その十二
六百八十八
『この世における自分の使命が終わった』
何という幸せでしょうか。果たしたのです。もう此処から先は自分の果たした使命の思い出を回顧しつつ、それを味わって心静かに暮らしても可いのです。そんな境遇以上に幸福なものがあるでしょうか。私には想像が出来ません。しかし、それは遠いのです。其処へは近道は無いのです。其処は、する事が無くなった場所ではありません。果たして、終わった者が行く場所なのです。私は、其処に行きたいのです。
六百八十九
年に一度、近場の何処かに一泊で旅行出来たら、私はそれだけで自分の事をかなり贅沢で余裕のある暮らしをしている人間だと見做すでしょう。仮令普段がお茶漬けだけの食生活で、衣服も下着靴下以外はもう二十年位買っておらず、履いている靴が相当に破けて小指が外に出ていても、です。
人はささやかな事でも、大きな愉しみに、生活の支えに出来るものです。それがささやかな小さなものである事は、何ら恥ずかしい事ではありません。寧ろ私なら、その人の人間性の根幹を其処に見出すでしょう。そういう暮らしの中にこそ、私の心身を健全に健康に保つ要素があるのです。
六百九十
感謝の念をもって恩義に報いようとしている人の表情程良いものを、私は知りません。その嬉しそうな顔、その様は如何でしょう。生きる喜びの表現の中で最も良いものの様に思えます。
その人の為に生きる、そういう人がいる事は斯んなに人を生かすのです。私にそういう人が与えられている事に、例え様の無い感謝を感じます。
六百九十二
淋しさでも、嫌な、それに身を置きたくない淋しさと、此方から焼ける様な渇きをもって慕い求める淋しさがあります。後者は私を生かすものへと繋がっています。私がそれに接して、やっと自分を確認出来る様になるもの、なのです。だから私はそれを求めます。
私はこの事の全体が何となく、どういうものかを感得出来ない人間を私の友人にしません。淋しさは、ちゃんと人を正し、慰め、前を向かせてくれるのです。
六百九十三
人が自分の日々の暮らしにおいて堂々と隙を見せて生きている事、そうする事を禁じられていない事が、私には一番『人間らしい』様子に見えます。私はどうも、そうしていてなお優しい人を見た時に『人間らしい』と感じる様です。決して人前で自分の隙を見せない、謂い換えれば何かの鎧を着ている人を見ると人間の面影を感じる事が出来ない訳です。私の好きになった人は、皆そうでしたから。
六百九十四
長く生きたら偉い訳ではありません。卑怯で自分の保身ばかり考えている人間も、長く生きるからです。しかし長く生きて来たならば、歴史が出来ています。その自分の歴史が自分を励ます様にしないと。そう自分の歴史を創らなければならないのです。自分を励ます事の無い、却って後悔と無意味で今の自分を苦しめ、この先自分が生きる意味を判らなくして仕舞う歴史とは、一体何でしょう。今迄自分が生き延びる為だけだった営みの歴史とは、振り返った時如何いうものでしょう。
此処です。此処が徹底的に、人が運命から逃れられない点なのです。人の上に広く被さる、恐ろしい程の畏怖すべき平等と差別の無い法則が活きているところなのです。人は生きて来たその報いを、天国や地獄で享けるのではありません。生きている間に、この地上で、決定的に受けるのです。
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