表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

その四

 二百二

 大人は発言の内容と発する時とを考えます。基本的にはそれで()いでしょう。しかし、ずっとそれでは、そればかりでは、段々自分で何を言ってるのか、そして何故自分がそんな事を口にしているのかが解らなくなり、次第に人と話すのが嫌になって周囲全般に対して心を閉ざす様になります。人と話をする事に興味を失う訳ですね。私はそれを拒みます。

 言葉というものは、希望を失って今にも死にそうな人を生き返らせる程の力があるというのに。


 二百五

 働くという次元の地平と生きるという次元の地平があります。両者が一致しているのがその人にとって一番の幸福である事は言う迄もありません。しかし働くという事が生きるという事から生まれるのを忘れてはなりません。両者の幸福な一致とは、生きるという次元の地平からの視点が何ら損なわれる事無く働く次元に活かせている事を謂うのです。


 二百六

 彼の話は、彼の事を人が好きと思うか思わないかにかかわらず人が理解してくれるだろう。彼は方法についてだけ述べているからだ。その人の人間性や世界観云々について迄は、彼は決して言及しない。其処(そこ)迄彼は人に求めないからだ。彼と私の根本的な違いは此処(ここ)だ。私は人に魂の共感を求める。それが無いと分かった人に、私は一切興味が無い。


 二百八

 平板で退屈でこれといった緊張も刺激も無く生きるのに比べて、燃える様な激しい恋は()れ程生きている実感に満ちているでしょう。しかしそれは永く続くものではありません。中心が感情というか、気分だからです。

 愛情の本質は慈悲であり犠牲であるべきです。それは気分ではありません。感情ではありますが感情の核心に紋章の様に信念が()まっています。だからそれは決して消えないのです。


 二百九

 人、一日生きれば何事をか願わずや。高き空に、渡る風に、夕焼の空に憧れを映すは、人性自然の営みに他ならず。またそれを得んとて腐心尽力する迄は、人に許されたるものと信ず。(しか)して委ねるべし。知らず、天意畢竟(ひっきょう)慈悲有情の理に通じ、人の子の悲願切望を知るや否やを。()れど吾を導きたる者皆この道を()きたり。()って道の途上に望みを失わざりき。倣いたし。同じ道を行きたし。同じ(さま)にて暮らしたし。地上の行程当(まさ)に尽きんとするや天より(きざはし)の架かる、登りて其処(そこ)に行きたし。再び共に生きたし。


 二百十

 自分の未来にとって何が正解であるのか、それを『当てる』のではありません。自分が選んだ道を『この道を選んで良かった』と言える様に変えて行くのです。こう考えると、道を選ぶ時に或る程度考えた上は天に任せるので良いという事が、よく理解出来るでしょう。

 悩まないのは、意気の強さや覚悟の堅牢さに拠るのではありません。天に任せるべきところと自分の努力に拠るところの区別がついているという事なのです。

 ブログは毎日更新しています。

https://gaho.hatenadiary.com/

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