第六話 交際宣言
長めです。お楽しみください!
午前六時。俺はJRを乗り継ぎ、代々木駅に到着した。
駅の改札を出て道に出ると、目の前に白色の車が一台いる。
「オニイさん、おはよう!代々木駅前に六時で予定通り。赤じゃない、白色の車」
予め、メッセージで悔しがってた雪さんが借りてきた推し色ではないレンタカーだった。
車に近づいて、助手席側から運転席を確認すると今日も見目麗しい女ヲタの雪さんが座っていた。
窓ガラスにノックして、こちらの到着を知らせようと車に近づく。
雪さんも気配に気が付いたらしい。こちらに気が付くと直ぐに笑顔を光らせる。
今日もバッチリメイクしなくとも輝いている雪さんが眩しすぎて、俺は果てそうだ。
「おはよう!オニイさん!!!乗って乗って!」
そろそろ、この物語を楽しむ諸君たちも、俺がオニイさんと言われてしまうことに慣れてきてくれた頃合いだろうか?悪い気はしないだろう?
「おはよう、雪さん。お邪魔しまーす」
助手席に乗り込んだ俺はたわいもない朝の挨拶を始めたかった。
「雪さん、今日は誘ってくれてありがとうございます。正直めっちゃ助かります」
いくら実家住みとはいえ、自家用車を乗り回すわけにもいかない。
父さんの大切な愛車は平日はガレージで眠っている。
傷一つ付けると厄介だ。多分二週間くらい父さんの笑顔が泣き顔に変わってしまう。
コノミと同じで大切に扱ってあげなければならない。
「ほんと?いや、結構強引だったかなって気になってたんだよね」
いやいや、絶対そんなことない。
雪さんだぞ?ヲタクの間でも有名な美人女ヲタの雪さんだぞ?
狭い車。密室の中で二人きり。
例え、推しの尻を追っかけまわすゲリライベントに参加するためとはいえ、こんな僥倖あってたまるか。もうすでに車内は新車のような匂いの背後に、雪さんの香水だろうか甘く芳醇な香りが漂っている。ご飯は三杯くらいいけそうだ。
「まったく気にしてないっす。ほんと、都内住みだけど、脚は無いんで助かります」
「ならよかった。今日はよろしくね!」
「はい。お願いします!」
こうして、長い長い一日は静かに始まった。
そしてこの時の俺は今日のイベントが終わるまでに「彼女」ができることなんて想像に無かった。
◇◆◇◆
朝も早かったので、一旦カフェに雪さんと入って朝食とした。
雪さんはせっかくのホテルの朝食バイキングを諦めてゲリライベントに待機しているのだ。
そこら辺のヲタクとは面構えが違う。
いっぱい餌付け……じゃなかった、いっぱい食べさせてあげよう。
「とりあえず、まだ時間早すぎるしポスト待ちって感じよねぇ?」
雪さんが聞いてきた。
KAREN運営から何かしらのゲリラ情報が解禁されない事には動きようもないのだ。
その点、所謂わかっているタイプの雪さんは同意を求めてくれてることに俺は気が付いた。
「当面はゆっくりしてましょうよ。流石に腹が減っては何とやら…ですわ」
今日一日ハンドルを握っていただくのだ。
英気は養ってもらうに越したことはない。
俺は雪さんへメニュー表を広げて渡すと、ニッコリ笑顔の雪さんは「ありがとう」と言ったっきり、メニュー表とにらめっこ中だ。
「わたし、お腹空いてるの。引いちゃうくらい食べるけどいい?」
「了解です。全然。何なら余ったら残飯処理できるんで、遠慮なくどうぞ」
今回の朝食のお支払いは俺持ちだ。
運転手への労いを忘れたくないし、疑似的なデートだと思っている俺としてはここは常套句「女性にお支払いさせるわけにはいかない」を発動させた。
ここで諸君に懺悔するが、いい顔をしてデキる男性ブッてみたが、レンタカー代と駐車場代などの諸経費については事前に雪さんと認識合わせ済みで折半の予定だ。
これはヲタクがヲタ活する時……ギブアンドテイク。ウィンウィン。
そんな関係に落ち着くための大事なルールだ。
お金で揉めると人間関係が崩壊しかねない。
上下関係や貸し借りを作らないためにも、俺は大切にしておきたい。
雪さんが備え付けのベルで店員を呼ぶ。
店員が席にやってくるまでに滅茶苦茶小声で言ってくる。
「本当に遠慮しなくていいの?」
「いいよ。運転してもらうんだし」
「ありがとっ」
とてもこの華奢な身体に入っていくとは思えない量の注文をした雪さんは満足げだった。
こんな量平らげてしまったら、太ってしまいそうな朝からカロリー過多な配膳。
ペロリ、ペロリと雪さんのお腹に消えていくものだから気持ちがいい。
耐えてくれ!俺の財布!!
