紅砂に沈む夜
「126・127話の順序を修正しました」
リリスはゼレギアグレスの存在を無視して、血の匂いの中、ゾイルに駆け寄った。
その胸に耳を押し当て、震える声で呟く。
「と、止まってる……!」
(でも……私の“魅了の魔力”で……一時的になら……動かせるかも……!)
リリスはゾイルの胸に両手を添え、歯を食いしばりながら魔力を注ぎ込む。
淡い光がほのかに灯り、彼女の瞳に涙が滲んだ。
「お願い……ゾイル……まだ、逝かないで……!」
次の瞬間――。
「いっ……痛っ!!」
激痛が足に走った。
見下ろせば、無数の細い針が左足にびっしりと刺さり、血が滲んでいた。
「な、なに……これ……っ!」
ゼレギアグレスの甘ったるい声が頭上から降る。
「ねぇ〜、あんたぁ〜な〜に無視してんのさぁ? こりゃ〜お仕置きだねぇ♡」
――ギャアアアアァァァァァッ!!!
リリスの絶叫が洞窟の奥まで響き渡った。
◆
場面は変わり――。
ベルゼバブは悪魔軍の群れを切り裂くように飛び抜けていた。
町の至る所に黒い影がひしめき、空と地が血に染まる。
「なんか……とても嫌な予感がするよぉ! 急がないと!!」
焦燥の声が夕空に消え、彼女の赤いドレスの裾が風を裂く。
洞窟が見えてくるにつれ、胸の奥の不安はさらに濃くなっていく。
そして、到着したベルゼバブの目に飛び込んできたのは――。
血に染まった光景だった。
リリスは全身に無数の針を突き立てられ、倒れ伏していた。
その横でゾイルは生死の判別もつかぬほど血を流し、動かない。
「リリスっ……ゾイルっ!!」
駆け寄ったベルゼバブを見て、ゼレギアグレスはくすくすと笑う。
砂塵の中で、まるで舞踏でもしているように。
「あ〜来た来たぁ〜♡ ねぇねぇ、見てよ〜その子ぉ〜。何度針刺してもねぇ?
その死人から動かないの〜。だからさ〜、じわじわと足からぷすーぷすーって刺してやったのよぉ♡」
ベルゼバブの目が細く光る。
ゼレギアグレスは楽しそうに続けた。
「あんた上位悪魔でしょ〜? 一応ねぇ、名乗ってあげるよ。
私はゼレギアグレス、“紅砂の狂姫”ゼレギアグレスさぁ〜♡」
砂を舞わせ、妖艶に踊るその姿。
だがベルゼバブはそれを見据え、リリスのもとに片膝をついた。
指先から淡い緑の光――“癒しの毒”を滲ませ、そっと彼女の身体を包む。
「……リリス……少しだけ我慢してね」
そして、立ち上がりざま、ベルゼバブはゼレギアグレスに目を向け、静かに言い放った。
「うるさいよ――黙れよ!!!」
その瞬間、空気が爆ぜた。
凄まじい威圧が洞窟全体を押し潰すように広がり、ゼレギアグレスの足元の砂が波紋のように揺れた。
ゼレギアグレスは目を見開き、愉悦の笑みを浮かべる。
「へぇ〜……すごいねぇ〜♡ 久々にゾクゾクするわ〜。
じゃあ私もぉ……本気、出さなきゃねぇ♡」
「……好きにしな。」
ベルゼバブは赤いドレスの裾を揺らしながら、一歩、前へ踏み出す。
「早くやり合おう〜!!!」
ゼレギアグレスが両腕を広げ、砂嵐を巻き上げた。
だが――ベルゼバブはふっと笑う。
「わかったよ。でもね、私と“サシ”でやりたいなら……もう少し待ちな。」
「嫌だよー!」
子供のように駄々をこねるゼレギアグレス。
ベルゼバブは肩をすくめ、皮肉気に微笑んだ。
「器が小さいねぇ、あんた。少し待つぐらいの余裕もないのかい?
上位悪魔なんだろ? それとも、誰かに使われてる身かい?
……そんな焦り方してたら、主に泥を塗ることになるよ。」
ゼレギアグレスの瞳が一瞬だけ鋭く光る。
だがすぐに緩やかな笑みを戻し、ふてくされたように大木にもたれて座った。
「はいはい〜わかったよ〜。少しだけね〜。」
その隙に、リリスがか細い声で呟く。
「べ……ベルゼバブ様……」
ベルゼバブは振り返り、優しく微笑んだ。
「リリス……よく頑張ったね……」
彼女は指を組み、念話で呼びかける。
(ノームじい。リリスとゾイルを、そして町の人たちを……転移させておくれ。)
遠くから答えが返る。
『町の者も、かぁ……人数が多いのぅ。ちと骨が折れそうじゃが……』
ベルゼバブは静かに呟いた。
「頼むよ。あいつと戦ったら――このあたり、全部吹っ飛ぶかもしれない。」
『……そ、それほどのものと……了解した。急ぐ!』
ベルゼバブは目を閉じ、短く息を吐いた。
「頼んだよ、ノーム……」
――そして、再び赤い瞳を開いた時。
その視線は、ゼレギアグレスただ一人に向けられていた。
燃えるような殺気が、夕暮れの洞窟前を染め上げていく。
つづく。
【外部サイトにも掲載中!】
イラストはこちら(Pixiv)
https://www.pixiv.net/artworks/132898854