旅立ちの準備
船の食堂。
波の音が船底をやさしく叩き、窓からは淡い朝日が差し込んでいた。
エルフィナは湯気の立つ紅茶をテーブルに置くと、船長ゾイルに向かって声を上げた。
「それで、船長。出港は、どれくらいになりそうですの?」
ゾイルは長い髪を撫でながら、ゆったりと笑う。
「船の修理が終わり次第だねぇ〜。まぁ、数日もあれば大丈夫さ。
その間に用事を済ませとくんだね〜」
その言葉を聞いたアーシアは、ふと表情を曇らせた。
――シスターから聞いた、“大神官ダイナ”の名が、心の奥に浮かんでいた。
それに気づいたルイフェルが、パンをちぎりながら目を細める。
「どうした? 浮かない顔だな」
アーシアは少し俯き、迷いながらも口を開いた。
「じつは……あの、アイドル活動を私に勧めてくださったの、シスターなんです。
私が聖女として日々修行ばかりしていて……少し、心配だったみたいで。
それで、大神官ダイナ様に相談したらしくて……」
ルイフェルが黙って聞き、アーシアはゆっくり続けた。
「その時の話、こうだったらしいんです」
――
(回想)
シスターは手を合わせ、申し訳なさそうに言った。
「実はアーシアが聖女になったのはよかったのですが……何事にも根を詰めてやる子でして。
このままでは、心が疲れてしまうのではと……大神官ダイナ様」
ダイナは柔らかく笑い、手を顎に当てた。
「ふむ……そうかぁ。それなら――他の国では“アイドル”という癒しの存在があるらしいな。
それだと、アーシアも別の世界を見られるかもしれん。いいじゃないか、挑戦してみると」
――
アーシアは頬を染め、苦笑した。
「……という感じです。私、どうしたらいいのか……」
ルイフェルはパンの欠片を指で払って立ち上がる。
「迷うなら、本人に会って聞いてみればいい。――我も行こう」
アーシアはしばし考え、そして静かにうなずいた。
「そうですね。……それに、謝らなきゃいけないこともあります。
あのとき、操られてたとはいえ……槍の平たい部分で当ててしまって……」
その言葉を耳にした瞬間――
「大神官ダイナ様ですって!?」と、食堂の隅から甲高い声が響いた。
エルフィナが勢いよく立ち上がり、スカートを翻して駆け寄る。
「アーシア様っ、あの“アーシア様グッズ”を制作なさった、あの大神官ダイナ様に会われるんですの!?
ぜひ! 一ファンとして同行させてくださいましっ!」
その隣で、ミャーリと天使ちゃんも同時に手を挙げた。
「ミャーリも行くにゃ!」「わたしも行きますぅ〜っ!」
ルイフェルは腕を組み、ふんと鼻を鳴らす。
「まったく……仕方ない奴らだ。――特別だぞ? 許可してやる」
そう言いながら、ぼそっと小声で漏らした。
「本当は、アーシアと二人きりになりたかったんだがな……」
そのつぶやきを聞き逃さなかったエルフィナが、目を細める。
「なっ……随分と偉そうな発言ですわね!? ぜ〜ったい二人きりになんてさせませんわっ!!
アーシア様は、わたくしのものですものっ!」
「い、いっしょになるのはミャーリにゃ!」
ミャーリは頬を真っ赤にしながら耳をぴくぴく震わせた。
「ちがうもんっ! アーシア様にふさわしいのはわたしですぅ〜♡」
天使ちゃんが羽をばさばささせながら前に出る。
アーシアは苦笑し、両手を広げて制した。
「はぁ〜……もう、喧嘩しないでください」
しかし三人は同時にぐいっと迫り、
「じゃあ、アーシア様は誰が一番好きなんですかぁ!?」と口を揃える。
アーシアは顔を真っ赤にしながら視線を泳がせ――
「え、えっと……ん〜……みんな、かな♡」
その言葉に、一瞬の沈黙。
次の瞬間、エルフィナ・ミャーリ・天使ちゃんは互いに顔を見合わせ、吹き出した。
「ふふっ……」「にゃはは!」「アーシア様だいすきぃ〜♡」
そんな三人を見て、ルイフェルは額に手を当てた。
「……そこは我だろうが」
エルフィナが両手を叩いて
「さぁーさぁ! 行きますわよっ! みなさーんっ!」
明るい声が船内に響く。
波の音と笑い声が混ざり、甲板の上には穏やかな風が流れていた。
――出港まで、あと数日。
アーシアたちの新たな旅路は、静かにその幕を上げようとしていた。
つづく
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