その十八
千一
若しも特定の現実から、その現実に伴う期待、希望、悲哀等の情感詰まり事実ではない『空想』を一切捨象したとしたら、そんな現実には何の価値も無いでしょう。その場合の現実は、科学的な意味における『研究の対象』に過ぎません。人は世界を研究するのではなく体験し、且つその中で生きるのです。
私は、現実と空想を峻別せよと声高に唱える人を、殆どの場合信頼しません。その表現を用いてその人が言いたい事が何か、もう私には判っています。それは恐ろしく詰まらないものに決まっています。人に何の生きる為の勇気も与えない様な。
千二
遉に大学生以降の記憶は鮮明です。夢幻という訳ではありません。もう一度今から行くとしても、道を間違える事もないし、おおよその距離も分かっています。私はそう思っていました。
ところが過日、私が大学時代に過ごしていた街に本当に行く機会があり、行ってみて驚きました。町並が変わって仕舞っている箇所があるのです。町並が変わって仕舞っているので、自分の思っていたお店やその他の場所が、正確に其処であるかどうか分からなくなっていました。建物もさる事ながら、道路が拡幅整備されている箇所など、最早何うしようもありません。完全に面影が無くなっています。眼を閉じて過去の記憶を引き出そうとしても、今現在の様子を見知って仕舞った後では、空気に触れた遺跡の出土品の様に記憶は色褪せて、一気に形がぼやけて来て仕舞うのです。
時が経つというのは、真実に怖いものです。私はそう思いました。置き去りにされていたのは、私が過去に観た風景光景ではなく、私の方ではないのかとさえ思いました。自分の想い出が生まれ、自分が心の中でその場所に託した私の想い、それが長い年月の間に、私が知らない間に地上から消え去っていたのです。私は本当に怖いと思いました。
全てのものはうつろい行く、私はそう思わない者です。人の心深くに在る切ない想いの永遠不変というものを信じる者です。しかし、それ以外は物凄い勢いで本当にうつろい行くのです。消え去るのです。自分をしっかりもたないといけません。自分で自分の足元に根を張らなければ、このうつろいの暴風に対して自分を保つ事など出来ません。
千三
これは私一個の意見なのですが、優しさというのは、その人のもつ繊細な感受性が他人に対して何かをしてあげたいという欲求をもった時に発現する『形態』なのだと思うのです。言い換えれば、その繊細さが他人に対する憎悪を感じた時、それは悲しみではなく恐ろしい敵愾心、害意となる筈です。ですから私は誰か他人の事を、『あの人は優しい』と軽々しく言いません。優しさだけに傾く繊細さなどあり得ないからです。
繊細というのは大変だと思います。そういう自分を御し、付き合って生きて行くのですから。他人の本当の優しさに触れたならば、私なら寧ろその人の心労を想います。その上でその優しさに感謝し、それを賞賛します。
千四
自分を正気に保っているものは何か。正気の時、落ち着ける時にそれを知っておく事はとても大事です。心静かな時に一番しておかなければならない事は、これではないでしょうか。心騒ぎ乱れる時には、これは絶対に出来ないからです。
自分の正常を維持しているものがあるのです。それが何かを、よく把握しておきましょう。そしてそれを自分から手放さない事を前提に、これからの自分を計画するのです。その時こそ、自分の未来を計画するという作業が真実に楽しいものとなり、またその事が同時に虚しく愚かなものではなくなるのです。特に、自分の人生が望ましい方向に展開して行く時に、人はこの事を忘れやすいものであると思います。
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