その二十一
千百七十三
語る事が虚しい時と場合はあっても、想う事が虚しい場合というのは、時を選ばずありません。
自分がものを、人を想う事を、自らに禁じる事が無い様にして下さい。それは不可能な事であるのみならず、同時に不自然でしかも良くない事なのです。
千百七十五
独り歩く時に、私の大切な人が記憶に無かったとしたら、その人と対話しながら歩けないとしたら、どれだけ淋しいでしょうか。若しかしたら私なら、温泉に入りそれなりの御飯をお腹いっぱい食べて、そして早く寝る事が愉しみになっているのではないでしょうか。いや、抑々(そもそも)面倒で、何処にも出掛けないでしょう。
大切な人と一緒なら、寒い遠い道も大丈夫です。それが、心に人を想うという事です。凄い力だと思いませんか。
千百七十六
不図思いました。私の記憶というのは、物を観ていても人を見ていても、詰まり全て人の記憶だったのではないのか、と。踏切で鉄道を観ていた時にはその列車に乗って行って旅先で出逢うであろう人の、家族で近くの山に登った時には未来に自分が出逢うかも知れない人の、遠く独り旅した時には其処で住んで生きている人の。
私はそういう人間なのでしょうね。そういう人間である事で何も損をしていない、却ってとても大きなものを得られたと思っています。
千百七十七
冷房も無い、薄暗い車内の古い客車に乗って、田舎町の駅前の古い大衆食堂に独り入り、蕎麦でもうどんでも食べたいです。
其処には何が在るでしょうか。何も在りません。しかし其処に行けば、私の側に在るのです。心の表面に浮き上がって来る、手を伸ばせば触る事が出来る程に近い、大切な想い出が。
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