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恐竜原人の創造  作者: SHIRATORI TOSHIHIDE


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ーー地底人ーー

 

 次々とタバコを吸い終えた同僚たちが、椅子を引き、足音を残して喫煙室を後にしていく。

残されたのは、ほんの数人。灰皿に吸い殻を押しつけながらも、彼らは視線だけは画面に釘づけにしていた。

昨日の“人影”がただの錯覚だったことを、いままさに証明しようとしている――その決定的な瞬間を見逃すまいとするかのように。


中継カメラは、静かに寄りから引きへと切り替わっていく。

火口の縁から黒い煙が立ちのぼり、朝日を浴びた灰色の岩壁が、冷たい質感を帯びて画面を埋めていく。

実況アナの声はその上にかぶさり、昨日の経緯や専門家の見解を延々と繰り返していた。


「昨日、全国の視聴者を騒然とさせた不可解な影……専門家は、光の屈折や岩壁の突起による錯覚の可能性を指摘しています。また一方で、火山活動の規模が……」


本当は人影が見つかり、画面の向こうがざわつく瞬間を誰もが待っていたはずだ。

だが、どれだけレンズを滑らせても、そこには何もいない。

アナウンサーは焦りを隠すように言葉を継ぎ足し、説明を重ね、声を張り続ける。

その声が、徐々に結びの一文へと近づいているのが、誰の耳にもわかった。


〈今回の一連の現象――自然の力の前に、人間の目がいかに錯覚に陥りやすいかを物語っているのかもしれません〉


あとは「スタジオにお返しします」と言えば終わりだ。

ニュースは幕を閉じ、世界は昨日までのざわめきを置き去りにして、何事もなかったかのように日常へ戻っていく。


青年はその声を聞いている。

だが、耳には入ってこなかった。


頭の中は真っ白で、思考の形をなさない。

感情すら……無い。

ただ、呆然としたまま、映し出される光景に目を奪われていた。


――そのときだった。


テレビの画面の右下。

火口を囲む岩壁の、深い岩陰の奥。

そこに、黒ずんだ“何か”が、確かに張りつくように映っていた。


煙に紛れるわけでも、影の揺らぎに見えるわけでもない。

人ならざる輪郭を持ち、静かに、確かに、そこに存在していた。


そして、誰一人としてそれに気づかない。

同僚たちも、アナウンサーも、スタジオの解説者たちも――。

ただ、青年だけが画面の中に“それ”を見ていた。


喫煙室には、もう青年ひとりしか残っていなかった。

天井の換気口から吸い上げられる空気の音だけが、静まり返った空間に規則正しく響いている。

床には同僚たちが捨てていった吸い殻の匂いがうっすらと残り、焦げた紙の甘ったるさが鼻腔にまとわりつく。


「テレビ消して来いよー。」

退室際に同僚が放った言葉など、耳に届くはずがない。


昨日と同じだ。

いや、昨日以上かもしれない。

心の奥に押し込めたはずの論文のページが、いまや引き出しを破って一斉に飛び出してくる。

それは紙ではなく、心臓の鼓動に直接刻み込まれる活字のように、胸の内側で暴れ回っていた。


体を伝うじっとりとした汗は冷や汗にも似て、それでも胸を打つ鼓動は熱を帯びていた。

血が逆流するような眩暈。

視界の端がぼやけ、世界の色が一段階だけ濃く見える。


――間違いない。


昨日と違うのは、思考が半信半疑な恐怖や期待ではなく、一点の確信のために研ぎ澄まされていることだ。

画面右下の岩陰に映るもの。

あれは確かにいる。確実に。


テレビ局のスタッフも、ヘリに乗るクルーも、誰ひとり気づいていないのか。

部屋にいた同僚はもう去り、ここには誰もいない。

知らせる相手も、共有できる耳もない。

孤独の中で、青年だけが「真実」を見ている。


「……ということでしょう。それではスタジオにお返しします!」


実況アナの張り詰めた声が唐突に締めを告げ、画面がスタジオへ切り替わる。

「今後も進展があれば教えてください。ありがとうございました。」

司会者の定型句が続き、番組は淡々と次の話題へと移ろっていった。

地震速報のテロップが画面の端に流れ、明るいBGMが差し込まれ、つい先ほどの“異様”は完全に中和されていく。


だが青年の世界は、もはやそれどころではなかった。

パニックと呼ぶべきか、あるいは熱狂と呼ぶべきか――。

心の内は、恐竜原人への想いで爆発し続けていた。



自分自身、当たり前のように想像の生命体にすぎないと腹を括っていた。

当たり前のように暇を潰すための想像の材料と思っていた。

当たり前のように皆んなを笑わせる持ちネタと思っていた。

当たり前のように存在するわけがない、そんなはずがあるわけないと思っていた。……いや、分かっていた。


それが何だ?

何故、そこにいる?


