波間の約束
船がゆるやかに揺れる。
医務室の窓から差し込む光が、淡く波の反射を照らしていた。
包帯に覆われたアーシアとルイフェルは、並んだベッドでぼんやりと天井を見つめている。
静寂の中で、アーシアがぽつりと呟いた。
「……私、もっとできたはずです」
その言葉に、隣のベッドのルイフェルがゆっくり顔を向ける。
彼女の金の瞳が一瞬揺れた。
「いや、アーシア……我こそ、こんな始末だ。情けない。
あめのや死神の二人に頼りきってしまった。我も、もっと……できたはずなのに」
アーシアは小さく首を振り、優しく笑った。
「いいえ……二人とも、ダメダメでしたね」
一瞬の沈黙のあと、ルイフェルは息を吐き、苦笑を浮かべる。
「……そうだな。もっと強くならないとな。お互いに」
「はい♡……好きです、ルイフェル様」
その一言に、ルイフェルは思わず目を見開いた。
頬がみるみる赤く染まり、慌てたように上体を起こす。
「な、なっ……なんだぁ、いきなり!?」
アーシアは、少し潤んだ瞳で微笑んだ。
「今回、ルイフェル様を失うんじゃないかと思って……辛くて。
だから、自分の気持ちに素直になろうと思ったんです。
……言いたくなりました。
ルイフェル様は?」
ルイフェルは視線をそらし、もごもごと唇を動かした。
「う、うん……あれだ、我も……す、好きだ……ぞ」
「聞こえな〜いです♡」
アーシアがいたずらっぽく微笑むと、ルイフェルは両手をバタバタさせながら真っ赤に叫んだ。
「あーもーっ! 好きだーっ!!」
アーシアは頬を染め、嬉しそうに笑う。
「てへへ……ルイフェル様、私もだーいすきです♡」
その瞬間――
ガチャッ!
医務室のドアが勢いよく開いた。
「うわぁぁぁぁっ!!!」
二人の悲鳴が同時に重なる。
扉の向こうに立っていたのは、猫耳をぴくぴく動かすミャーリだった。
「なにやってたにゃ〜? 二人でぇ〜?」
アーシアとルイフェルは顔を真っ赤にし、同時に首を振る。
「な、何も〜っ!!」
ミャーリはじとっとした目を向けたあと、にこりと笑った。
「まぁいいにゃ〜。
あめのちゃんと死神ちゃんの召喚時間が、もうすぐ終わるにゃ。
二人に来てほしいにゃ〜。動けるかにゃ?」
アーシアはハッと顔を上げる。
「あっ……そうみたいですね。気づくのが遅くなりました」
ルイフェルは包帯の腕を軽く回し、立ち上がる。
「よし、行くか」
二人はまだ少しふらつきながらも、扉の外へ向かって歩き出した。
波音と足音が静かに重なり、次の別れが近いことを、誰もがうすうす感じていた。
夜の海が、静かに波を揺らしていた。
食堂には、戦いを終えた仲間たちが集まっている。
漂う香ばしいスープの匂いと、遠くから聞こえる潮騒。
それでも、空気にはどこか寂しさが混じっていた。
長いテーブルの上座にはベルゼバブ、
その隣には、瀕死の重傷から奇跡的に回復したゾイル、
そしてリリスの姿もあった。
――だが、メデューサ三姉妹の姿はない。
召喚時間が尽き、先に帰還したという。
「ルイフェル、あんたよくやったよ」
ベルゼバブがニヤリと笑う。
「まだまだだけどね〜。……あ、私も召喚時間らしいよ」
(腕を見つめながら)
「体が透けてきた。――しっかりやりなよ! また召喚しておくれ! じゃあね!」
その言葉を最後に、彼女の身体は黒霧が渦を巻き、鈍い赤の閃光を残して消滅した。
残ったのは硫黄と花の香りが混じったような、どこか懐かしい匂いだった。
静寂が一瞬流れ――ゾイルが笑い声を上げた。
「リリス、ありがとう! あんたのおかげで命拾いしたよ!
