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恐竜原人の創造  作者: SHIRATORI TOSHIHIDE


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ーー生活と予兆の狭間ーー

この年の夏。

とある平日の夜八時過ぎ、街に浮かぶ赤と青のネオンが、むせ返るような熱気の中で瞬いていた。

湿った空気が肌にまとわりつき、アスファルトの上には昼間の熱がまだ籠もっている。


青年はその光の下、またしても同じ場所にいた――パチンコ屋の島の一角。


ガラス越しに響く電子音と金属の弾けるような効果音。

目の前の液晶画面には、どこか滑稽で、しかし執拗に人を惹きつける演出が繰り返されていた。

誰もが勝利の瞬間を夢見て座るその椅子で、彼はいつものように、また負けていた。


ポケットの中には何もなかった。

財布を開いても、レシートの切れ端さえ残っていない。

「まただ」――負けを積み重ねてきた彼にとって、これは驚くべきことではなかったが、それでも胸の奥に重苦しい石のような感覚が沈む。


周囲を見渡せば、同じように無言でハンドルを握る人間たちが並んでいる。

誰も勝ち誇ることもなければ、敗北を嘆くこともない。

派手な光と音に包まれながらも、その表情は仮面のように硬直し、感情を剥ぎ取られた人形の群れのようだった。

この空間では、勝者も敗者も同じ顔をしている。

ただ淡々と、同じ行為を繰り返すだけ。


その無機質な沈黙の中で、青年だけが自分の鼓動を意識していた。

心臓の音がやけに大きく、汗ばむ手のひらが現実に引き戻す。

勝敗の結果などよりも、この“抜け出せない空気”こそが彼を蝕んでいるのだと、薄々わかっていた。


脳裏には、同じ展開が繰り返される自分の人生を縮図のように映す光景があった。

期待しては裏切られ、積み上げたものは瞬時に崩れる。

結局、自分には「報われる未来」なんて存在しないのではないか――そんな卑屈な考えが、夜ごと心を蝕んでいく。


吐き捨てるように息をつくと、彼は片手に握った空き缶を見つめた。

炭酸の余韻も失われたその缶を、彼は怒りのままに握りつぶす。

金属がぐしゃりと軋む音は、彼の苛立ちを代弁するかのようだった。


そして、ほんのささやかな仕返しのつもりで、パチンコ店の隅に置かれたゴミ箱めがけて投げつける。

だが缶は無情にも弧を描き、あっさりとゴミ箱を外れて床に転がった。


カラン、と響く音は、周囲の喧騒に紛れて小さなものに過ぎなかったが、彼の心にはやけに重く沈んだ。

――やることなすこと、どうしてこうも外れるのか。


店員が怪訝そうにこちらを見るのを、彼は気づいていながらも無視した。

拾うつもりもない。

不貞腐れたまま背を向け、ネオンの光に包まれた店を後にする。


外に出た瞬間、夜の街の空気が熱を含んで顔にまとわりつく。

人通りは少なく、車道を行き交う車のライトだけが、せわしなく流れていく。

その光景は、彼にとって敗北の余韻を反射するように、いつもより濁って見えた。


どんなにパチンコで負けようとも、明日は当たり前のようにやってくる。

朝になれば目覚ましのベルが鳴り、彼は眠気を引きずりながら会社へ向かう。

決して一番下っ端ではない立場で、かといって誰からも羨まれるような役職でもない。

形ばかりの責任感と、終わりの見えない日課の中で、彼はただ「こなす」だけの存在として日々を過ごしていた。


そんな、見慣れた「明日」のために、今夜まず必要なのは腹ごしらえだった。

しかし財布を開けば、薄っぺらい皮の間には空虚しかない。

お札は一枚もなく、擦り切れたカード類が頼りなげに並んでいるだけ。

ATMに立ち寄れば簡単に引き出せるのはわかっていた。

だが、今夜はそれすらも億劫だった。

画面に向かって暗証番号を打ち込む、その些細な行為が、まるで「今日も負けました」と機械に告白するようで耐えがたかったのだ。


代わりに、彼は車内や財布の隅に散らばる小銭を指先でかき集め始める。

指に触れる金属はひやりと冷たく、硬貨同士が擦れ合う乾いた音が、今日一日の敗北を皮肉に思い出させる。

拾い集めるたび、胸の奥で小さな苛立ちと諦念が交互に波を打った。


「……ラッキー」


ぽつりと呟いた声は、車内に虚しく溶けていく。

