その十五
八百三十四
目的が何処に在るのか。その人は何をしたいと思っている人なのか。何ういう憧れがその人を突き動かしているのか。私はそれを視ています。その人が実際に何を為したか、それで何が出来上がったのか、ではなく。
この目的の次元、目的の価値、其処にこそその人物の全部が表されるものと私は思います。
八百三十六
世の中で上手くやって行く事が出来る、その事が必要なのではありません。そうではなく、世の中で生きて行く事が必要なのです。上手くやる必要など、何処にもありません。そんな事一つ知っているだけで、人は心に冷静を得る事が出来るのです。面白くも、厳粛な事ではないでしょうか。私は、知らない事。いえ、気が付かない事を恐れます。
八百三十七
滅多に見ませんが、鏡を見て自分が年齢相応の顔になって来たなと思うと、私は同時に何故かほっとした気持ちになります。ちょうど、高い大変な難所の山道をもう越して来たといった感じの安堵なのです。無論まだこの先何があるか分からないのですが、一番大変なところは過ぎたのではあるまいかという安心なのかも知れません。色々、通って来ましたから。
でも、私はそう感じるのが人間として自然なのではないかと思うのです。今からまた自分の若い時代から今迄の事をもう一遍やり直すというのであれば、私は卒倒するでしょう。私はそんな事を、間違っても望みません。
八百三十八
自分の心を言葉にするには、或る程度の語彙と文章の力が必要です。その作業は結構技術的なものですから。しかし、自分の心を行動にするのは、技術を何も必要としません。そして誠実を表明するという一点に於いては、言葉よりは行動に示した方が遥かに相手に伝わり易いのです。
その、テクニックなど要らない自分の想いを行動に表す事というのをやりましょう。必要なのは勇気だけです。技術が無いのは恥ではありません。しかし、勇気が無いのは明白に恥です。
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