その四
二百二
大人は発言の内容と発する時とを考えます。基本的にはそれで可いでしょう。しかし、ずっとそれでは、そればかりでは、段々自分で何を言ってるのか、そして何故自分がそんな事を口にしているのかが解らなくなり、次第に人と話すのが嫌になって周囲全般に対して心を閉ざす様になります。人と話をする事に興味を失う訳ですね。私はそれを拒みます。
言葉というものは、希望を失って今にも死にそうな人を生き返らせる程の力があるというのに。
二百五
働くという次元の地平と生きるという次元の地平があります。両者が一致しているのがその人にとって一番の幸福である事は言う迄もありません。しかし働くという事が生きるという事から生まれるのを忘れてはなりません。両者の幸福な一致とは、生きるという次元の地平からの視点が何ら損なわれる事無く働く次元に活かせている事を謂うのです。
二百六
彼の話は、彼の事を人が好きと思うか思わないかにかかわらず人が理解してくれるだろう。彼は方法についてだけ述べているからだ。その人の人間性や世界観云々について迄は、彼は決して言及しない。其処迄彼は人に求めないからだ。彼と私の根本的な違いは此処だ。私は人に魂の共感を求める。それが無いと分かった人に、私は一切興味が無い。
二百八
平板で退屈でこれといった緊張も刺激も無く生きるのに比べて、燃える様な激しい恋は何れ程生きている実感に満ちているでしょう。しかしそれは永く続くものではありません。中心が感情というか、気分だからです。
愛情の本質は慈悲であり犠牲であるべきです。それは気分ではありません。感情ではありますが感情の核心に紋章の様に信念が嵌まっています。だからそれは決して消えないのです。
二百九
人、一日生きれば何事をか願わずや。高き空に、渡る風に、夕焼の空に憧れを映すは、人性自然の営みに他ならず。またそれを得んとて腐心尽力する迄は、人に許されたるものと信ず。而して委ねるべし。知らず、天意畢竟慈悲有情の理に通じ、人の子の悲願切望を知るや否やを。然れど吾を導きたる者皆この道を往きたり。往って道の途上に望みを失わざりき。倣いたし。同じ道を行きたし。同じ様にて暮らしたし。地上の行程当に尽きんとするや天より梯の架かる、登りて其処に行きたし。再び共に生きたし。
二百十
自分の未来にとって何が正解であるのか、それを『当てる』のではありません。自分が選んだ道を『この道を選んで良かった』と言える様に変えて行くのです。こう考えると、道を選ぶ時に或る程度考えた上は天に任せるので良いという事が、よく理解出来るでしょう。
悩まないのは、意気の強さや覚悟の堅牢さに拠るのではありません。天に任せるべきところと自分の努力に拠るところの区別がついているという事なのです。
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