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恐竜原人の創造  作者: SHIRATORI TOSHIHIDE


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ーー生活と予兆の狭間2ーー

牛丼をかき込む動作は、腹を満たすためだけの単調な作業に過ぎなかった。

噛んでも噛まなくても同じように飲み込める柔らかな米と肉。

それは空虚な今の自分を映すかのようで、口に運ぶたび、虚しさが増していくように感じられた。


「……俺、何やってんだか」


誰に向けたわけでもない呟きは、換気扇の音にすぐ掻き消された。

周囲の客もまた、うつむいたまま丼と向き合っている。

そこには感情の色もなく、ただ「空腹を埋める」という同じ目的だけが支配していた。

まるで工場のベルトコンベアに並んだ人形のように。


ふと視線を落とした丼の白い縁が、なぜだか波打ち際の白い飛沫に重なった。

そこから記憶がするりとほどけ、懐かしい匂いと共に、少年の日々が蘇る。


彼が育ったのは、潮風の吹き抜ける海沿いの町だった。

夏になれば、学校が終わるや否や友人たちと海へ飛び込み、日が暮れるまで泳ぎ回った。

砂浜には無数の足跡と笑い声が刻まれ、肌はいつも真っ黒に焼けていた。

宿題を放り出して魚を追いかけ、時には先生にこっぴどく叱られることもあったが、それもまた鮮やかな思い出のひとつだ。


ただ遊ぶだけではなく、どこか夢見がちなところもあった。

夜の波打ち際に寝転んで星を眺めながら、「この宇宙のどこかに恐竜が生きているんじゃないか」と子供ながらに真剣に考えたりもした。


汗だくになりながら恐竜図鑑をめくっていたあの日。

分厚い本の紙の匂い、ページの間に閉じ込められた鮮やかなイラスト。

ティラノサウルスの鋭い歯、トリケラトプスの角。

それらは彼にとって現実よりも生き生きとした存在だった。


図鑑を読み耽り、ノートに恐竜の絵を描き、友達に得意げに解説をしては笑われた。

その憧れは、他のどんな遊びよりも彼を夢中にさせる不思議な力を持っていた。


陽気で、のびのびとした少年時代。

海と友人と、恐竜への憧れがあれば、世界は十分に輝いていた。


……なのに、どうして。

気づけば今の自分は、安い丼をかき込んで夜をやり過ごすだけの大人になっていたのだろうか。


牛丼の熱さと空腹がせめぎ合う中、不意に店内のテレビから甲高い速報音が響いた。

カウンターに座る客たちが一斉に顔を上げる。青年もまた、スプーンを口元で止め、気だるげに視線を画面へ移した。


そこに映し出されていたのは――富士山噴火の兆候を告げるニュースだった。

画面の片隅に「臨時火山情報」という見慣れぬ文字が躍り、アナウンサーは抑揚のない声で「活発化する地震活動」「火山性微動」「噴火の可能性」という専門用語を並べていた。


「……は?」


思わず声が漏れる。

南海トラフと火山活動が密接に関係していることくらい、ニュースや本で知識としては知っていた。

だが、まさかこのタイミングで?

