ーー書記ーー
青年には、生まれながらにして特別な「プログラム」が刻まれていた。
正確には、それは彼自身の中で生成されたものではなく、遥か古代から脈々と受け継がれ、時を選んで移行してきた「意志の系譜」のようなものだった。
約五千年前、ピラミッド建設の時代。そこには恐竜原人が関与しており、建築物という形を借りて、人類史の深部に彼らの痕跡が刻まれていた。
そしてその時もまた、青年と同じく「開発者の意向」を宿す人間が存在したのだという。だが、その人物が果たした役割や心の内を知る者は誰もいない。記録はなく、語られることもなく、ただ人知れず歴史に溶けていった。
恐竜原人は語った。
数百年に一度行われる地表調査においても、この「特殊プログラム」を持つ人間と出会い、しかも対話にまで至ったことは一度としてなかった、と。
だからこそ今回、青年がそのプログラムを抱え、さらに彼らと直接言葉を交わしたという事実は、ごく稀であり、奇跡に近い出来事だった。
しかし青年にとって、それは「奇跡」という安易な言葉では片づけられない重さを持っていた。
自分の存在そのものが、遥か太古から仕組まれた計画の延長線上にある――その事実は、安堵を与える一方で、強烈な拘束感をもたらす。
彼は夜な夜な気まぐれにペンを取り、自らの自論を書き直すようになった。
かつて夢物語として机上に広げていた空想は、今や「現実に触れた真実」と絡み合い、かつての軽やかさを失いながらも、より濃密で切実な形を帯びていく。
酒を片手に書き連ねるそれらの断章は、彼自身への慰めであり、同時に未来への問いかけでもあった。
時折、想像が暴走し、恐竜原人と自分の未来での衝突が脳裏に浮かぶこともある。
その度に、もう二度と会うはずのない彼らに心の中でたしなめられるような気がして、筆を止める。
「選ばれた者」とは言え、結局はプログラムという枠に従属する存在――制御される対象に過ぎないことを突きつけられる瞬間でもある。
けれど同時に、その制御の網に自分が組み込まれているという事実は、不思議と安心感も与えていた。
恐竜原人との邂逅は終わったはずなのに、どこかで今なお繋がっている。
その曖昧さの中に、青年は自分の居場所を見つけようとしていた。
ーーそんな日々も、目立った変化なく流れていった。やがて冬が本格的に訪れ、街も人々も年末特有のせわしなさに包まれる。青年もまた、追われるような仕事の波に身を投じながら、慌ただしい時間を過ごしていた。
明日になれば年内の仕事は一区切りつき、年末年始の休暇が始まる。
大掃除はすでに終えており、気持ちの上では新年を迎える準備は整っていたが、実際には最後の納品に向けた作業が続いていた。社員の半分は一足早く休みに入り、残された少数精鋭が現場を支えている。青年もその一人だった。
今年は暖冬だと耳にしていたが、自然は人の予測を嘲笑うかのように牙をむいた。数年に一度あるかないかの大雪が押し寄せ、街を白く覆い尽くす。
年内にここまで積もるとは誰も予想していなかった。朝晩の雪下ろしで体は軋み、肩や腰に鈍い痛みが残る。吐く息は白く、手袋の中の指先まで痺れるように冷たい。
自然の猛威は容赦なく、物流は滞り、納期の遅れや交通の混乱が社会全体に波紋を広げていた。業界ごとに悲鳴が上がり、そのしわ寄せは青年たち現場の労働力に重くのしかかってくる。
それでも青年は、ただ押し潰されるのではなく、不思議と闘志を燃やしていた。
「今年を締めくくる最後の仕事をやりきる」
その想いが心を突き動かす。疲労と冷気に覆われながらも、青年の胸には、自分なりの「集大成」を成し遂げたいという確かな熱が宿っていた。
大粒の雪が、夜の街灯の光を受けて静かに舞っていた。
白く柔らかな結晶がゆっくりと降り注ぎ、積み上がった雪面は街の音を吸い込むように静まり返っている。
吐く息が白く立ちのぼるなか、青年たちはトラックヤードの集配場で、年内最後の納品をドライバーに託していた。
冷えた指先で伝票を渡し、「ご安全に」と声をかけると、ドライバーは軽く片手を上げて応え、クラクションを一度だけ鳴らして出発していった。
