その二十五
千三百十八
『これではいけない』と思って自分を責める。それが具体的な何かについてならばまだしも、何となく今の自分に満足出来ず、雰囲気として自分を詰責するのは良くないと思います。自分が納得出来ない今の状況、それは自身の怠慢や不徹底から来るものもあるでしょうが、そういう事に起因するものではなく、自分に何の落ち度も無いのに自分にやって来る不運や他人の悪意もあるのです。それは自分が何かを改める事で解決する事ではありません。また抑々(そもそも)自分が反省すべき事でもありません。
これではいけないと思うのは、具体的に自分に見えた事に限りましょう。更にその中で、自分一個の責任下に在る事だけにしましょう。そしてそれを堂々、改める事にしましょう。
千三百十九
これは、或る冊子で読んだ話なのですが、或る貧しい村があり、住人は皆『斯んな田舎の貧しい村は駄目だ。住めない』と思っていたそうです。そこに旅人がやって来て、村人が思っている通り、
「この村は駄目だ。発展しない。良くはならない。皆、別の住む場所に移った方が良い」
と言って立ち去りました。村人は『やっぱりそうだよな』と思って、一層未来への希望を失いました。次に別の旅人が来て、
「この村は素晴らしい村だ。皆で力を合わせて住み良い様に改善しよう」
と言って立ち去りました。すると村人は『此処は、素晴らしい村なんだ』という気持ちが湧いて来て、作物が出来る様に土壌や水利を整え、また救護所を作って村人の怪我や病気に備える様にしていったという事です。何かが駄目で、それはもう救い様が、改善の為の手の下し様が無いと思っていると希望が見えず、そうではなくそれがとても尊く価値あるもので大切なものだと知ると、知るだけで希望をもつ事が出来る様になったというお話です。
この話の眼目は、村人が村を改善して行く具体的行動を示す事にあるのではありません。不満を感じてるだけではなく、何か行動しろという話でもないのです。改善しろという話ではなく、先ず、知りましょうという事なのです。私はこの話にとても感銘を受けました。一番分かり易い例として、この話に出て来る『自分の村』を『自分自身』だと置き換えてみるのが良いでしょう。自分の事を嫌いだ駄目だと思っている間には見えないものが、左程悪くない、寧ろ尊く大切にすべきものなのだと知る事で、全く気持ちも行動も違って来るのです。これは大事です。物事についての解釈を変えるなどという事を言っているのではありません。自分のものの見方そのものを替える事です。より厳密に謂うならば、替えるのではなく『気付く』という事です。私は、何かの方面において自分の能力を高める類の事よりも、此方の方が段違いに重要であると思うのです。
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