◇◆◇◆
飯を食い終えて、ティータイム。
あまり雪さんとサシでイベント参加することがないので、新鮮な気分に浸っていた。
好きなものがたまたま同じということで雪さんとは知り合ったが、リアルのプロフィールについては謎に包まれている。以前、諸君に話したが、俺は彼女の年齢、本名ですら知らない。
でも、知り合って数年というところで、今はヲタ活と関係ない休憩時間なのだから、雪さんが許してくれるなら俺は彼女のことがもっと知りたいと話題にしてみた。
「雪さん。今日は地元に帰らなくて良かったんですか?」
「うん。昨日も言ったけど、今日はオフなの。アイドル活動の話ね?」
「わかってます。調子はどうですか?」
俺は全くと言っていいほど、雪さんのアイドル活動に関して干渉してない。
地域密着型のアイドルなのだからネット情報も少ないということが一番の障壁だったが、やはり中途半端に応援し始めるのが一番本人に失礼だと思っていたからだ。
「アイドルでいる間はすごく楽しいよ。コノミもこんな気分なのかなって思うこともあるなぁ。何よりファンの人がいてくれるのが本当にありがたいと思うし嬉しい」
「へぇ」
顔を綻ばせている雪さんがあまりに幸せそうな顔をしているものだから、会話を繋げる脳の思考回路が繋がらなかった。
「雪さんってユズキって名前で活動してるんですよね?ユズキって本名?」
「本名だよ?私の下の名前がユズキ。ズを取ってユキ。だからハンドルネームは雪」
「チケットも交換したことないから知らなかったんですよね」
「え?私は知ってたよ?孝晴くん」
よどみなく、俺の本名が雪さんの口から出てきた。めっちゃ驚いた。
過去にお伝えした事あったっけ?
「恥ずかしいっすね。鬼居と言われないとむず痒いというか。。」
「わかる。今更ハンドルネーム捨てて本名で皆に呼ばれるのも恥ずかしいかも」
雪さんは目を細めて照れていた。めっちゃ可愛い。
「もう知り合って数年だけど、雪さんの歳も知らないしどこに住んでるのかも知らないや」
「え?隠してるわけじゃないんだよ?歳はコノミの五つ上。今は大阪住み」
「え!!??雪さんって俺の同い年だったの??年上のお姉さんかと思ってたわ」
「ははっ。じゃあオニイさんとはタメ口で大丈夫だね。なぁんだぁ。損したって思った?」
「損したって。笑うわ」
この瞬間、雪さんが俺の中で「雪ちゃん」になった。
各個人の私生活関係なく知り合える特殊な空間がアイドルの現場。
その反面、引かなくていい線引きをしてしまうこともある。
今度から同い年の女の子として雪さんとは接したいなと思った。もちろんコノミのヲタクとして。
「オニイさんは?都内住み?」
「そう」
「彼女はいるの?」
「へっ???」
雪さんの口からさらっと飛び出てきた言葉。「彼女はいるの?」が突き刺さる。
居るはずがない。
俺は生まれてこの方、一度もお付き合いした女性がいたことはない。
これは言い訳になるかもしれないが、あれほど可愛い妹がいるのだ。
将来は妹と結婚するとまで思っていたが、幻想と気が付くまで随分時間が掛かってしまった。
その結果、年齢と立場に相応しくない俺が完成してしまった。
そう。女の兄妹がいるからこそ「女性の扱いはそれなりにわかっているつもり」だが、貞操は守られている稀有な存在こと俺。どこに出しても恥ずかしくないと自負している。
いや、捨てれるものなら今すぐにでも捨てていいちっぽけなプライドだ。
「彼女の情報いる?」
雪さんに冗談ぽく言い返してみる。
「いるいる。気になるじゃん?」
「俺、彼女いないよ」
「そうなんだ。私も彼氏いない!」
「アイドルやってるんだから彼氏いた方が問題になるでしょ?」
「そうかな~?」
「そうだって。ファンの人が悲しむと思うよ?」
