淡き恋心と王宮の影
エルフィナはカフェのテーブルに身を乗り出し、声を落として言った。
「シリア様……わたくしからお願いがございます。どうか、王様を密かに監視していただけませんか? 不審な行動や様子を、後でわたくし達に教えていただきたいのですわ」
シリアは一瞬たじろぎ、胸が大きく跳ねた。
(監視……そんな大役を……でも……エルフィナ様に頼まれるのなら……)
「……わ、わかりました。わたくしにできることなら……」
エルフィナは微笑み、そっとシリアの手を取る。
「ありがとうございます。シリア様のご協力、心強いですわ」
その瞬間、シリアの頬は熱を帯び、心臓が落ち着きを失った。
(ど、どうして……? ただ手を取られただけなのに……胸がドキドキして……止まらない……)
⸻
数日後。
シリアは部屋の鏡の前で、自分のドレスの襟元を何度も直していた。
「……今日は、淡いピンクの方がいいかしら」
いつのまにか、エルフィナが来る日を心待ちにするようになっていた。
小さな籠には、昨夜から焼いておいたクッキーが包まれている。
「お礼……のつもり、ですけれど……喜んでくださるかしら」
(エルフィナ様と会うと……なぜか、とても楽しみで……どうしてなの?)
⸻
そして再会の時。
エルフィナはいつも通り堂々とした態度で席についた。
ティナ=カクは背筋を伸ばして控え、メイ=スケは椅子に体を預けながらあくびをしている。
「これ……差し入れです。お召し上がりくださいませ」
シリアは頬を染め、クッキーの籠を差し出した。
「まぁ〜! ありがとうございますわ、シリア様!」
エルフィナはぱっと笑顔を見せ、無邪気に喜んだ。
ティナ=カクは「礼儀正しい姫君」とだけ受け止めていたが、メイ=スケは細めた目でその様子を眺める。
(……あれ、これ……完全に恋してる目だよね〜……シリア様……)
しかし当のエルフィナは全く気づかず、嬉しそうにクッキーを口に運んでいた。
(わたくし……どうしてこんなに……心臓が高鳴ってしまうの……?)
シリアは胸に手を当て、理由の分からぬ感情に戸惑いながらも、またエルフィナと会える日を願わずにはいられなかった。
メイ=スケは椅子の背にもたれかかりながら、わざとらしくにやにやと笑った。
「ところで〜……シリア様ぁ、エルフィナ様のことって、どうですかぁ〜?」
突然の問いかけに、シリアは目を瞬かせ、頬を染めて俯いた。
「えっ……そ、そんな……」
(な、なぜ今そんなことを……?)
指先をいじりながら、シリアは声を震わせる。
「……と、とても……素敵な方でぇ……」
(会うたびに胸が高鳴ってしまう……でも、それを言葉にするのは恥ずかしい……)
その横で、エルフィナはむっと頬をふくらませた。
「ちょっとメイ=スケ! わたくしが“王女らしくない”って言いたいのですの!? プンプン!!」
ティナ=カクは呆れ顔で額に手を当てる。
「……また始まった……」
メイ=スケはけらけらと笑いながら手をひらひらさせた。
「ちがいますよ〜、ただ聞いてみただけですぅ〜♪」
シリアはもじもじと視線を落としながら、胸の鼓動を隠すように紅茶のカップを持ち上げた。
(……どうしてこんなにドキドキするのかしら……)
もじもじと視線を伏せるシリアを、エルフィナはしばらく見つめていた。
(……ああ、監視なんていう重責を任せてしまって、きっとストレスが溜まっているのですわね)
エルフィナは小さく手を打ち、にっこりと微笑む。
「そうだわ、シリア様。今度、気晴らしにご一緒にお買い物でもいかがですかぁ?」
「えっ!?」
シリアは思わず声をあげ、背筋を伸ばした。
心臓が一気に跳ね上がるのを、自分でも止められない。
エルフィナは少し困ったように首を傾げる。
「……嫌なら、やめておきましょうかぁ?」
「い、いえ! 行きたい! ぜひお願いいたしますわ!!」
(な、何を言っているのわたくし!? でも……でも……)
シリアの頬は紅に染まり、胸を押さえた。
(どうして……ドキドキが止まらない……胸が……キュンとしてしまいます……!)