つい先ほど見た「震度3の速報」に続き、今度は富士山。

まるで日本列島全体が軋み、巨大な何かが目を覚まそうとしているかのようだった。


赤いテロップは妙に生々しく、背筋をじわりと冷やす。

人生を八十年と見積もっても、そんな大災厄に自分が直面するなど、これまでは考えたこともなかった。

隣の席のサラリーマン風の客が小さく舌打ちをして視線をスマホに戻す。

別のテーブルでは学生らしき二人組が「また大げさに言ってるんじゃない?」と笑っていた。

人々は不安を抱えながらも、すぐに「気のせい」として日常に戻ろうとする。


だが、青年だけは違った。

もちろん、周りの人たちと同じ「気のせい」も持ち合わせているが、別の感情が芽生えてもいた。

――これは偶然ではないのではないか。


南海トラフと連動する不自然な火山活動。

もしかすると、自分が長年抱いてきた“恐竜原人説”が、形を成し始めているのではないか。


「人間は地球を温めるために造られた駒」

「その熱によって、恐竜原人が地表へ戻る」


これまで心の奥でひっそりと抱いてきた妄想が、ニュースのたびに少しずつ現実に侵食してくる。

半ば楽しみのように膨らむ想像は、これまで彼を支えてきた退屈な日常からの唯一の逃避だった。


そして――彼はまだ知らなかった。

その妄想が、妄想のままでは終わらぬ時が、確実に迫っていることを。


 富士山噴火の兆候は、その後も連日のようにニュースを賑わせた。

最初は半ば興味本位で眺めていた人々も、気づけば職場でも、友人との会話でも、家族との団らんでも、この話題を避けることはできなくなっていた。


「本当に噴火するのか?」

「もしそうなったらどうなる?」


誰も答えを持たない問いが、あちこちで繰り返される。

アナウンサーは冷静を装いながら情報を伝え、政治家は避難の準備を呼びかける。

スタジオに集められた専門家たちの顔色は、言葉とは裏腹にどこか険しかった。


想像するだけでぞっとするはずの映像――

火口付近で地鳴りを立てて舞い上がる噴煙、広範囲に広がる火山性微動の観測データ、過去の噴火で町が灰に埋もれる再現CG。

それらを見つめる人々の表情は驚きや恐怖よりも、むしろ諦めに近い無表情だった。


どれほどの被害が出るのか、想定すら定まらない。

だが、それでも人々は慣れたように行動していた。

地震、津波、台風――度重なる災害に晒されてきたこの国の人々は、もはや恐怖と共に「順応」する術を知っていたのだ。


水を買い込み、避難袋を用意し、車にガソリンを入れ、各々が出来る限りの備えを進める。

その一方で、テレビの画面を通じて伝えられる映像に、固唾を飲んで見入る。


青年もまた、ニュースに見入っていた。

だが胸の奥では別の感情がわき上がっていた。

――なぜ誰も怯えない?

火山灰に覆われれば都市は麻痺し、物流も止まる。人の生活など簡単に壊れてしまうはずだ。

そう考えた瞬間、胸に生じた違和感はすぐに消えていった。

気づけば、彼自身も他人事のような顔でテレビを見つめている。


「ま、どうにかなるだろ」

口をついて出た言葉は、自分自身を納得させるためのものだったのかもしれない。


誰もが半信半疑のまま、しかし確実に迫りつつある“その時”を待つしかなかった。



ーーいつもと違う――どこかに、拭えない違和感がある。


これまでにも幾度となく、災害は人々を襲ってきた。

そのたびに人々は震え、不安に押し潰されそうになりながらも、必死に生き延びてきた。


直接被害を受けた者は、痛みを抱えながらも耐え続け、

無事であった者は支え合い、手を取り合い、傷ついた心を少しでも前へと向かわせようとした。


そうした姿にこそ、人間という生き物の特別さを感じられるはずだった。


――なのに、なぜだろう。


次に訪れようとしているのは、その比ではない大厄災のはずだ。

テレビの画面には、刻一刻と噴火の兆候を強める富士山が映し出されている。

もし噴火すれば、数え切れないほどの人々が被害に遭い、生活を奪われ、底知れぬ絶望に突き落とされる――想像するまでもない。


休日のショッピングモール。

吹き抜けの広場に据え付けられた大型モニターにも、同じ映像が流れていた。

買い物袋を下げた人々が足を止め、何とはなしに空を仰ぐ。


「――富士山噴火の可能性が高まっています」


アナウンサーの声に重なるように、赤いテロップが画面を覆った。

その瞬間、場の空気がほんのわずかに揺らぐ。

ざわつき――けれど、それは恐怖の波紋ではなかった。


「噴火したら、交通止まるな」

「灰、こっちまで飛んでくるかな」


口々に洩れるのは軽口ばかり。

笑い声さえ混じる。

そこにはパニックも、緊迫感も存在していなかった。


もちろん、ここは日本海側。

富士山などテレビの中でしか見たことのない人々も多い。

彼らにとっては遠い存在であり、現実味を帯びぬ風景だ。

「どうせ自分たちは安全だ」――そんな感覚が、無意識のうちに心を支配しているのかもしれない。

青年はそう考えることで自身を納得させていた。


 近年の夏は、ゲリラ豪雨がやたらと目立つようになった。

かつて「夕立ち」と呼ばれていた現象の延長なのかもしれない。

だが、その威力はもはや夕立ちなどと呼べぬほどで、街全体を一瞬にして呑み込む暴力そのものだった。


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