その十一
六百八十二
一度、物質的には満たされて不自由不安の無い暮らしをしている人の生活の実態を知る機会を、出来ればもってみるべきです。そういう人で心が満たされた顔をしている人、内に喜びをもっている事を感じさせる人は非常に少ない事が分かるでしょう。それだけ、人は自分の生活を物質的に保証する事に熱心で、精神的な喜びを積み上げる事に疎かなのです。正に今のうちに、自分が今熱心になっているものが実は何なのかを知るべきです。
六百八十三
徹底するという事の強さは、自分の退路を断つという事よりも、不徹底による後悔を完全に吹き払う事かと思います。次に再び先に進む事を阻む最大の要因、それを何だと思いますか。私なら、自分が先の事を不徹底にしていたという後悔です。若しも徹底的にやっていれば道が拓けたかも知れないという、踏み出す脚に絡み付く後悔です。それを完全に吹き飛ばす為に、私は今の自分を、均衡を失う程に徹底したいのです。
六百八十四
生きている次元が全く異なる相手と、まともな会話は通じません。これは仕方の無い事です。そういう人間と心を通わせるには、此方の覚悟とそれから天の時が必要です。それらが備わっていないのなら、素直に放擲しましょう。何故と言って、自分が全力で取り組まなければならない事は、間違い無く他にもあるからです。
六百八十五
飾らない時代、飾る余裕などなく生活一つで懸命だった時代、その時代には人間の人間性がそのまま現れていました。それ故に差別など現代よりも良くない事も多々ありましたが、それがために涙の落ちる様なあたたかな情感もあったのです。現代を観て下さい。素のままの人間性は、雑然とした得体の知れない、何の為にあるのかも判らない様な粗大で雑多なものの向こうに隠れています。雑物が隠し、また人間性自身も逃げ隠れています。怖がっているからです。結果、何も見えません。見えるものは値打ちの無い、名前も無い馬鹿馬鹿しいものだけです。
そんな昔の時代に在った良いものを、私は書きたい。それが今もずっと伝わる私の父母の家で、私はそれに支えられ、生かされて来たのですから。
六百八十六
自分が賭けて負けた、期待した結果が得られなかった、そういう事が多くあってもそれは自分の間違いではありません。恥ずべき、悲しむべき後悔とは無縁のものです。だからそれを回顧して苦しむのは、自分の誤解なのです。それは何かを勘違いしているのです。それは寧ろ誇るべき事です。その積み重ねが、人の思索を深く、眼を透徹して見える様にし、次に自分の眼前に現れる何事かに対して、より深く確固とした想いで相対する事を可能にするのです。それが人の深みを創るのですよ。
その為の歩を進めたのです。臆病に引っ込んでおらず雄々しく賭けた事を、絶対に何か自分が馬鹿だったかの様に思ってはなりません。
六百八十七
『是非も無い』、その事が善いか悪いか、巧みなのか拙いのか、そういう事を最早考えないという状況を示している言葉です。私はこの言葉がとても好きです。どんな時に斯くの如く言っても可いのでしょうか。普段からよく想い、考えている人が思考を捨てて、自分の抑え難い情熱に従う時だと思います。だから私は好きなのでしょう。そういう時には、普段内に在るとても大切なものが、表に現れるのです。一番そのまま、その人の正体が見える瞬間だからです。
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