その三十八
千七百三十七
北海道の地名にアイヌ語由来のものが多いのは周知の事実です。しかしその土地の名の下位の、特定の地区の名には、開拓に入った人達由来の名が多いのです。皆で一緒に頑張ろうという様な意味の共和、共栄、栄進、開拓団の内地の出身地の地名或いは開拓者の姓をそのままに頭に地方の名を関したと思われる天塩住吉、石狩沼田、希望を込めた寧楽、幸福などです。皆そのままで、その土地の歴史、由来を示すものですね。私は地図を見る事が多いので、これらの集落の名を見付けるとそれだけで何か微笑ましく、また切ない気持ちになります。沢山の人が住む元気な町になった所もあれば、今は最早誰一人住んでいない名のみとなった集落もあります。人が切ない想いを込めて何かを始める。土地や集落の命名など、その最たるものでしょう。しかしそれが叶ったところとそうならなかった所。私はその事を想うと、それだけで何かの物語が胸に生まれて来そうな気がします。どの集落にも其処に生きた人達の物語があったのです。子供も大人も、夢や不安や希望があったのです。
私はそういう切なくも真面目な話に接したい。それは私の眼前に、私の甘えも真価も全部映し出すからです。真剣に生きた人の記録に触れる事は、自分を明らかにするのです。歴史というものは、それを自分と関係の無いものとして今自分の現実に生きる世界と区別して仕舞わない者にとっては、自分の為の生きた道標なのです。
千七百三十九
焚火、良いですね。昔私の家の近くで、労働者のおじさん達が錆び錆びのドラム缶に薪を入れて時々焚火をしていました。冬、小学校帰りの私は家への帰路時々立ち寄って、火に当たらせてもらっていました。とても暖かく、気持ち良かったのを憶えています。懐中に十円のお金ももっていませんでしたが。
今、何故そんな事を思い出すのでしょう。私は思うのです。今、それを思い出す必要があるからなのだ、と。その時の素直な喜びを、今だってそのまま自分の喜びにせよと言われている様な気がするのです。
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