胸の奥底で、無数の針が一斉に跳ね返るような感覚が走った。

現実を受け止める覚悟など、できているはずがない。

それでも、全ての思考は凍りついたようにモニターへ吸い寄せられ、映し出された恐竜原人の姿だけが網膜を焼き続ける。


次の行動など予測できるか。

このまま自分の持ち場に戻り、昨日までと変わらぬ笑顔で同僚に挨拶し、機械的に資料を処理する――そんな芸当ができるはずもなかった。


青年は、良くも悪くも「当たり前の日常」を生きてきた。

そのなかで、いつの間にか優先順位の最上位に“仕事”が居座るようになっていた。

それは安定の象徴であり、社会に属するための唯一の拠りどころでもあった。


ただ――いま、この瞬間に至っては、その拠りどころすらもろく崩れ去る。

仕事も、生活も、常識も、積み上げてきた日常すべてが、画面の中の異形の影の前では塵に等しい。


その「当たり前」を犠牲にしても構わない。

いや、犠牲にせずにはいられない。

壊してしまえ――。


そんな衝動が、青年の内から噴き出す熱となって身体を動かしていた。


青年は立ち上がった。

膝の関節がぎこちなく軋み、視線は虚ろに宙を彷徨う。

歩みは頼りなくも、その軌跡には迷いがない。


向かう先は、先ほどの上司のもと。

そして口にする言葉はただひとつ。


「……すみません、早退させてください。」


声が自分の喉から出たのかどうかも判然としなかった。

だが、その一言を口にした瞬間、喫煙室のテレビが流し続ける日常の声は、完全に遠ざかっていた。


青年の言葉を聞くなり、上司は眉をひそめて短く言った。

「そうか、やっぱりダメか。」

「まだ顔色悪いし、冷や汗も出てるじゃないか。病院、行けるか?」


その声音には、やはり気にかけてくれていた気配があった。

体調不良の部下に対する上司の心遣い。それをありがたく思う気持ちは、確かに青年の胸の片隅にあった。


だが、それ以上に胸を支配していたのは、今にもはち切れそうな焦燥感だった。

早く外へ出なければ――テレビ画面に映った“あれ”が、幻ではないことを確かめなければ。


「はい、調子は悪いですけど……頭はしっかりしてます。帰りに病院に寄って帰ります。」

青年は俯き加減でそう答えた。具合が悪そうに見えるのは本心からか、あるいは上司に嘘をついている後ろめたさゆえか。


自分でもわからない。だが、迫真の演技めいて表情を作り、今にも走り出しそうな早足で通路に出ようとドアノブを握った。


ふと振り返ると、上司がこちらを見ていた。

――やっぱり鋭いな。たぶんバレてる。


軽く会釈を返し、部屋を出る。帰り支度を慌ただしく済ませ、急いで車へと乗り込んだ。


運転席で深く息を吸い、スマートフォンを取り出す。

指先はすでに汗ばんでいた。車内の空調を最大にしても、背筋のざわめきは収まらない。


SNSを開くと、あの映像が全国に放送された以上、誰か他にも気づいているはずだと確信していた。

いや、そうでなければおかしい。自分の目だけがおかしいなど、到底納得できなかった。


まずは「恐竜原人」と入力して検索をかける。

――結果はゼロ。


画面を見つめ、思わず喉の奥が乾いた。

それも当然だった。その名は彼自身が与えた呼び名にすぎない。

だが、ゼロという結果は、まるで彼一人が取り残されたような孤独を押し付けてきた。


「じゃあ……なんて入れる?」


思案してから、検索エンジンの急上昇ワードランキングを確認した。

だが、そこにもそれらしい単語は見当たらない。

日常を取り戻したい人々は、もう別のニュースへと興味を移していた。


そこで昨日の記憶がよみがえった。

――あの怪しい雑誌の編集長が、テレビで言っていた言葉。地底人。


「そうだ、地底人だ……」


指が震えながら検索欄に文字を打ち込む。すぐにいくつかの投稿がヒットした。


《右下のやつ、地底人じゃね?》

《地底人マジでいたw》

《ちょっと緑っぽくもあるだろ、地底人》


ほんの数件の投稿にすぎなかった。だが、青年の胸を圧迫していた孤独感は、わずかに解きほぐされていった。

画面を凝視しながら、青年は冷たい息を吐いた。


「……やっぱり、俺だけじゃない」


声はほとんど囁きに近かったが、震えを帯びていた。

その震えが恐怖なのか興奮なのか、自分でも判別できない。


それでも、このまま駐車場に車を停めたままでは、早退したのに不自然すぎる。疑われるわけにはいかない。

いや、そんな小さな理屈でさえ、もはや自分を縛ることはできなかった。


青年はエンジンをかけ直し、ハンドルを強く握りしめた。

アクセルを踏み込む足には、異様な力がこもっている。


向かう先は決まっている。

いつもの場所――テトラポットへ。


そこに横たわれば、昨日までとは違う何かを感じ取れるはずだ。

いや、感じ取らなければならないのだ。

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