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7/22

僕と一緒に、ずっと

夜になると、小屋の中は暖炉の柔らかな光に照らされていた。

木の壁が橙色に染まり、しっかりと閉ざされた扉の向こうでは冷たい風が吹いている。

屋根裏部屋で凍えるように眠っていた日々を思うと、夢のような温もりだった。


外から戻った私は、両手を擦り合わせながら小屋の戸を閉めた。

吐く息は白く、指先はじんと冷たい。

まだ雪は降っていないが、森はすっかり冬の気配に包まれていた。


暖炉の前に腰を下ろすと、橙の光の向こうで彼がふわりと現れる。

……最近は、姿を見せる時間が前より少なくなった気がする。

その理由を尋ねる勇気はなくて、ただ胸の奥に小さな不安をしまい込んでしまう。


「寒そうだねえ、指見せて。」

彼は私にひょいと近づいて、楽しそうに手を差し伸べた。


私も、何も考えずに手を出す。

次の瞬間——指はすり抜け、ただ空気を掴んだだけだった。


「あっ……。」


数秒ほどの沈黙。

そして彼は、腹を抱えるように大きく笑い出した。


「そうだ、僕って幽霊だった!忘れてた!」


あまりにも楽しそうな笑いに、私も思わず口元をほころばせる。

けれど、その笑顔の裏で、ほんの少しだけ胸がきゅっと締めつけられた。

——やっぱり、触れることはできないのだ。





「もうすぐ誕生日?」

何気ない調子でそう尋ねられ、私は胸がぎゅっと掴まれたような気持ちになった。

背筋に氷を流し込まれたように震えが走り、指先は思わず膝の布をぎゅっと掴んでいた。


しばらく黙り込み、それから小さな声で答える。


「……もしかしたら、もう……過ぎているかもしれません。」


私の誕生日は、冬だ。

この森に来てから季節が3度変わった。

その間、ずっと考えないように、ただ今の幸せを噛み締めて生きていた。

彼は訝しげに眉を寄せ、私の横顔を覗き込む。


「辛ければ無理に言わなくていい。でも君は、何に怯えているの?」


別に隠していたわけでもない。

揺れる自分の影を見つめながら、私は震える声で呟いた。


「……16歳の誕生日、私は結婚しなければなりません。婚約者がいるのです。」


彼は何も言わず、私を見つめる。

その表情には、からかいも、茶化しもなかった。

ただ真剣に、私の言葉を受け止めているようだった。




私の辛い日々は父が縁談を取り付けたあの日から始まった。


もしかすれば、もっとその前から、ゆっくり地獄へ導かれていたのかもしれないが。



私が10歳になる頃に、実の母親は病気で死んだ。そして喪が開けぬうちに、美しい女性とその娘がやってきた。


私の二つ下のその娘、アマンダは、パッチリとした瞳の愛らしい顔に、淡い金髪の髪で、まるで天使のようだった。

そして、その金髪は父にそっくりでもあった。


13歳になるまで、継母とその娘との生活はぎこちなくも、まだ家族として機能していたはずだった。


「ドルンベルク侯爵家からの縁談を受けた。リュシア、お前が行くのだ。」


父との会話はいつぶりだったのだろうか。

父は金と権力にしか興味のない男で、私が幼い頃から全く家に寄り付かず、いつどこにいるのかも何も知らなかった。


「かしこまりました。」と静かに答える。


婚約は貴族にとって当たり前のことだ。

断る理由などなかった。

しがない子爵家の私たちにとって、侯爵家との縁談など、願ってもない話だ。

そして、私は人並みに恋愛に憧れていたし、素敵な方だったらいいな、と密かに心が弾んでいた。


それからまた父が家を空けて、2ヶ月ほど経った頃からだった。

突然食事を抜かれ、継母から体を打たれるようになった。

服を脱がされ、部屋を奪われた。

どうせ将来は決まっているので学園は行かなくて良い、と入学は取り消された。


継母と義妹がこの屋敷に来た時から、今までずっと、私に対して良くない感情を抱いていることは、ヒリヒリと感じていた。

しかし、これほどまでとは思わなかった。


私は何度も問うた。私が何をしたのか。

なぜそんなことをするのか。

お父様は何も知らないのか。


