その三十二
千五百九十一
金田一耕助でも二十年前の事件を解明するのが限界です。五十年、八十年前の何事かというのは、歴史の彼方に没して仕舞っていて、その面影は勿論最早年長者からの証言さえ得られません。しかし私自身がもう五十年も生きて来ているのです。それを思うと、私はまたしても『そんなに昔の事じゃない』と、それを求めて出掛けて仕舞います。私に『そんなに昔の事じゃない』と思わせるもの、その事の可能性を諦めさせないもの、それが情熱です。人間の生き様に繋がっている情熱です。私は人が誠実に生きた跡を辿りたい。それが見知らぬ、おまけにもう地上には居ない誰かであっても、多分私は一瞬で、一生の友人にするに違いない。
千五百九十二
軽薄。これは基本的にその場の言い方や表情の表し方だけで決まって仕舞う印象ではありません。もっとその人の普段の生き方、感じ方、考え方の集積が人との対話の時に現れて、相手にそう感じさせて仕舞うものだと思うのです。その時その時の自分の言動など、そんなに気にすべきものではない事を知りましょう。大事な事は、その前にもう決まって仕舞っているのです。
千五百九十三
人を慰め励ます言葉とは、どんな言葉だろう。それは屹度、内容で決まるものではないのだ。先ず第一にそれを発する人間が今迄の人生に於いて深い歩みをして来た事が絶対に必要で、次にそういう人間の本心からの言葉である事が必要なのだ。
言葉は、生活から、魂から出て来るものだ。だから真実の言葉には深い想いが、深い生活が要るのだ。
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