誕生日のお祝い
数日が経ち、森の空気が冷たく澄みきっていたある日の夜、セオが突然「今から外に出よう!」と言い出した。
「今からですか?もう、夜ですよ」
「そう!夜じゃなきゃダメだし、雪が降る前じゃなきゃダメ!」
キラキラと輝くセオの瞳に負け、できるだけ暖かい格好をして外に出る。
吐く息は白く、頬にあたる空気は冷たい。
歩きづらい夜の森の中を、案内されるがまま着いて行くのはあまりにも体力のいる行為だったが、楽しくも感じていた。
「リュシア、ここの道怖いんだ、、前を歩いて、、、。」
「あなた、幽霊ですよね?」
そんな頼りなくも愉快な幽霊と歩き始めて四半刻ほど、「ねえ、こっち。」と、セオがふわりと前に出て振り返り、軽やかに手招く。
導かれるままについていくと、木々の合間から視界が開けた。
「……綺麗。」
目の前に広がる景色に、息を呑む。
そこは森の高台だった。
見渡すかぎり遮るものはなく、夜空一面に散りばめられた星々が、宝石のように瞬いている。
澄んだ空気のせいか、手を伸ばせば掬い取れるほど近く感じ、いくつもの流れ星が淡い光の尾を引いては静かに消えて行く。
夜の静けさと眩しいほどの星々は、この場所がこの世界の全てであると錯覚するほどの幻想的な風景であった。
「……この森にこんなところが。」
私は小さく声を漏らした。
「どうしても君に見せたかったんだ。」
セオはひときわ明るい星を指差し、にやりと笑う。
「誕生日のお祝い。」
——誕生日の、お祝い。
誕生日を祝ってもらえるなんて、いつ以来だろう。
ああ、そうだ。小さな頃、まだ生きていた母からブローチをもらったっけ。
何もかも奪われ、そのブローチも、どこにあるかはもう分からなくなってしまった。
しかし、母の笑顔、キラキラと輝くブローチを見た時の高揚感、それを今思い出した。
忘れていたわけでもないし、大切だけれども、何かきっかけがないと、思い出さなかったかもしれない。
私の大切な思い出はあの意地悪な2人でも、奪うことはできなかったのだ。
「……私、こんなに幸せでいいのでしょうか。」
声は震えて、頬を伝った雫が冷たい夜気に触れる。
宙に浮いたままのセオは、少し驚いたように眉を上げた。
「泣くほど?」
私は慌てて袖で拭い、ぎこちなく笑う。
「何もかも奪われたと思っていましたが、そうではないと、気付きました。」
そんな私を見て、セオがふと優しい声で言った。
「取り返そう。」
「え……?」
「奪われたもの、なくした時間。ぜんぶ取り返そう。
君ができなかったことを、これから、ここでやればいい。」
得意げに言う姿が、妙に頼もしく見えた。
胸の奥がじんわりと温かくなり、私は涙を拭いながら、小さく頷いた。
「……私、ダンスを踊ってみたいです。」
一瞬、セオはきょとんとし、次の瞬間、キラキラとした笑顔を作る。
「ダンス!?いいじゃん!踊ろうよ!」
「学園に行っていないので、基礎も何も知らないままなのです。」
「大丈夫大丈夫、簡単なステップを教えてあげる。」
そう言って、宙をすべるように軽やかに足を運ぶ。
彼の動きを真似て、ぎこちなくステップを踏む。
触れられずとも、何故か支えられているような気がして、彼に動きを委ねる。
星空の下、優しい低音でリズムを刻む声が、あまりにも心地よく、寒さも、何もかも忘れて酔いしれた。
やっと一つのフレーズを踊り切った時、セオが私の手にキスを落とす仕草をとった。
「すごいよ、リュシア、月の女神のようだった。」
触れられていないはずなのに、私の頬はふわりと紅に染まり、胸が熱くなる。
「セオ、ありがとうございます。」
今の私はきっと、生きてきた中で一番の笑顔を彼に見せている。そう確信した。
しかし、次の瞬間——、
ふっとセオの姿が消えた。
「……セオ?」
きょろきょろと辺りを見回すが、先ほどまで隣にいたはずの彼が、どこにもいない。
何度呼びかけても返事はなく、夜風だけが頬を撫でていく。
胸がきゅっと縮み、夢心地だった先程までの気分がすうと消えていくように目に涙が溜まる。
「セオ、どこに…。」
「……あれ?」
数分ほど経っただろうか。
まるで何事もなかったかのように、宙に浮かぶ彼が現れた。
「セオ!どこに行っていたのですか?」
声が震える。話した言葉は、問い詰めるというよりも、不安がにじんでいた。
セオは眉をひそめて、困惑の色がその金の瞳に揺れた。
「……いや、僕はずっとここにいたよ。」
「ここに、ですか?」
確かに消えていたはずなのに。
セオ自身も、不思議に思っているようだった。
けれど次の瞬間、彼は軽やかに肩をすくめ、いつもの調子に戻る。
「ま!細かいことは置いといて。そろそろ帰ろうか、風が強くなってきたしね。体調を崩すといけない。」
不安がる私を安心させるように明るい声でそう話すセオを見て、気を持ち直して頷いた。
そうだ、考えたって仕方がない。
セオは今隣にいる、その事実と彼の笑顔が私の不安を拭った。
帰り道、私は忘れたくない思い出や、これからしてみたいことを話しながらゆっくりと歩く。
母がたくさん物語を読んでくれたこと。
字の読み書きを教えてくれたこと。
海を見てみたいこと。外国に行ってみたいこと…。初めてこんなに自分の話をした。
セオは最初から最後まで、楽しそうに話を聞いてくれた。
「そういえば、リュシアは霊感があるの?」
ふと問いかけられ、私は首を横に振る。
「いいえ、今までそう言ったものは一度も。正直、あまり信じてもいませんでした。」
「そうなんだ、不思議だな。初めて僕をこんなにはっきり見て、普通に話せる人に出会ったから。てっきりそういう能力があるのかと…」
「能力だなんて!もしそんなものがあれば、幽霊になった母ともお話ししたかったです。」
「ふむ…」
セオは考え事をするように目線をまわす。
セオと何故引き会えたかは分からないが、私は神に感謝した。
もし、出会えていなければ、この幸せを感じることなく死んでいたかも知れなかったから。
小屋に戻り、粗末な布団に横たわる。
まぶたを閉じれば、星明かりの下で私に差し伸べるセオの姿が浮かぶ。
そして夢心地のまま、静かに眠る。
この時の私は、二人の時間が永遠ではないことを、まだ知らない。




