その九
五百三十三
衆に秀でる事は立派ですが、文字通り誰にでも出来る事ではありません。これに対して、能力ではなく意志を抱き続ける事で目的を達成する勝利は、誰にでも出来る事ではないのですが、そうでありながら同時に誰にでも出来る事なのです。そして感動的で且つ崇高です。実に難しく、またその困難である程度を多くの人が知っています。誰でも諦めた事を自分の記憶にもっているからです。
実はそちらの方こそ意味のある勝利なのです。何故なら、自分が必要としているものを獲得出来るからです。衆に秀でる事は、文字通り衆に秀でる事であって、本当に自分が必要としているものを得ている訳では必ずしもありません。
五百三十四
善意に鋭く感応する感覚でありたい。人間の小さく切ない隠された望みの見える心でありたい。そしてそれに気付いていると表明出来る精神でありたい。
それらが私の人生を行き詰らせ身動きがとれない様にして仕舞うのではなく、全く反対に私の人生を豊かにし、私を真実の孤独から遠ざける事を信じる。
五百三十五
一度『下らない』と判断したものに、それ以上何かを注ぎ込むのはやめましょう。その価値無しというのも理由ですが、それよりもずっと大きく、その事を自分の頭から、心から切り離す事の方が大事なのです。他に自分の力を尽くすべき事が幾らでもある筈だからです。若しもその他の目標、課題が無い、見付からないというのなら、そっちの方が遥かに重大で深刻な問題なのです。
懸命に、しかし心を鎮めて穏やかになって、探して見付けましょう。それがこの先の自分の人生に生き甲斐をくれる程の、懸命に打ち込むに値する、その為に頑張れば頑張る程に自分に元気をくれる、大きな大切なテーマかも知れないのです。
五百三十六
私が子供の頃に近所に住んでいたお婆さん達は、もう全員が他界しました。私が五十歳になるのですから当然でしょうね。そして私が子供の頃に近所のおばさんだった人達が、今お婆さんになって何人か居ます。子供の頃私が土道で遊んでいたのを知っている人達です。しかし、変わったのは近所の人の年齢だけではありません。よく思い出すと、家の形も造りも、そして人の服装も変わりました。言葉遣いさえ、変わった気がします。それは誰にも、どうしようもない事ですが、とても寂しい事の様に感じます。自分の故郷の姿ですから、変わって行く事に特に不安を覚えるのかも知れません。
本当を言うと、変わってほしくないのです。私の故郷の姿は、いつ迄も昔のままの姿であってほしいのです。虚しいだけでなく、愚かな願いですが。如何に私が、自分の家の近所の風景さえ自分の心の支えとしているのかが分かります。私は、変わらないものを求めるのです。
五百三十七
真摯に生きる人は、自分の使命を果たす以外の理由で長生を求めないものと思います。生きる事はとても大変な事だと知っているからです。そしてその大変さを知っている人にだけに喜びがあるというのが、地上の秩序であると思っています。幸福とは本来追求すべきものではなく、追求すべきものを追求した或いはしている事に拠る『結果』なのではないでしょうか。
五百三十八
自分一個の保全が最大の目的である人間と、他人と心を通わせることを求めている人間とが、日常同じ言動をとる訳がありません。両者が同じ様な人生を歩む筈がありません。冷静になれば、誰が考えても分かる事だと思います。自分が何れの道を往きたいのか、いや、既に今自分が何れの道を歩いているのか、静まって想ってみましょう。そうです、今既に歩いている道がどちらなのか、をです。
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