その十七
九百九十九
とても小さな頃の記憶です。私が幼稚園か小学校の一年生位の時でした。私の家の前は狭い土道で、少し行くと車通りは少ないものの、ずっと先迄舗装道路が続いていました。これは今でもそのままなのですが、まだ小さかった私はその土道の尽きる所迄しか行っては不可ないと親に言われていたと記憶しています。多分舗装道路に出ると車が来るからだったのだと思います。その土道の尽きる所迄何度も私は行って、西に続く舗装道路とその先を眺めました。冬は西の山の上の方に雪が積もって白く、そして西風がとても冷たかったのを憶えています。私は、
「もっと大きくなったら、あの道路の先迄行っても可いんだ」
そう思いました。そしてその事が、嬉しい様な怖い様な、そんな気持ちになりました。自分の世界が広がる事に対して、期待と不安を感じていたのです。多分、どちらかというと不安の方が大きかったのではないかと思います。この時、私は独りでした。親も近所の友達とも一緒ではありませんでした。何回かその場所に行ったのですが、いつも独りだった様に思います。その後私は大きくなり自転車を買ってもらってかなり遠く迄出掛ける様になりました。また中学、高校になればそんなもの勿論ですが、行動範囲は広くなります。土道どころではありません。そして大学に至ってはもう故郷を離れて遠い学校に行きました。私が大学の生活で一番愉しみにしていた事というのが、故郷に帰る事でした。そして故郷に帰って来て会社に勤め、今に至っているのです。
ところで此処からが本題で重要なのですが、その小さい時の記憶が何故か私はずっと残っているのです。その時に私が観た舗装道路から向こうの世界の光景が、自分の瞼から消えないのです。そしてそれは必ず家を離れて出掛ける時になって、私の瞼に浮かび上がって来るのです。まるで、
「そんな遠くに、本当に行く必要があるのかい?」
という感じで、です。恰も何か悪い事をしているかの様な気がするのです。これは一体何でしょうか。何故私の感覚がそんな気持ちを私に告げるのでしょうか。また仮にこれが何か重大なものを示しているとして、私は何故そんなものを幼稚園児の時点で体験『させられた』のでしょうか。この事を想うと、私は考え込んで仕舞います。何と謂うか、あまりにも何かを背負わされ過ぎている様な気さえして来ます。
この土道の光景、私の大切な記憶の一つです。別にその記憶が毎日毎晩私を苦しめている訳では毛頭ありません。寧ろ大切な記憶です。絶対に忘れたくありません。しかしこの記憶と、それがその後の私の一生全部に亘って私に語り続けた感覚の謎が解かれるのは、私が生きている間にあるのでしょうか。若しもあるのならば、私は心してその時に備えたいと思います。その解かれる瞬間の衝撃は、恐らく最大級のものと想像していますから。若しかしたらこの謎が解かれる時というのは、私の一生の意義が明らかにされる時なのかも知れません。
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