トラックのテールランプが雪煙の向こうで赤く滲み、やがて白い闇に溶けていく。
青年はその光が見えなくなるまで見送り、隣にいた同僚と目を合わせた。
「……やっと終わったな」「お疲れさま」
二人の声には、疲労と同時に小さな誇りが滲んでいた。
安堵の息が白く混ざり合い、しばらくのあいだ誰もがその場の静けさを味わっていた。
ヤードから戻ると、残って片付けをしていた仲間たちが手を止め、青年たちの帰りを待っていた。
「無事に納品できました」
青年がそう報告すると、仲間の顔にぱっと笑みが広がった。
冷えた空気の中で、その笑顔はどこか柔らかく温かく見えた。
「よし、今年も終わりだな」
「風邪ひくなよ」「新年会、ちゃんと来いよ」
そんな軽口が飛び交いながら、皆が自然と笑い合う。
工具の金属音がひとつ、またひとつ消えていき、現場にはようやく穏やかな静寂が戻った。
今年一年の汗と雪が染み込んだ作業靴で、青年は事務所へと向かう。
心のどこかで「この一年、確かにやり遂げた」という充足感が、ゆっくりと広がっていた。
先ほどまで降り続いていた大粒の雪は、青年たちが会社をあとにするころにはようやく静まり、白く化粧を施した街並みが、街灯の光を柔らかく反射していた。
アスファルトに積もった雪はまだわずかに音を吸い込み、世界そのものが息をひそめているようだった。
「良いお年を。」
「お疲れさまでした。また来年。」
互いにそう挨拶を交わし、冷えきった車のドアを開ける。
それぞれのエンジン音が、静かな夜気のなかに短く響いては消えていく。
年末年始の天気予報では、どうやらこの雪もひと段落し、穏やかな年越しができるらしい。
それを思うと、誰もが少しだけ肩の力を抜いて、白い夜に帰っていった。
青年もまた、寒さでエンジンのかかりが悪い愛車のキーを何度か回し、ようやくその低い唸りを聞いた。
吐息で曇ったフロントガラスの向こうに、白銀の街が静かに広がる。
ハンドルを握りながら、窓の外の雪明かりが妙に懐かしく感じられた。
きっと、子どもの頃の冬休みの記憶が、どこかで呼び起こされたのかもしれない。
自宅に戻り、玄関で靴を脱いだ瞬間、全身から力が抜け落ちた。
その場にへたり込みそうになりながら、壁にもたれて息を吐く。
(これで、やっと休める……)
肩に積もった重さは、大雪のせいか、仕事の疲れのせいか——もう区別などつかない。
それでもなんとか気力を振り絞ってシャワーを浴び、熱い湯で強張った筋肉を解いていく。
湯気の中で、少しずつ現実感が戻り、ようやく自分の生活の匂いがした。
風呂上がりの湯冷めを避けるように、毛布を肩にかけてリビングへ戻る。
明日からは連休。実家に帰省する前に、誰にも邪魔されない「一人の時間」を楽しもうと思った。
少し前に買っておいたご褒美のようなウイスキーを取り出し、ハイボールを作る。
グラスの中で氷が静かに音を立て、炭酸の気泡が光を反射する。
ソファに沈み、ひと口。冷たい刺激のあとに、ほんのり甘い香りが口に残る。
その余韻に包まれながら、ふと机の方に目がいった。
薄暗い照明の下、木目の上に置かれたノートの角が、ほんの少しだけ見えている。
(……そういえば、今年はとんでもないことがあったんだった)
年末の忙しさと大雪の後始末に追われ、すっかり遠くへ押しやられていた“あの出来事”。
恐竜原人と過ごした、あの夜の記憶。
まるで別の人生で起こったことのように感じられる。
青年は立ち上がり、机の引き出しをそっと開けた。
そこには、自論ノートが静かに眠っている。
ページを開けば、未知の存在と語り合った言葉の記録が並んでいるはずだ。
しかし今夜は、ただその背表紙に指先で触れただけで満足した。
「……明日からにしよう。」
つぶやくように言い、ノートをそっと閉じる。
部屋の静けさの中、遠くで雪解け水が滴る音がかすかに響いていた。
その夜は、仕事の喧騒からも、大雪の現実からも、そして――恐竜原人の記憶からも、
いったん心を切り離して休むことにした。
久しぶりに頭の中が空っぽになる感覚に、青年は静かに身を委ね、深い眠りへと沈んでいった。