エルフィナはその反応を見て、安堵の笑みを浮かべる。
「ふふっ、それなら決まりですわね」
一方、メイ=スケはにやにやとその様子を眺め、ティナ=カクは状況が読めず首をかしげていた。
シリアだけが、自分の胸に芽生えつつある感情の正体に気づけないまま──。
場所は変わり市場ーー
市場の大通りは、昼下がりの喧騒でにぎわっていた。
エルフィナとシリアは並んで歩き、店先の布地や装飾品をひとつひとつ眺めている。
シリアの頬はほんのり赤く染まり、落ち着かない様子だった。
少し離れて後方を歩いていたメイ=スケが、肘でティナ=カクをつつく。
「おい、ちょっと離れて護衛しよ〜ティナ=カク」
ティナ=カクは真顔で眉をひそめる。
「……サボる気か? ダメだぞ」
メイ=スケは呆れたように首を振り、指先で前方を指し示した。
「わかんないのー? あれ見て!!」
ティナ=カクは目を細め、前を歩くシリアを観察する。
「……シリアさん、顔が赤いな」
メイ=スケは両手を広げて訴える。
「わかっただろ!?」
ティナ=カクは腕を組み、冷静に答える。
「……風邪かぁ」
「鈍感っ!」
メイ=スケはがっくりと肩を落としながら、ため息混じりに叫んだ。
そのすぐ前では──
エルフィナが真剣な眼差しで宝石のペンダントを手に取り、
「シリア様には、こういう色合いが似合いますわ〜♪」と楽しげに微笑んでいた。
シリアの胸はまた高鳴り、声を出すことすら精一杯だった。
(ど、どうして……こんなに胸がキュンとするの……?)
市場を歩き終えたあと。
石畳の脇に並んだ小さな雑貨屋の前で、シリアは足を止めた。
(……どうしよう……このまま帰るのは……いや。何か……エルフィナ様に渡したい……)
棚に並ぶ小物の中から、シリアはそっと手に取った。
それは、小さな銀細工のリボンのブローチ。
派手さはなく、けれど温かみのある可憐な輝きを放っていた。
⸻
夕暮れのカフェ。
護衛の二人が席を外している間、シリアはそわそわと袋を握りしめ、エルフィナの前に差し出した。
「こ、これ……。その……今日のお礼に……」
(声が震える……でも、渡したい……!)
エルフィナは目を瞬かせ、袋を受け取り、中を覗いた。
「まぁ〜……可愛らしいブローチですわ! シリア様、これをわたくしに?」
シリアは頬を赤らめ、こくりと小さくうなずいた。
「……はい……エルフィナ様に……似合うと思って……」
胸の奥がきゅんと締めつけられ、シリアは視線を逸らす。
(あぁ……どうして……こんなにドキドキするの……?)
エルフィナは嬉しそうにブローチを胸元につけ、ぱっと笑顔を見せた。
「ふふっ……とても気に入りましたわ! ありがとうございます、シリア様!」
その無邪気な笑顔に、シリアの心臓はさらに跳ね、息が詰まりそうになった。
(……やっぱり……この方は……特別……)
⸻
一方その頃、少し離れた場所で見ていたメイ=スケは、腕を組みながらニヤニヤ笑う。
「ほら見ろぉ……完全に恋じゃないですか〜……」
しかし隣のティナ=カクは首を傾げるばかり。
「いや……やっぱり風邪じゃないのか?」
「はぁ〜鈍感〜〜〜!」
メイ=スケのため息が、夕暮れの市場に響いていった。
お城その夜ーー
王宮に戻ったシリアは、自室の窓辺で夜空を見上げていた。
胸元の鼓動はまだ収まらず、指先に残る温もりを何度も思い返してしまう。
(……また……お会いしたい……でも、理由がなければ……)
机の上には、読みかけの本や小さな花瓶が並んでいる。
けれどシリアの視線はそれらに留まらず、ただ「会う理由」を探して揺れ続けていた。
「監視の報告……それだけじゃ……寂しいですわね」
小さく呟き、頬を赤らめる。
(クッキーの次は……何をお渡しすれば……自然かしら? 本? お茶葉? それとも……髪飾り……?)