「そっかぁ……。じゃあオニイさんはコノミに彼氏がいたら悲しい?」
この質問は根深い。
トップアイドルだって一人の人間なのだ。
恋をすることもあれば、恋愛関係、はたまたその先の関係に進んだって何ら不思議はない。
もちろんアイドルという職業を選んでいる以上、問いたいこともある。
「夢を売る仕事で彼氏がいるとはどういう了見だ」と。
だが、よく考えてみても欲しい。
推しのアイドルの幸せを願い続ける立場である有象無象の俺たちファンは本来、推しのアイドルの熱愛がすっぱ抜かれた時だって、彼氏がいます宣言された時だって、結婚宣言された時だって、はたまた妊娠報告された時だって、彼女の人生に幸あらんことを祈って静観するべきだ。
他人の人生なのだ。
その人が幸せであることに越したことはない。と、俺は思う。
こと、コノミに限っては俺は法的関係の下、家族ではあるが、コノミと「家族を作ること」はできない。その点、世界をどう探し回ってみても他の誰にも与えてられてない称号である「コノミの兄貴」という大切な宝物は死ぬまで手放したくない。
恋乃実が今日も幸せでいるなら、例えコノミに彼氏が出来ようが、知らないところで彼氏に股を開いてようが、俺らファンにバレなきゃなんでもいい。コノミが幸せなら。
「いや。コノミに彼氏がいるって想像かぁ……。何なら嬉しいかも」
多分俺は特殊な拗らせてないヲタクなのかもと思いながら、雪さんに返事した。
「どう嬉しいの?」
興味深々な表情をしてくれている。
口にクリームついてるよ?雪さん。
「俺はどちらかというとガチ恋には否定的な立場なの覚えてる?」
「もちろん」
あ、覚えてくれてたんだ、雪さん。
ペロッと舌を出してクリームを舐めてる。
「どう考えたって、俺とコノミは恋に落ちないしありえないんだよ。だから俺が幸せと感じる前に、勝手にコノミが誰かに幸せにしてもらえるのであれば、コノミに彼氏がいたって構わないかな。公表されたときにどう思ったかについては考える」
考えるも何も、考えたところでコノミと付き合えるわけでは無いのだ。
コノミはトップアイドルだから。
コノミは俺の妹の恋乃実なのだから。
「オニイさんの応援の行きつく先は一体何なの?それだけ達観してると他のヲタクとは違って見える」
ここで、雪さんに「妹だから」と白状すればどれだけ楽になれるかは置いておく。
そしてこういう質問にノンインターバルで答えられる答えを俺は用意している。
「俺はコノミの応援は義務感なんだよ。出会ってしまったからには仕方ない的な。だから、俺にだっていつか彼女はできるし、家庭もできる。でも、コノミにも幸せで居てくれよ?って考えは変わらないかな」
「なるほどね。オニイさんの言いたいことはわかった気がする」
わかってくれたんだ、雪さん。こんな拙い説明で?
「つまり、オニイさんを狙えば私にもチャンスはあるってことね……」
ん……。今、雪さんの口からとんでもない言葉を聞いた気がする。
何??? 狙う?私にもチャンス??? ほわぁい、WHY??
どうしてそうなった?いや、確かに俺は一向に構わないけど!
雪さんに狙われてもいいけど!!
沸騰しきった情緒で俺は冷静に雪さんに返事する。
「嬉しい言葉だけど雪さんもアイドルじゃん。大変でしょそういうのは……」
「地域密着型って言ったって、コアなファン層は私の親世代の人ばかりなの。もちろん、若い人も応援してくれてて本当にありがたい。そのことは忘れずに言うけど、今は私も幸せになりたいの」
「幸せって何?」
なんの話をしているんだ?脈絡がないような気がしていた。
だが、次の言葉を諸君にも耳の穴かっぽじって聞いていてほしい。
「わたし、彼氏が欲しいんだ。私を癒してくれる、大切にしてくれる彼氏」
開いた口が塞がらない。まだ、朝も朝だぞ?
