その三十六
千七百二十九
見ていても見えていない。視ようと思って、則ち此方の視ようとする意志、能動があって初めて見えるものがある。更には『此処にそれが必ず在る筈だ』と信じ強く願って視て、ようやく見えるものがある。
それで良いと思います。そういう深い次元でこそ、この世の秩序は正しいのです。
千七百三十二
『何が何でも生き延びる』、そして『自分らしく生きる』、この正反対と謂っても可い程の両方の意味を、『生きる』という言葉は含んでいます。私はしばしば他人の発するこの言葉に戸惑います。しかし、戸惑うので自然なのでしょう。
この『生きる』という言葉を人が発する時、私はその真意を見抜かなければなりません。これは最初から、そういう此方側の審査を前提にしている言葉なのです。それが、『生きる』という言葉のもって居る謎です。
千七百三十三
自分の人生を選ぶ。そう聞いて、選ぶ余地など無いと思うのも、選ぶ事が出来ると思うのも、どちらも真実でしょう。選ぶ余地無しといえば慥かに余地は無いし、選ぶ事が出来るといえば慥かに選ぶ事が出来るのです。これは両方の場合で自分の立脚している立場が、それを考える時の前提が違っているからです。自分が何処迄犠牲を払えるか、何を動かし難い条件と看るかで答えが違って来るのです。
斯ういう問いは、あなたの日常にしばしばあるのではないですか。自分の前提を知っておきましょう。それはまだしも穏やかな日々のうちに、知っておかなければならないものだと私は思います。
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