シリアは机に身を伏せ、枕に顔をうずめた。
「わたくし……いったい何を考えているの……?」
⸻
翌日。
カフェに現れたシリアは、わざと大きめの紙袋を抱えていた。
エルフィナが姿を見せると、胸が高鳴り、顔が赤くなるのを抑えきれない。
「えっと……これは……市場で見つけた紅茶ですの。きっと気に入っていただけるかと……」
エルフィナは目を丸くして、微笑んだ。
「まぁ! お気遣いありがとうございますわ、シリア様。とても嬉しいです♪」
その笑顔に、シリアの胸はまたキュンと締めつけられた。
(……あぁ……やっぱり……理由なんてどうでもいい。ただ……お会いしたいだけ……なのかもしれません……)
⸻
一方その頃。
後ろの席から二人を眺めていたメイ=スケは、またしてもため息をつく。
「ねぇカクぅ……あれ、完全に“会うための口実”だよね〜」
ティナ=カクは真顔で首をかしげる。
「……いや、紅茶が好きなんじゃないのか?」
「鈍感〜〜〜っ!」
メイ=スケのぼやきは、今日もまた空しく店内に響いた。
夜の王宮。
寝室の窓辺で、シリアは月明かりを浴びながら両手を胸に当てていた。
(……また……あのお方の笑顔を思い出している……)
エルフィナのはじけるような笑顔が脳裏に浮かぶだけで、胸が熱くなり、呼吸が浅くなる。
「……どうして……こんな気持ちになるのかしら……」
クッションを抱きしめ、シリアはベッドに体を沈めた。
瞼を閉じても、浮かぶのはエルフィナの声、手の温もり、優しい瞳。
(お慕いしている……? いえ、そんなはずは……。わたくしはただ、頼もしくて……信頼できる方だと思っているだけ……)
そう自分に言い聞かせるが、胸の鼓動は否応なく答えを突きつけていた。
(でも……会うたびに……胸が苦しくなるのは……どうして……?)
シリアの頬は紅潮し、枕を抱えたままごろりと転がる。
「……これは……友情? それとも……」
答えはまだ見つからない。
ただひとつ確かなのは――
明日またエルフィナに会えることを思うだけで、胸がきゅんと高鳴り、眠れなくなってしまうことだった。
翌日。
待ち合わせのカフェ
(……今日はどんなお話をしましょう……昨日の紅茶の感想を聞くべきかしら? それとも、新しいお菓子を……)
エルフィナとシリアは紅茶を飲みながら談笑していたが、やがて時間が来て立ち上がった。
「それでは、また近いうちに……」と微笑むエルフィナに、シリアの胸は高鳴りっぱなしだった。
(……もっと一緒にいたい……でも……口に出せない……)
店を出ると、ティナ=カクが先に周囲を確認し、エルフィナを促す。
その背後で、メイ=スケがにやりと笑いながらシリアに近づいた。
「おやおや〜、シリア様ぁ。今日もご機嫌ですねぇ?」
シリアは慌てて背筋を伸ばし、両手を胸元で組む。
「そ、そんなこと……ありませんわ」
メイ=スケは眠たげな目を細め、わざとらしく小声で囁く。
「ふ〜ん……じゃあ質問〜。エルフィナ様のこと、どう思ってるんですかぁ?」
「っ……!」
シリアは顔を真っ赤にし、視線を逸らした。
「そ、それは……」
メイ=スケは頬杖をつく仕草をしながら、さらに煽る。
「“とても素敵な方で〜”とか、“会うたびドキドキする〜”とか……そんな感じですかねぇ?」
シリアはもじもじと指を絡め、俯いたまま小さく答える。
「……とても……素敵な方で……えっと……なぜか、ドキドキが止まらないのです……」
その声は震えていて、頬は紅に染まっていた。
メイ=スケは口角を上げ、肩をすくめる。
「やっぱりなぁ……シリア様、それ完全に恋ですよぉ〜♪」
「こ、恋っ!?」
シリアは驚きに目を見開き、思わず胸を押さえた。
(こ、これが……恋……? わたくしが……エルフィナ様に……?)