しかし、継母は満足気に笑うだけで、13歳になったばかりの非力な子供では、何も現状を変えることはできなかった。


助けてくれようとしたメイドはみな解雇され、私は味方を失った。


わけもわからないまま半年が経った頃。

私は真実を知る事になる。


身も心も衰弱し、何も言い返す気力が無く、ただその仕打ちを黙って耐えているだけの日々に、今まで傍観していただけの義妹が、突然話しかけてきた。


「お姉さま、わたし、ママから良いことを聞いたの。」


たくさんのレースがついた淡いピンクのドレスを身に纏う妹の姿は、本物の天使さながらであった。


継母の本当の娘なら、お願いすればこの状況を止めてもらえるかもしれない。


「お願い、助けて。」


か細い声を聞いたアマンダは、私の手を優しく取りこう言った。


「ママが教えてくれたの。お姉様の婚約者って、妻になった人は皆、一年足らずで死んでいるらしいわ。」


アマンダは優しい微笑みを浮かべながら話を続ける。


「このドレスを見て。パパが買ってくれたの。綺麗でしょ?

ドルンベルク侯爵様はね、婚約時と、結婚時、そしてそれから、月に一度、さらにその妻が死んだ時に多額のお金を送ってくれるそうなの。」


「な、何を言ってるの、?」


ドクン、ドクンと心臓が鳴る。

咄嗟に手を離そうとするもうまく力が出ずに離せない。


「みな酷い折檻で、死んでしまうらしいけれど、お姉さまにはみすみす死なれては困るの。

だからね、これは、練習!鍛えてあげてるんだって。」


「嫌……やめて!!」


逃げようとする私にアマンダは大きく手を振りかぶり、

パン!と大きな音を立てて私の頬を打った。


「お姉様。長生きしてくださいね。」


そしてまた、天使のような微笑みを見せて、去っていった。


そして、そのまま、2年が経った。

エスカレートしたこの行為は”練習”などではない。もはやただの憂さ晴らしであることは誰から見ても明らかだった。




「どうせ死ぬのなら、できるだけ早く、一思いに死にたかったのです。

だから、私はこの森へ来ました。

死ぬ瞬間は辛いだろうけれど、少なくとも長く続く苦しみよりかは、いくらかましな気がして……死は、私の唯一の希望でした。」


話を静かに聞いていた彼は、そのまま言葉をなくし、ただその私を見つめていた。

胸の奥に広がるのは、どうしようもない切なさだった。


やがて、静かに口を開く。

「……よく、ここまで辿り着いたね。」


心地の良い彼の低音は、驚くほど優しかった。

「本当は、君を抱きしめたい。……でも、それは叶わないから。」


「まあ、抱きしめるだなんて。」


先程まで震えていたはずなのに、しんみりとした空気に似合わず、頬を少し染めてしまった。

恥ずかしい気持ちを抑えながら、ゆっくりと顔を上げる。


私の瞳と彼の金の瞳が重なる。


力強い目線に、目が離せなくなった。


「……リュシア。話してくれて、ありがとう。」


「……あ、私の名前…」


彼は小さく頷き、そして笑う。

「もう三つの季節を共に過ごしてるんだ。知ってるよ。」


どくどく鼓動が早まるのがわかる。


初めて名前を呼ばれる——それだけで、心がほどけていくようだった。


「……あなたの名前は?」


わざとらしく手を顎に当てうーん、と唸る。

「……わからない。でも……セオと呼ばれていた気がする。」


リュシアはその名を、ゆっくりと口にした。

「……そうですか。セオ。」


その名を呼んだだけで、胸の奥に熱が灯るのを感じた。


セオと呼ばれた彼はふわりと微笑み、宙に浮きながら隣に腰を下ろすような仕草を見せる。


「ねえ、このままずっと、ここにいたらいいじゃない。

僕と一緒に、ずっと。」


一緒に、ずっと。

それも、いいかもしれない。


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― 新着の感想 ―
継母だったんですね。どこかで見落としていたのかな? セオが何気なく取った行動、リュシアに触れようとした。ただそれだけの描写にセオの心の変化が詰め込まれているようで素晴らしい表現力だなと感心しました。 …
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