また召喚されたら、ご馳走するよ!!」
リリスは肩をすくめて笑い、軽く手を振る。
「ふふっ、またね〜♡ ルイちゃんもいろいろ頑張ってね。
天使ちゃんもありがとう、すっかり体は治ったわ〜。じゃあ!」
その笑顔を残して、彼女も唇に微笑みを残したまま、リリスの体は黒薔薇の花弁のように崩れ、
闇の風に散って消えた。
やがて――海ちゃんとあめのちゃんが、アーシアの前に立つ。
海ちゃんは少し申し訳なさそうに微笑んだ。
「今回、私、全力尽くしちゃって……魔力がなくなっちゃったんでぇ。
残るのが難しいです。それでね、あめのちゃんに“召喚剰余”しようと思うの。
その方が、いろんな面でアーシアちゃんたちを助けられるって話になって……
リーダーの、あめのちゃんに任せることにしたの。
……ごめん。アーシアちゃんに相談しないで決めちゃって」
アーシアは驚いた顔で首を振り、真剣な瞳で海ちゃんを見つめた。
「いえ……いろいろ考えてくださって、ありがとうございます。
海ちゃん。また召喚の力が戻ったら……そのときは、またお願いしますね」
海ちゃんは少し涙ぐみながらも、笑って頷く。
「うん! 私も魔力回復に専念しとくね!」
その後ろで、死神ちゃんがアーシアの前に歩み出る。
次の瞬間――ぼろぼろと涙をこぼし、アーシアに飛びついた。
「帰りたくな〜い〜! うわ〜ん〜!」
(アーシアの胸に抱きつく死神ちゃん)
ルイフェルはそれを見て、少しジト目になる。
(むぅ……アーシアに抱きつくのは我の役目だろうに)
アーシアは困ったように微笑んで、死神ちゃんの背を優しく撫でた。
「いつも助けてくださって、ありがとうございます」
「リュミナ様〜! なんとか〜なんとか〜してぇ〜!」
死神ちゃんが泣きながら叫ぶと、
アーシアの身体がまばゆい光を放った。
「うわっ……!?」
ルイフェルが目を細める。
光の中で、アーシアは何かを感じ取ったように目を見開く。
「……死神ちゃんさん、残れます!
リュミナ様が私に言いました。召喚のレベルが上がって、三人なら大丈夫らしいです!」
死神ちゃんは喜びかけて――しかし、ふと顔を伏せた。
「……でも、海ちゃんに悪いから……」
海ちゃんはそんな死神の肩を軽く抱き寄せ、いつもの調子で笑った。
「気ぃ使わなくていいよ〜。ははっ、よかったじゃん、死神〜!」
「う、うん……ありがとう」
そのやりとりを見つめながら、天使ちゃんが涙をこらえて微笑む。
「海ちゃん……ありがとう。絶対、また会ってね」
海ちゃんは少し意地悪そうに口を尖らせて言った。
「どーしよーかなぁ〜?」
「え〜っ!?」
天使ちゃんが目を丸くすると、海ちゃんはいたずらっぽく笑う。
「うそうそ〜。じゃあー! みんなー! またねっ!」
その瞬間、あめのが立ち上がり、拳を軽く掲げる。
「あんたの分も、うちが責任持ってやるさかいなー!」
海ちゃんは少し驚いたように目を丸くして、ふっと微笑んだ。
「……頼もしいね、リーダー。じゃあ、お願いね」
手を振る海ちゃんの姿が、ゆっくりと光に溶けていった。
残されたみんなは、しばらくその光の跡を見つめ――
そして、誰からともなく笑顔を交わした。
夜はまだ長い。
涙をぬぐい、再び杯が掲げられる。
笑いと涙が交じり合う中、
祝杯の宴は夜通し続いた。
――そして、夜明けとともに。
彼らの新たな旅が、静かに始まろうとしていた。
つづく
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