その二十六
千三百二十
感動しない人間になりたくありません。しかしこれは、実に難しい、次元の高い水準ではないでしょうか。何故というに、感動しないのは、自分が感動出来るものが自分の視界の中に無いからではなく、それがちゃんと在るのに自分の心がそれを捉え気付く事が出来ていないからです。自分という人間の程度が、その程度だからなのです。
感動しない人間にならないとは、自分が自分を保ち、子供の頃から何も変わらないままに自分らしく在るという事です。難しい事です。でも難しい、だからそれは真実なのです。その為に毎日戦わないといけません。
千三百二十二
何の自信ももてないのは、その人が弱いからではありません。非常に謙虚な人ならば、如何に何事かに成功していても、矢張何の自信ももっていないでしょう。何か事に当たる時に、怖がって震えるでしょう。人間の運命に対する真実の謙遜をもっている人であれば、これは生きている間、一生そうでしょう。自信などもてるものではありません。それが正しいのです。しかし何の自信ももてない事の理由というのが、何事もやってみる事が出来ない、取り掛かり始める事が出来ないというのであれば、それはその人が弱いからです。それは踏ん張って、何かを始めなければなりません。
そしてそういう人が往々にして抱く間違い、詰まり何かを始める事が異様に困難で難しいという誤解を乗り越えて、それがそんなに、素人が雪山を登山するなどといった様な死ぬ事請け合いの恐ろしいものではない事を知るべきなのです。此処で謂う弱さとは汚さとは違います。それは『知らない』事から来る誤解の弱さなのです。真実を知るべきです。それは天の神様がそう命じるからではなく、単純に、純一に、それを知った方が自分が楽しいからなのです。
千三百二十四
『ああ情けない、これが俺が交わるべき仲間だろうか』
ドストエフスキーの『地下生活者の手記』、これを私はどれだけ何度も読んだでしょうか。数え切れない程の回数、読みました。其処に書いてある主人公の心理、私は他人の事の様に思えませんでした。宛ら私自身が描かれている様な気がしました。この本を読んでいる間だけ、私は呼吸している様な気がしたのです。其処に自分自身が描かれている、述べられている。そういうものに接したい。また描きたい。
何処迄も個の内側に深く沈む果てに在るものは、それが本当に正直なものであるのならば、周囲一切と隔絶する孤独な絶望ではありません。其処からはちゃんと、より強固に、人と繋がる経路が見えているのです。その孤独がそのまま即ち他人との連結器になるのです。誠実が如何なる悪いものも生み出さないという、これは決定的な証明だと私は思っています。
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