その四十六
二千三十四
私が小学校中低学年の頃、布団を並べて寝ていた父は寝る前にいつもお話をしてくれました。西遊記や三国志の劉備、関羽、孔明、そして太平記の楠正成正行親子、それらは本当に私の眠る前の楽しみでした。私はその時に忠節や孝養、そして人間が信頼し合えるものである事を教わったのだと思います。
計り知れない程に尊い教えではないでしょうか。今でも父のその慈愛を想うと、涙で見るものがぼやけます。私にはまだこの世に役目があります。これを果たさねばなりません。しかしそれでも、
「とても世に、永らうべくもあらぬ身の、仮のちぎりをいかで結ばん」
と、時の帝からの伴侶の下賜を辞退し父正成のもとに疾く赴かんとした正行に続きたいのです。そう思う時の自分が、屹度一番私らしいと思うのです。
二千三十五
夫婦共に寝ないと子供も寝ないので、自然と早寝する様になりました。すると食べる量は何も変わらないのに、私の体重が落ちて来ました。今迄だって別に太っていた訳ではありませんが、それでも余分なものは消えて行ったみたいです。早寝は良いです。思わぬ効用で、奥さんと二人笑いました。
良いものには良い結果が伴いますね。そういう事で笑える家でありたいです。
二千三十六
然るべき時に自分が誰かの為に犠牲になるべく苦痛を背負うか見過ごすか、或いは心からの配慮を表明するか放っておくか。そういう瞬間を意識する時があればその時、絶対に他人が自分の事を見ていると思って下さい。本当に見ているからです。
人はそういう事を必ず見ています。仮令実行としては何もしない人でも、そういう事を見ているのは必ず見ているのです。
二千三十七
泣きそうになる程切ない願いの物語を読みたいです。その切ない願いというのが、私に於けるそれと何も違わない事を確認したいのです。やはりそうか、人はそういう事を求めるのだなと震えながら実感したいのです。生きる事に間接的にしか寄与しない、何かを外側から飾る事しか出来ない附属物ではなく、人の使命の価値そのものに触れたいのです。
それが滅多に見付からないのは知っています。しかし滅多に見付からないから抑々(そもそも)求めない、では此方がいけないのです。矢張それを探し、求め続けなければならないのです。
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