第七話 卒倒
雪さん?
雪ちゃん?
ユズキ?……もとい。
柚季さんと彼氏彼女の関係になった俺は早速、ドライブデートを開始した。
恥ずかしいことに、ハンドルを握っているのは自分ではない。
俺の彼女だ。
大事なことだからもう一度だけ言っておくが「俺の人生で初めてできた彼女」だ。
そして、ヲタ活している間の彼女の呼び名については「雪さん」で統一させてもらいたい。
俺が本名である「柚季」と口走ったときは、ムードを大事にしたいアレコレがこの先に待っているんだなと諸君には察していただけると助かる。
朝から、KAREN運営のポスト待ちしていた俺たちは、初回出現場所のヒント画像とコノミの笑顔が切り取られた一枚の写真に釘付けになった。
まあ、そこからの話はハイライトでお送りしようと思う。
最初のコノミの出現場所は神奈川県某所のCDショップだった。流石に今から首都高速を乗り継いで都心部を抜けたと言え、ゲリライベントの開催時間内の到着が絶望的だったので雪さんとともに、第二出現予想場所へと向かった。
コノミの昼のイベント会場は新宿だ。昨晩の兄妹の会話から入手した極秘情報。
「なんで孝晴くんはコノミが来る場所をそんなに自信もって断言できるの?」
横で運転してくれている雪さんが不思議そうに問う。
「今は運転に集中して?後悔もさせないし、ちゃんと落ち着いて理由を話すから」
「わかった。信じる」
今この場でゲロってしまうのはマズい。
衝撃の事実に動揺した雪さんが安全な運転操作を続けられるとは思っていなかったからだ。
決して勿体ぶっているわけでもなければ、決心がついていない訳でもないことは理解してほしい。
俺はとうとう新宿へひた走る車内で、雪さんに「俺の実の妹がコノミなんだ」と伝える覚悟を決めはじめていた。
無事故で無事に新宿に到着し、某CDショップへ入店する。
イベントスペースがあり、アーティストやバンド、アイドルが催しを行うことのできる店はこの店舗くらいしかない。
「音楽無ければ人生でない」って有名なあの店。
ちょっと和訳が違うかもしれないが流してくれ。
既に店内にはチラホラと赤色を基調とした持ち物で固めているヲタクがいた。
みんな考えることは一緒なのだろうし、ゲリライベントの精度高めな答え合わせが出来ていると思うと心強い。
雪さんにコノミの雄姿をその角膜に焼き付けてほしかったので、イベント設営が始まってすらいないスペースの最前列で予め待つことにした。
今から陣取ったこの場所を離れなければ、おそらく最前列でイベントを眺めることができるはずだ。
諸君には結果を先にお伝えする。
俺の読みは見事に当たった。
約二時間後、コノミが店内に出没した。マネージャーの三上さんも同伴している。
雪さんはコノミから目が離せないようで、まるで仏様でも見ているかのような眼差しで、コノミのゲリラ出現や臨時のトークイベントを見守っていては、黄色い歓声をコノミに浴びせ続けた。
熱狂的なヲタクを発見したコノミは雪さんを殺すように爆レスする。
そのたびに魂が抜けていく我が彼女の表情を見て笑い、我が妹には大変感謝した。
イベント終了後、放心状態の雪さんに俺は話しかける。
「今日も可愛かったねぇ、コノミ!」
まだ夢見心地の雪さんは現実には返ってきていない様子で、目を潤ませながらつぶやいた。
「ほんっとうに、尊かった。イベントに参加出来てよかった……。」
スーハ―、スーハ―と深呼吸を繰り返している雪さん。
これは過呼吸の前段階ではない。
気持ち悪いタイプのヲタクが「推しの残り香」を楽しんでいるときの動作だ。
平たく言うなら、「推しには見せてはならないヲタクの闇」とでも言おうか。
誤解しないでほしい。
コノミが残した香しい甘い香りはきっと彼女の鼻腔を擽ることはない。
まして実際に匂いが残っているわけでもない。
この場所で思いを馳せながら深呼吸することにこそ、意味がある。様式美ってやつだ。
同性でなければ犯罪の香りがしてならないが、人には人それぞれの楽しみ方があるということで理解してあげてほしい。決して、物理的に接触しているわけでは無いのだから危険性はない。犯罪予備軍だ。
俺は壊れてしまった雪さんの手をひき、店を出る。
今日から改めて俺の彼女なのだ。
手を繋ぐことも造作もない。
と思ったが、か弱い手にキュンとした。ちっちゃい。
車内で二度目の出現予測について議論したいところだったのだが、新宿のイベントで、至近距離でコノミ成分を沢山浴びてしまった雪さんは、時既に遅く……。