応える者はいない。

けれど、掌に並んだ硬貨の合計は、牛丼チェーンの並盛一杯を食べられるだけの額になっていた。

それは、惨めさと安堵が同時に押し寄せる奇妙な救いだった。


たかが数百円。

だが、今夜の彼にとっては十分すぎるほどの価値を持っていた。

空腹を満たせるという確かな約束が、無意味に見える敗北の夜を、かすかな希望で塗り替えてくれる。

そのちっぽけな確かさにすがることで、彼の心はほんの少しだけ軽くなった。

そして彼は握りしめ小銭をポケットにそっと入れ、駐車場出口にハンドルを切った。



彼は迷わず、街道沿いにぽつんと灯る赤い看板へと吸い込まれた。

入ったのは、全国どこにでもある牛丼チェーン。

店内に漂う出汁と油の混ざった匂いは、田舎のパチンコ店の隣にあるにはあまりにも相応しい、安っぽくも安心できる匂いだった。


蛍光灯の白い光に照らされた店内は、清潔と言うにはどこか薄汚れていて、しかし居心地の悪さを感じさせるほどではない。

壁際のベタつきを帯びたポスターは新メニューを誇らしげに掲げていたが、彼の目には色褪せた広告のひとつにしか映らなかった。


客はまばらで、皆一人客。

若い学生風もいれば、作業服姿の男もいる。

誰も互いを気にせず、うつむいたまま黙々と丼を掻き込んでいる。

その光景は妙に物悲しく、しかし今の彼にとっては安らぎに近かった。

この静かな孤独の共有こそが、彼にとっての日常の延長だったからだ。


「……並盛り」


お茶がようやく届いたタイミングで、彼は最低限の注文を口にした。

声には力がなく、それを受けた店員の返事もまた、聞き取れるかどうかのか細さだった。

ここでは、誰も急がない。

提供スピードが売りであるはずの牛丼ですら、この空気の中では多少遅れても許されてしまう。

そしてそれを気にする者もいない。


彼もまた、それを当たり前のこととして受け入れる。

カウンターに肘をつき、出されたお冷やで口を湿らせながら、手にしたスマートフォンを無造作に操作した。

画面に広がるのは、見慣れたインターネットの海。

大して興味のないニュースの見出しを指先で流し、時折SNSのタイムラインを覗く。

誰かが笑っていようと怒っていようと、彼の心には何ひとつ残らない。

ただ「待つ」という空白を埋めるためだけの動作だった。


ページを開いた瞬間、またしても望まぬ見出しが飛び込んできた。

「地震速報」――。


冷たいゴシック体の文字は、まるで人々の神経を逆なでするために存在しているかのようだった。

内容は簡潔で、どこか機械的だ。

「南海トラフ周辺で地震発生。震度3。」

それ以上でも以下でもない。


最近、南海トラフ周辺のプレートで小規模な揺れが頻発しているらしい。

つい先ほども震度3ほどの地震が観測されたと速報が流れていた。


画面をスクロールすれば、「大地震への前兆か」「備えは十分か」といった解説記事がずらりと並んでいる。

不安を掻き立てる見出しに、きっと多くの人々は一瞬眉をひそめ、胸の奥をざわつかせるのだろう。


だが、青年にとっては、やはりどこか遠い世界の出来事だった。

自身が暮らすのは日本海側。

海の向こうで起きる出来事も、首都圏で響く騒々しいニュースも、彼の生活には直結しない。

ただ、またか――と冷めた目で眺めるだけだ。

その視線は、テレビの天気予報を無感動に見流すときと大差ない。


そのとき、カウンターに湯気を上げた丼が置かれた。

甘辛い匂いが一気に鼻を突き抜け、意識を現実へと引き戻す。

画面の中で世界が揺れているよりも、目の前の丼のほうが圧倒的に生々しい。


彼は慣れた手つきで紅生姜を山盛りにし、汁が赤く染まるほど豪快に散らした。

そして、箸ではなくスプーンを手に取る。

スプーンの銀色が照明を鈍く反射し、丼の縁に当たってカチリと乾いた音を立てた。


次の瞬間、彼は迷うことなく熱い牛丼を口へとかき込んだ。

舌を焼くような熱さすら、今の彼には心地よい刺激だった。

まるで腹の底に溜まった苛立ちをかき消すように、無心で飲み込んでいく。


世界が揺れているという速報よりも、今この瞬間の一口のほうが、彼には切実だった。

牛丼の湯気とともに、わずかな安堵だけが胃の奥に落ちていく。

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