脳味噌が起きているか怪しい。なんなら、二度寝だってかましてやりたい時間だ。
「孝晴くん。私と……付き合って?」
「え??」
唐突な言葉が出てきた。
雪さんの真剣な表情が俺を捉えて離さない。
これはマジのやつだ。
俺は、一旦コーヒーを一気飲みする。
勢いよくカップを傾け過ぎた。
鼻の穴までコーヒーが侵入してきた。
え、今俺告白されたの??もっと雰囲気大切にした方がいいの?経験ないからわかんねぇ。
でも、間が開いたら間違いになりそう。
せっかく降ってきた幸運?到来した春?
でも、次視線が合うまでに答えは用意しておいた方がいいよな。
なんて言おうか、諸君…助けて。
「癒せるかわからない。でも、大切にする自信はある」
不安に溢れていた雪さんの表情が明るくなった。
「大丈夫だよ?十分癒してもらってるから。ね?」
雪さんが視線を落として恥ずかしそうにしている。
この顔の雪さんは見たことがない。
女の子の顔。
「俺で良ければ、よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします!!」
この上ない笑顔の雪さんは、今日から俺の彼女、本名をユズキというらしい。
なんとも、ご都合主義ここに極まれり!という展開で申し訳ないが、その後の雪さんの語った言葉に何もかもを察してほしいので、このまま彼女を見守ってほしい。
「よかったぁぁ~。嬉しいよ。孝晴くん」
驚きが隠せない。こんな春が来ていいのか。
まだ秋だけど。寒くなり始めた秋だけど。
「実は、ずっと好きだった。でも、やっぱり言い出すのは勇気がなかった」
雪さんは、無邪気に大好き宣言してくる。
「私、付き合うならアイドルヲタクの人なんだろうなって思ってた。大学でも声かけられたことはあるけどやっぱりなんか違った」
「どう違うの?」
「みんなチャラい。私、自分でいうのも恥ずかしいけどモテちゃうの。なんでだろうね?」
そういうところだぞ、雪さん?
その笑顔が人を駄目にするのを本人が一番わかってない。
「でも、アイドルヲタクってみんな一途。推しを大切にしてるから、自分もそんな人たちに大切にされたいって思いがやっぱり忘れられなかったの」
顔を真っ赤にする雪さん。
このまま止めなければ耳まで真っ赤にしそうな勢いだ。
諸君、聞いたか?
アイドルヲタクは実は需要があることに俺もたった今気が付いたぞ。
「だから、私はお付き合いするならアイドルヲタクがいいなと思ってた」
「うん」
「だから、今日からオニイさんじゃなくて、私はあなたのことを本名で呼びたい」
「みんなの前では流石にマズいんじゃないかな……」
「なら、二人でいるときだけにする。特別感、でるでしょ?」
俺は雪さんの特別になってもいいんでしょうか?
「じゃあ、俺も雪さんのことをユズキって呼んでいいの?」
「……うん。いいよ」
忘れないでほしい。早朝ではあるが、ここはカフェだ。
そんな顔しないでくれ。他の人に見せられない熱の籠った表情。
「ユズキってどういう字を書くの?」
「ちょっと待ってね」
雪さんは手持ちのバックの中から可愛らしい手帳を取り出す。
引っかかっているボールペンを手に持ち、机にあった紙ナプキンを手にとる。
左手で丁寧に文字を書いている。
雪さん、左利きだったんだ。
「はい。改めまして、雪村柚季と言います。よろしくお願いします!」
「ありがとう。ちょっと貸して?」
俺も雪さんに習って、紙ナプキンを一枚とると、本名を晒しておく。
「はい。改めまして、大崎孝晴です。末永く、よろしくお願いします」
付き合い始めたのに、本名から名乗りあうところが他にない光景だと思う。
でも、お互いに自分の好きなもの、考え方を広く知り合った仲だ。
そしてこれから、ゆっくりお互いを理解していけばいい。
って、あれ?本名にも「雪」って入ってんじゃん。知らなかった。
諸君はすっかり忘れたころだろうが、今日はゲリライベントで雪さんとは二人っきりのドライブデートでもある。ゆっくりのんびりいろんなことを考えていけばいい。
悪戯な笑みで俺の彼女になった柚季が言う。
「じゃあ、さっそくキスくらいしとく?」
「カフェじゃん、流石にそれはマズいって」
「えー。ケチ!」
ケチ!と、しょぼくれた顔も今日から俺の特権。
お彼氏特権。
そういえば、コノミが俺の妹だって言ってない。
その時が来たらでいいか……。と思ってたが、今晩、さっそくあんなことやこんなことになるなんて舞い上がった俺はまだ知ることはなかった。
(第七話へつづく)
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