一日の標準コノミ摂取量を超過している様子。これ以上の本日の推し活は生命存続の危険あり。
それからというもの、他のヲタクたちに他場所のイベント会場では最前列を受け渡すことにして、今日のゲリライベントを追っかけるドライブデートは無しになり、カフェで感想戦とした。
これもこれで、こんなに可愛い彼女とカフェで一息つけるのだから俺は役得だった。
「ごめんね、オニイさん。私、もう無理かも……」
「近かったもんね、心臓飛び出そうなくらいに……」
ここは一旦、雪さんに乗っかっておく。
いつ事実を切り出すべきか、迷ってきた。
「雪さんって何気にゲリライベント初めてじゃない?」
「そうなの。地方組はどうしても関東のイベントってフットワーク軽い訳じゃないし、ゲリラ予測が正確とも限らないからね」
ヲタク特有の早口が炸裂してしまっている雪さんを俺は微笑ましく眺める。
「あんなに近くでコノミをじっくり拝めたのって久しぶりだよ……。本当にありがとう」
「よかったね」
俺はこんなことを考えながら無事、ゲリライベントの一つを消化した。平穏無事。
だが、雪さんはとんでもないことを言い始めた。
「オニイさん、私さ……。今日はもう地元に帰る元気ないや。お家に泊めてくれないかな?ご両親にもちゃんと挨拶して大人しくするからさ」
えっ??もちろん、客を招き入れるくらいの余裕は我が実家にもあるが、どう家族に説明すればいいのか判断に大きな迷いが生まれる。
「いいけど、二つくらい大きな壁がある。俺、女の人を実家に招いたことないから、きっと疲れを取るにはそぐわないよ?俺んち」
「いいよ。一晩ごろ寝させてもらうだけでいいから……お願い」
こんな顔で懇願されて誰が断れようか。
結局、俺は玄関前まで、雪さんにもう一つの「壁」について説明することはできなかった。
◇◆◇◆
まずい!まずい!まずい!まずい!まずい!まずい!まずい!まずい!
まずい!まずい!まずい!まずいいいいいいい!!!!!
雪さんと俺はとうとう我が実家へと到着した。
まだ夕方だが、辺りは真っ暗。
イベント後のコノミ……恋乃実はまだ家に帰ってきていないはずの時間であることは助かった。
予め、家族のLineグループで家族には説明しておいた。
「今晩、彼女を紹介したい。そして一晩泊めさせてあげて」と。
おっとりした母ちゃんは直ぐにスタンプで驚きを表すと、続くメッセージに「お赤飯炊かなきゃ!」って騒々しかった。それ、ちょっと違うよ?とツッコミたかったが、女っ気ひとつ無かった息子が初めて彼女を紹介すると言い出したのだ。少々抜けた喜び方でも、前向きに思ってくれて正直嬉しい。
しかも、今晩は腕によりをかけて晩飯を準備してくれるらしいからなおの事だった。
父さんからは「めでてえ!」と一言。母ちゃんを煽るのはやめてくれ。
一つ問題があった返信はやはり恋乃実からのものだった。
「え~~~!!!!おにぃ、彼女いたの!!??ご挨拶しなきゃ!!!直ぐ帰るからね!!」
今、雪さんと恋乃実を近づけるのは危険な気がする。
きっと、雪さんの命日が今日になる。せっかく彼女ができたのだ。これからも健やかでいてほしい。
早急に延命処置を実施しなければ、一晩で休ませるどころか、泡吹いてぶっ倒れてしまう。
「雪さん。一つ黙っていたことがある」
「うん。何でも言って」
俺の真剣な表情に誠心誠意応えてくれた雪さんには申し訳ない。
いや、ヲタクとして喜んでくれると嬉しいとは思っていたが、全くこの先想像がつかないことに恐怖した。でも、言っておかなければ雪さんの命が危ない。
「実はさ。コノミは俺の妹なんだ」
「今?推し方の話?」
「違う。実の妹なんだ」
「ああ、ご家族に紹介する前に緊張を解こうとしてくれてる?やさしいね、孝晴君は……」
っっちがぁぁーーーーう!!!!泣泣
俺はこんな数奇な兄貴をやっている自覚が足りて無さ過ぎたことに今初めて気が付いた。
コノミの熱心なヲタクに一度「俺の妹なんだ」と紹介したところで、現実味に欠けていることに対して。冗談の一つとして捉えられてしまうことに予防策を持ち合わせて無かった。
結局俺は「トップアイドルの妹がいる」と伝え損ねた。
柚季さんを「雪さん」として、彼女の太陽様菩薩様が居る、我が実家に招いてしまったのだ。
そして、ひとつ屋根の下ならまだマシ。
柚季さんと一つ部屋の中、一夜を過ごすことになるなんて……。
(第八話へつづく)
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