その二十
千百六十九
真夏の暑い午後、木陰の小さな駅のベンチで他に誰一人居らず、蝉の声、止まった空気と時間。小学校四年生の頃。そういうものを五十歳になった今も全く忘れず、それどころか鮮明に憶えて時折回想しているとは、どうしてその時予想出来たでしょう。
人は、いや私は、記憶と共に生きるのです。ずっとそれを、自分の隣に置いて。
千百七十
私の実家では、私が子供の頃からずっと使われていて、今も現役で働いている道具類を家宝指定していて、失くさない様、壊さない様に努めています。斯くも永く働いてくれていて、私の一生の記憶と共に在る。それが私の眼前から失われると、その淋しさは計り知れません。生活から大きなものが欠けた気がするのです。
人は斯んなものでも、それをもって自分の心を豊かにする事が出来るのです。良い事だと思っています。
千百七十一
家屋でも道具でも、飾らないものをどうして麗しく、慕わしいと感じるのでしょうか。若しかしたら、無意識のうちにそれを人間に例えているからかも知れません。
飾らないものは愛想がありません。しかし嘘を吐いていないのです。それが、何とも自然で慕わしいからそう感じるのではありませんか。
千百七十二
言葉にでも何にでも可い、自分が生み出すものに想いを込めましょう。時にはその自分の想いを込めたものが酷い扱いを受けて許せない気持ちにもなるでしょう。出来ない日もあるでしょう。それでも暫くしたらまた想いを込めて何かを生み出しましょう。それが人の心の芯を射当て、深遠にして妙なる響きを奏でる日が来る為に。その日を自分が待てる様に。
ブログは毎日更新しています。
https://gaho.hatenadiary.com/




