その二十八
千四百四十五
中々出掛ける事が出来ませんが、列車に揺られたいです。それも出来れば非電化の路線で、普通列車にずっと長く運ばれたいです。夜に泊まる宿だけ決めておいて、途中何か惹かれたものがあれば其処で途中下車してものを想う。宿の食事は、とても簡素なものをよく味わって食べたいです。そして早く寝て。
大切な人と共に過ごすのは、自分の生活を充実させる為の最も基本的な要素です。しかしその為にこそ、私は時々独りで居なければならないのです。それを大切にする為にこそ、私は自分だけになる時が必要なのです。
千四百四十六
何処が自分の急所でしょうか。それを知っておく事が重要です。それを敵に知られない為にではありません。自分で自分の其処を衝く結果にならない為です。そちらの方が遥かに深刻な動機だと私は思います。わざわざ意図して自分の首を締める人はそう居ませんが、気付いたら締める結果になっていたという事は、世の中に結構あるのです。そんな、笑える様な顛末が。
『他のものは失っても何とかなる。でも、これを失う事があってはならない』
自分のそれを知っている事、これはそのまま自分の一番大切なものを知っている智慧に他なりません。
千四百四十七
登り切った山上からの雄大で荘厳な光景を、未だ山を登った経験の無い人に幾ら言葉を尽くして語っても、それは伝えられないでしょう。その光景を観てみない事には、決して相手に伝わる事は無いのです。それと同じ様に、自分の魂の感動をそのまま相手に伝えようとする試みは多くの場合虚しいものです。如何に冷静に考えても、それは期待出来ません。
しかし此処に面白い事実があって、時々、既に此方の言葉を受け容れる準備がほぼ完全に整っている人が居るのです。これは正に縁であって、他の言葉で表現出来ないものです。何らかの事情で、その人は此方と非常に似た経験を既にして来ているのです。すると、自分の感動を言葉を尽くして説明すると、いや殆ど全くまだ話していないうちから、此方の想いが相手に伝わるのです。どう考えても無理な筈の、心からの感動の共有。それが殆ど互いの努力無しに実現するのです。この場合、実はその感動を共有する為の努力を、お互いが出逢う前に既に十分にしている訳ですね。そんな事が、実際にこの世にはあるのです。
此処が面白いところではないでしょうか。私達が生きているこの世界の。理知では明白に限界を告げられたものが、別のものを動力にしていとも簡単にその限界を超えて行く。人間の活動が理知に留まらない、いやその本流が別のものである事を示してあまりある事実だと私は思うのですが。
千四百四十八
私は自分が誰かに対して、心からの謙遜をもって応じる事が出来れば幸福です。しかし心からの謙遜をもって私が応じるに相応しくない人に心からの謙遜をもって応じる事は嫌ですし、嫌のみならずそれは禁じられるべきものであると思うのです。あってはならない事であると思うのです。自分自身に対する侮辱であると思うのです。
そういう事は、自分の心の裡に一切の不消化を残してはならない性質のものです。若しもそれを犯すならば、其処には拭い切れない澱が残るでしょう。そうやって、心は汚れるものではないでしょうか。
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