確かに共存している――そう感じられた瞬間だった。
(そして今の我々の食事ですが――)
頭の奥に、静かに沈み込むような声が響いた。
抑揚の少ない、しかし妙に温度を帯びた音の波。
それが脳のどこか、言葉を解釈するよりも前の領域を直接撫でていく。
(地殻の中には生物はもちろん、水も存在しません。)
青年は無意識にハンドルを握る手に力をこめた。
ーー「……では、何を糧に生きているんですか?」
(驚くかもしれませんが、我々は鉱物から栄養素だけを取り出し、エネルギー源としています。)
その答えを聞いた瞬間、思考が数秒ほど止まった。
ーー「鉱物……を、食べる?」
彼の想像の中で、あの巨大な肉体が硬質な岩を砕き、粉塵を吸い込む姿が浮かんだが、
すぐに違うと悟った。原人の声は、そんな物理的な動作を超えた“構造的な理解”を帯びていた。
(あなたの想像は正しい部分もありますが、我々の方法は“摂取”ではなく“同化”に近いものです。)
(地殻内に潜らなければ生き延びられないという現実に直面したとき、
我々は問われたのです――『この環境の中で、いかに生命を続けるか』を。)
青年の脳裏に、音でも映像でもない“光の記憶”のようなものが流れ込んだ。
それは氷河期の前、冷えゆく地球の内部で、
無数の生命が形を変えながら鉱物層へと沈んでいく断片だった。
(極限に置かれたとき、我々は知能だけでなく、肉体そのものを再構築しました。)
(そして、その答えは意外なほど単純でした。地殻の奥深く――マグマの下層には、
計り知れないほどのエネルギーを秘めた鉱物が無数に存在していたのです。)
ーー「……鉱物が、生命を支える?」
(ええ。あなた方が“原子力”と呼ぶものも、その一端に過ぎません。
人間は鉱物の力を外へ引き出しましたが、我々はその逆を選びました。
力を外へではなく、内へ取り込む――構造ごと、自身の一部として。)
青年は言葉を失った。
理解というよりも、感覚の方が先に満たされていく。
理屈ではなく、“そうなっている”という納得。
(我々は地殻の中で、数え切れない種類の鉱石を解析し、
最も安定して生命活動を維持できる素材を選び取りました。
それが我々にとっての“食”です。あなた方の言葉で言えば、
『元素を味わう』とでも言えるでしょうか。)
わずかな沈黙のあと、思考の中に穏やかな振動が広がった。
(我々の進化の速度が飛躍的に向上したのも、このエネルギーを取り入れるようになってからです。
鉱物は地球そのものの記憶。
その結晶を通じ、我々は地球の鼓動を共有するようになりました。)
青年は、胸の奥がざらつくような感覚に包まれた。
その“声”が消えたあともしばらく、頭の中に残響のような震えが残る。
――地球の本気は、やはり地下にある。
人間がまだ触れていない層で、生命は別の形を見つけていた。
そう思うと、自分という存在が途方もなく小さく思えた。
ーー「でも、地下で生きるための適応進化を遂げたんですよね?」
ーー「なぜまた地表を目指すんですか? 地表には、あなたたちが求めるような鉱物は無いはずです。」
ーー「それとも……また前の姿に戻るということですか?」
問いを投げた瞬間、胸の奥がきゅっと締まった。
それは恐怖ではなく、憧れが壊れることへの抵抗。
自分の理想の中にある「地底の賢者」でいてほしい――そんな幼い願いが、
無意識のうちに声の熱を強くしていた。
短い間の“無音”。
それでも、頭の中では低く穏やかな波が広がっていた。
原人が考えているのではない。“感情”を整えているのだと直感でわかる。
(――単純な話になります。)
いつものように抑揚の少ない、しかし奥行きのある声が静かに続く。
(人間の大きさに対しての地表の面積と、我々の大きさでの地殻内。
その比率を比べれば、どちらが長く繁栄できるかは明白でしょう。)
頭の奥で、地球の断面図が淡く浮かぶ。
人間が暮らす薄い表皮の層。その下にある、わずかな空洞。
その空間の中で、あの巨体が群れをなし、文明を築こうとしている姿が見えた。
あまりに狭すぎる。
(我々は、地下への適応進化によって“生きる技術”を得ました。
鉱物からのエネルギー抽出、耐熱構造、再生循環――
その全てが、極限の環境に合わせた進化です。)
(しかし、その進化は“終着”ではありません。)
ーー「終着じゃない……?」
(地殻の中で手に入れたものは、あくまで“方法”です。
目的はあくまで――生命の拡張。
地表は広大で、豊かで、可能性に満ちています。
鉱物資源に関しても、あなた方がまだ辿り着いていないだけで、
その地には我々が求めるエネルギーを秘めた鉱物が、確かに存在します。)
原人の言葉が深く沈みこみ、青年の思考の層をゆっくり押し広げる。
“まだ辿り着いていない”――その一言が、人間の未熟さを静かに突きつけた。
(ですから、我々は退化という道を選びません。)
(これは“帰還”です。再び、大地の上に立つための。)
ーー「帰還……。」
(そう。戻るのです。かつて我々が歩んでいた場所へ。)
その最後の言葉に、思考の波が一瞬だけ高鳴り、そして穏やかに静まった。
その“戻る”という響きには、支配でも征服でもない、
ただひたすらに“地球の子としての誇り”が宿っていた。
――太古の覇者が帰ってくる。
その言葉が、妙に現実味を帯びて胸の奥で響いた。




