その二
二十
人間らしいものが見たい。まず自分の身を捨てる義侠を目にしたい。人間の魂を重んじる深い洞察に接したい。酒が人を酔わせる様にではなく、食物が身体を育てる様に滋養が魂に作用するのを経験したい。
これは贅沢でも特別でもない。普通の人間が求めるものだと信じる。
二十一
「私が誰かを信じる事と、信じたその人が私を裏切る事との間には、何の関係も無かったんだ」
何という深い智慧を示した言葉だろうか。極端に苦しんだから、こういう言葉が出て来るのだ。苦しんで猶望みを失わない人の言葉は、人を底から支えてくれる。
二十二
自分には出来ない立派な事を想って、
「そんな事は現実的ではない」
「そんな事は小説の中の話だ」
と、口に出して言うべきではありません。
口に出して言った途端、本当にその立派な事が、自分にはできなくなるからです。
二十三
私の追うべき健全とは、人が私に説く健全ではなく、私が自分で健全と思うそれでなければなりません。自分の心が激しく感情に揺れる事は、何ら自分の未熟を示すものでもなく、品位において劣るものでもありません。本当の健全とは、必ず豊かな情緒と共にあるものと信じます。生活の凡る事において、自らの感じる事強きを恥じてはなりません。
二十四
はるか昔の事です。父が結核療養の為に豊岡に疎開していた時の事です。
毎日死と直面し、同時に保険も無い時代の話なので療養費を気にして親に申し訳ないと悩んでいたと聞きました。でも少し悩む事を続けると直ぐに熱が出てそれが高止まりしたらもう死ぬ、という状況が続いていたそうです。結婚するなどとんでもない話で、明日のことも分からないつらい毎日の中で、あまり深くものを考えないという事を学んだらしいです。同じ病で沢山の人が入院していたらしいのですが、続けて亡くなっていったそうです。そんな中での事。
或る日父は思い立って、豊岡病院を抜け出し、国鉄に乗って香住迄行ったそうです。暫く熱も出ておらず、禁止されてはいたもののたまにはちょっと外出を、ずっと病院の中なのだからどこであっても行けるなら楽しい、という悪戯半分の気軽な感覚だったらしいです。
香住駅に着いて、行く宛も無く駅前から歩き出し適当に進んで行くと、小さな町なので直ぐに家並みは尽き、道は細くなり、やがて畑の中の畦道に、そして終いには山に続いて行く獣道になっていったそうです。
その時、父は、だしぬけに思ったそうです。「自分は一体、何をしているのだろう」
と。こんな所に来て何か意味があるのだろうか、と。ちょっと病院を抜け出して普通の健康な人の様に小旅行をと思って出て来たが、自分の命が明日をも知れぬという状況は何も変わらない。他の人の様に斯く気分転換に出て来ても、現在の自分の命運からは断じて逃れられない。これは今自分が為すべき事なのか、否、絶対に違う……そう思って、異様に虚しい、恐ろしい気持ちになって豊岡病院に戻った事があると、父から直接聞いた事があります。
父のこの話は深く強く、私の心に残りました。ここには、自分の未来がどうなるのか解らない絶望的な不安とともに、人間が自分の精神を自分で信じられなくなる理由、そういう怖ろしいものが覗いています。この状況から『狂』は非常に近いと思います。しかし同時に、そこを越えてきた父に、私は表現し難い強い愛情を感じます。私は父がこの経験をもっている事を、父の優しさの根源的な理由であると思っています。これあるが故に、私は父を一層尊敬し且つ愛します。私が何かに耐える時、父もそれに耐えて先に進んだと思う事が出来ます。私が経験する事は、父も先に経験したと思う事が出来ます。
魂の繋がり。私は、これ以上強い繋がりを想像する事も出来ません。
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