その十六
九百九十五
多分、しっかり生きている人は良い顔、自然な顔をしていると思うのです。姿身形が立派なのは、お金があれば装う事が出来ます。それなりに立派な事を言うのも、実は慣れと訓練でそれらしく言う事が出来る様になるものです。しかし顔は、表情は嘘を吐けません。殊に瞳。
人を観ているのは、それだけで勉強です。私に言わせれば、実に面白い。
九百九十六
仕事でも趣味でも何が詰まらないと言って、その自分の営みが、人の中で生きているのに何ら他者の心に届かない事が分かっている、いや抑々(そもそも)届こうという意志をもっていないという事程詰まらない事はありません。それは、全く人の中で生きている事にはなりません。そういう人に世界は不必要ではないかとさえ思います。私なら、いつも其処を視ていますがね。
九百九十八
愚かとは、自分のしている事の意味を判っていないという決定的な属性をもっています。正にこれが愚かな訳です。しかしそれを謂うのであれば、私も愚かなのです。自分がしている事の意味が皆いつも解っているなどと、私は到底謂えません。
しかし、同じ愚かであっても明らかに段階が違うと思える場合を私は知っています。それは、愚かである事を恐れる気持ちがその人に有るか無いかです。この恐れをもっている場合、その上で間違う事はかなり運命的な様相を呈します。知ろうともしなかった、ではなく、知ろうとしたが及ばなかったと謂えるのですから。そしてその結果は、真実に已むを得ないという状況に近くなるのではないでしょうか。少なくとも両者で後悔の程度は断然違います。
私は恐れながら生きたいと思う者です。斯ういう事を恐れるのは、決して不徳な事でも小心な事でもありません。
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