その十
五百三十九
本心からの言葉には力が入る。それを手加減しなければならない根拠が何処にあるのか。自分の衷心からの想いを言明する事を憚らねばならない理由があるなら、誰に言われる迄もなくちゃんと自分で感じ取っている。
人と通じ合う為の最大の手段を、私なら簡単に自ら封印しない。
五百四十
人が自分の事を信じてくれなかったとしても、それは仕方がありません。自分が他人を簡単に信じないのと同じ事です。しかし自分が他人に信じてもらえなかった事実は、この先出会う人々にも自分が信じてもらえないと今から決めて仕舞う事には、如何なる意味でも繋がるものではありません。此処を知っておく必要があるのです。
これは当たり前の話で何ら説明を要しないものなのですが、猛烈に忘れ易い事なのです。人と会う事は、何をどうしようがまた何処からどう観ようが、毎回其処から新しく始まるものなのです。自分が予めその意義について何か決めて仕舞っていなければ。
五百四十一
私は整理をするのが好きです。昔大切だと思って捨てずにとっていたものを、遉にもうとっておく必要を感じなくなって一点一点確認しながら処分します。勿論、今でも大切なものは捨てません。死ぬ迄とっておきます。空いたスペースにまた新しく物を入れます。宛ら、人生に何度も繰り返すタイムカプセルですね。そうしながら思うのですが、その作業をする時私はいつも幸福なのです。自分の人生を顧みて昔より今が幸福であるとは思いますが、その所為ではない様に思います。多分、昔のその時の自分を思い出し、その時の自分を支えてくれた何かを思い出し、改めて自分の人生を辿り、その間に自分に寄り添ってくれた人達を思い出すから、幸福なのでしょう。そしてその時から今に至る迄自分で自分を裏切った様な暮らしをしていないから、幸福なのでしょう。
これが、自分から捨てない限り絶対になくならない喜びです。斯ういう喜びを味わう事の出来る自分であらねばならないのです。これを失うと、人は今の私が時々見かける様な堪えられない顔になるのだと思います。
五百四十二
旅をする。そして、帰る所がある。帰る所とは、自分の帰りを待つ者が居る場所ということだ。それだけでもう十分に幸福であり、其処に更に条件を加える必要を感じない。思い付かない。それだけで既に天国に居る人間に、私は世の中に出て行くべきだとは敢えて言わない。それよりも、その大切な場所を、自分を待つ者を、絶対に失わない事を基準に生きるべきだと言う。
六百七十四
昔風の駅舎が少なくなりましたね。都会の駅は何処でも全く同じ様な外形と構造です。不自然に明る過ぎて、そして駅なのか商業施設なのか判りません。其処から列車で遠くに旅をするという雰囲気ではなくなっています。
鉄道の受け持つ社会的な役割が変わって来ている事は否めません。庶民にとっての唯一の中長距離移動手段では最早ないのですから、これは時代の流れなのでしょう。しかし、無骨であっても人の心に優しく寄り添うものが、どんどんと減っている様に思います。何か、自分で創りたい気がしますね。余分なものが一切付いていない、そして人間が迷わない判り易いものを。
六百七十九
口に出す前に『これをこの人の前で話しても可いだろうか、この人であるならば間違って伝わらないだろうか』と心配する温かい躊躇を眼にしたい。
『自分は自分の大切なものを失わないだろうか、どうすればもっとそれを大切に出来るだろうか』という臆病な真摯を洞察したい。
『もうなくなって仕舞った。しかし想い出としていつ迄も私の心に残っている』と、涙と共にその事の祝福を味わっている悲しくも崇高な微笑の隣に居たい。
人間らしい態度に接したいです。人を人として扱っている姿勢に触れたいです。それは私を蘇らせるのです。
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