その四十八
二千四十一
教養を身に付ける為に本を読むのではありません。自らに心の渇きがありそれを癒す為に『或いは此処に吾を潤す泉在りや』とて読むのです。思えば私の場合はそうでした。不思議な事に、常に先に渇き則ち欲求があるのです。恐らくそれが無いまま読んだ本は、あまり記憶に残っていないのではないかと思います。そして今では、自分がそういう本の読み方をして来たので良かったと思っています。私が今迄に読んだ本の言葉、文章を結構憶えているのは、読む前に既にこの渇きが私に在ったからでしょう。渇きがあって、それで初めて届くのです。そしてその渇きは、生活をしみじみと送る中で、人生の中で苦しんで、勝手に生まれて来るのです。文学が生きる事と直結している所以です。
二千四十二
永くは続かない。そうかも知れません。
「そういう生き方はいつ迄も続けられるものではない。必ず崩れる時が来る」
そうです。しかしそれを承知の上でしているとしたら、如何でしょう。それを知っていても、それでも止める事が出来ない、それを理由に止めたら最早自分の存在が根底から崩壊する。この破滅的な自覚こそ、実は最も強いものではないでしょうか。それを止めるものはもうこの世には無いからです。此処迄行って、初めてそれを自分の使命と呼ぶ事が出来るのではありませんか。
今のまま、自分が終わる迄行けば良いのです。どういう生き方であっても、どの道必ず終わる時が来るのです。今の自分の生き方を改めたなら、さも永遠に続く道が別にあるかの様な口ぶりでなされる忠告を見捨てて。
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