メイ=スケは手をひらひらさせ、にやにや笑いながらティナ=カクの後を追っていく。
「ふふっ、まぁ〜自覚するかどうかはシリア様しだいですけどねぇ」
残されたシリアは、熱のこもった胸を抑えながら、その場に立ち尽くしていた。
(……恋……これが……恋……?)
ーーー
王宮の一室。
重い空気が漂う中、シリアはベッドに横たわる母の枕元に座り込んでいた。
病に伏してから数日、母の顔色はさらに青白さを増していた。
シリア(もじもじと手を握りしめながら)
「……お母様。わたくし……ずっと胸に抱えていたことがあるのです」
母妃は薄く目を開け、弱々しい声で答えた。
「……どうしたの、シリア?」
シリアは深呼吸し、勇気を振り絞った。
「わたくし……エルフィナ様とご一緒にいると……なぜか胸が高鳴って……ドキドキが止まらないのです。あの笑顔を思い出すだけで……苦しくなるくらいで……」
(……言ってしまった……!)
母妃は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに柔らかな微笑を浮かべた。
「……ふふ、シリア……あなたも成長したのね」
シリア(顔を真っ赤にして俯く)
「お母様……これが……いったい、何なのか……わたくしにもわからないのです……」
母妃は震える手を伸ばし、娘の手を包み込むように握った。
「……それはきっと、恋なのでしょうね。あなたが心から惹かれている証拠よ」
シリアは目を大きく見開き、胸を押さえた。
「……恋……? わたくしが……エルフィナ様に……?」
母妃はかすかな笑みを浮かべながら、苦しげに続けた。
「シリア……実はわたくしも、父の異変に気づいているのです。あの人は、もう“本当の王”ではない……。だから……あなただけでも、この国から逃げなさい。そして……エルフィナ様に嫁ぎなさい」
シリア(耳まで真っ赤に染めて)
「お母様っ……!?」
胸の奥に広がる想いと、母の切実な願い。その二つが渦を巻いて、言葉を失った。
――その時。
ギィィ……と重々しい音を立てて、扉がゆっくり開いた。
二人は同時に振り返り、悲鳴を上げた。
「──っ!」
一方その頃、街のカフェ。
エルフィナは窓際の席に腰掛け、紅茶を手にしていた。
ティナ=カクは周囲に目を配り、メイ=スケはあくび混じりに菓子をつまんでいる。
エルフィナ(小さく呟き)
「……シリア様、少し遅いですわね」
ティナ=カク
「約束の時刻は過ぎています。何かあったのでは……」
メイ=スケ
「ま〜だ決めつけるのは早いってぇ……」
その時だった。
入口の扉が激しく開き、ひとりのメイドがふらりと駆け込んできた。
シリア直属の世話係。ドレスの裾は裂け、顔には深い傷が走っている。
「──っ、エル……フィナ、様……!」
次の瞬間、彼女は血を吐き、そのまま床に倒れ込んだ。
「っ!? しっかりなさい!!」
エルフィナは立ち上がり、倒れたメイドに駆け寄った。
ティナ=カクは即座に剣の柄に手をかけ、周囲を警戒する。
メイ=スケの眠たげな瞳も、今は鋭い光を宿していた。
「……これは……ただ事じゃないですねぇ」
カフェの空気が、一気に張り詰めた。
つづく
【外部サイトにも掲載中!】
イラストはこちら(Pixiv)
https://www.pixiv.net/artworks/132898854
アルファポリスにて画像付きで作品を公開しています。
ご興味ある方はぜひこちらもどうぞ!
▼アルファポリス版はこちら
https://www.alphapolis.co.jp/novel/731651129/267980191