その四十七
二千三十八
葉書、手紙一通書く事も喜びですね。相手の顔が浮かびますし、自分の気持ちも落ち着きます。それで葉書代と切手代だけで可いのですから、文字通り持続的に可能です。私は、斯ういうものをこそ、大人の遊び、楽しみと謂いたいです。その名に相応しいです。
二千三十九
私は小さな頃から童話の本よりは図鑑に親しんだ者です。戦闘機や樹木、花、蝶、石、全部同列でした。昆虫の頁なんか飽きる程見ましたね。そしてそんな虫がいないかと、家の前の花壇や空地の草の茂みを覗いて歩きました。半分怖く、半分面白く、そんな気持ちで。
考えてみれば文字が読めるのは少し先なのですから、最初は図鑑の絵とその名称を音声で子供が憶え、そしてその音声を表記する方法として文字を憶えるという順序で良かったのかも知れません。父は其処迄考えて私に図鑑を買い与えた訳ではなかったのでしょうが、子供にどんなものを与えるのが良いのか、最近色々考えます。でもそうやって純粋に『あれが良いのかこれが良いのか』と考えるのは楽しいですね。何か随分久しぶりに、私は純粋な『作業』を楽しんでいる様に思えました。感謝です。
二千四十
私が子供の頃には、まだ戦後の感じのするものが結構残っていました。終戦から二十年以上を過ぎたというのに私は家の直ぐ近くで傷痍軍人さんを見ましたし、まだ多かった空地に捨てられずっとそのまま置かれている古い乗用車、そして中が真っ暗な廊下の古い古い木造アパートも沢山ありました。小学校の友達は皆着ている服で、後ろからでも誰か分かりました。皆殆ど季節毎に衣服を二着程しかもっていなかったのです。昭和中期の最末期、何も彼も新しい時代がこれから来るという昭和四十年代の前半でした。
今、勿論その頃と町の外観は変わりました。皆洋風の新しい家になり、道路を走る車も全部同じデザインではありますが洗練されたものです。道を歩いている人が少なくなって、近所の人の顔を見る事が減りました。よく判らないサービスの宣伝のチラシも入ります。しかし何も変わっていないものもあるのです。うちの家もそうですし、家の前は土道のままですし、舗装道路に出た場所の感じもそのままです。何より母もそうですし、私も何一つ変わっていない気がします。
変わって行くものと変わらないもの。私は家の近所を散歩するだけでも、もう十分に刺激的です。刺激的と謂うのがおかしいなら、飽きる事が無いのです。何かに吸い寄せられる様に、其処に慕わしい何かが在るかの様に、私は子供の頃に私が歩いて、或いは自転車で行った近所の場所に行きます。其処で果てしなく昔の、そして今の自分と問答をするのです。いや、して仕舞うのです。これは恵でしょうね。その機会に、私は落ち着いている事が出来るのですから。私はそういう時、悲壮でつらい気持ちがしていませんから。若しかしたら、斯ういうものをこそ私はずっと探し求めていたものかも知れません。
ブログは毎日更新しています。
https://gaho.hatenadiary.com/




