僕の大好きな幼馴染の美人騎士団長が、戴冠式で漏らしてしまう話。
窓の外には、濃い青色の空が広がっている。春の陽射しが緑を木々に深い陰影を与えている。澄んだ空気は世界をとても静謐なものに変え、それを眺める僕の心に安寧をもたらしている・・・はずだった。
心をかき乱す原因はただひとつだ。ここ大日本王国国家教育局の応接室で、女性ながら王国特殊親衛騎士団の団長を務める岸リョウカが机に突っ伏してため息を漏らしていることだ。
「はあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ~~~~~」
彼女は困ったことが起こるたび長く「あ」が多いため息をつくのが昔からの癖だ。長い付き合いなので、この「あ」の多さはかなり深刻なのだろう。
僕と彼女は幼少のころから兄弟のように育ってきた。
王家ともゆかりの深い貴族でもある彼女の父親は王国騎士団長を長く勤めていて、彼女自身も剣術をはじめとする格闘センスに長けていた。その縁もあって彼女も王立学校を18歳で卒業するとすぐに騎士団に入団した。入団直後は人付き合いの悪さや無表情な外見から苦労したとは聞いている。しかしながら圧倒的な剣術の能力と戦術眼でみるみる頭角を現し、昨年25歳のときには特殊親衛騎士団の団長まで上り詰めた。
そんな華やかな経歴の彼女が、この応接室の少々汚い椅子の上で肩を落として小さくなっている。顔はいつも通りきりっとしているが、視線の強さがまったくない。
「いったいどうしたの?リョウカ団長」
彼女と一緒にいる僕は多摩川ユウ。対照的に子供のころから運動はからきしだめで、いじめられそうになるとよく彼女に守ってもらっていた。僕はどちらかというと内向系な人間で、文献を調べたり、子供たちに教育をしたりすることに興味があり、卒業後はここ国家教育局に勤めている。比較的新しい組織なこともあり、局長に次ぐ次官の職を担っている。
「・・・・タマちゃん・・・」
彼女はこの部屋に来て、初めて顔を上げた。長いまつげに縁取られた大きな瞳、細くやや高い鼻筋、艶やかなピンク色の薄い唇、それらの美しいパーツが、綺麗な卵型の輪郭に収まっている。
けれどよく見ると、大きな瞳の下には、わずかなクマが見え、その瞳も充血しているように見える。
彼女は無表情で気が強そうな外見の影響もあり、周囲から見れば感情が読み取りづらい。そのせいかよく冷たい人間だと誤解されがちだったが、本当の彼女はとても繊細な神経の持ち主だ。騎士団に入った当初は誰にも見えないところで、何度もこっそり落ち込んでいたのを僕は知っている。
「笑ったりしないから教えてよ。何か役に立てることもあるかもしれないよ」
彼女は大きな瞳で僕をじっと見つめる。何かを値踏みしているような視線だ。視線の強さに僕の方が逆にたじろいでしまう。
「・・・・昨日の戴冠式のことは、何も聞いていないのか・・・」
「た、戴冠式・・?ヒメカ王女の戴冠式で何かあったの?」
昨日、大日本王国は重大な一日を終えた。
急な病に倒れた先代王の岸 宗道に代わり娘であるヒメカ様が王女として国を統治していくこととなり、昨日はその戴冠式が行われたのだ。国内外から多数の参列者が訪れ、大日本王国の王都にあるトウキョウ城では絢爛な式典が行われた。
もちろんヒメカ王女にとってははじめての大々的な対外イベントでもある戴冠式は、これ以上ないほどの重要行事だ。その最中に何かあったのだろうか?
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
彼女はまだ何かを躊躇しているのか、相変わらず何を考えているのかわからない憮然とした表情だ。視線を僕に固定したまま長い沈黙が続き、その視線を浴びているとなんだか汗ばんでくるような気がした。
「漏らしてしまった」
唐突に彼女は言った。僕は一瞬の何のことかさっぱり理解できなかった。
恥じらいとか、照れのようなものは一切感じさせない。「水を飲んできた」とか「時計を見てきた」くらいの普通な感じで何かとんでもないことを言った気がする。
「も、漏らしたって、何か王国の機密事項を君が漏らしてしまったの・・?」
それは重大な問題だ。僕へ相談してくれるのは嬉しいが、解決に導けるか非常に不安だ。けれど生真面目な彼女がそんなことをするとは到底思えない。
「ば、バカにするな!私は機密事項を漏らすようなことはしない!・・・漏らしたのは、その・・・あれだ、もちろん大きい方じゃない・・・・その、小さい方だ」
小さい方?え・・・?
「え・・・・小さい方って?え・・・・それは機密の大きさの話?漏らしたって・・・・??」
「違う違う、あの、その・・・・つまり小水だ」
開いた口がふさがらなかった。戴冠式の会場でつまり彼女は失禁したと言っているのだろうか。王国特殊親衛騎士団の団長である岸 リョウカが戴冠式の最中に失禁した?いやいやいや。
「え・・・・?な、なんかの間違いでは?ぐ、具合でも悪かったの・・・?な、なんで・・・・・・?」
「何でと言われても・・・。もちろんするつもりなんかなかったが、イッたら出てしまったんだ・・」
「な、何を言ったんですか?」
「違う、違う。喋る方の言うじゃなくて、その・・・、エクスタシー的な方のイクだ」
思考回路が固まってしまうような発言が耳を通り越していった。あの会場、各国の大使や国内の主要な貴族、大臣がすべて集っているあの場所でイクなんてことがあり得るのだろうか。どんなシチュエーションなのか全く想像がつかない。
「まったく理解が追い付かないんだけど・・・、あの会場に性犯罪をする変質者みたいな人がいたってこと・・・!?君ほどの達人を襲えるような人が・・・!?」
「バカにするな!私をあんなところで襲える人間なんているわけないだろう!自分でちょっと触ったらイッてしまったんだ・・・」
僕の頭がおかしいのだろうか。立て続けにありえない発言が放たれた気がする。なんだろう?
幼馴染ながらだんだんこの騎士団長は変態なのではないかと心配になってきた。女性の事はよくわからないが、そんなちょっと触る位でイクなんてことがあるのだろうか?
「あ、あの会場の中で自分のアソコを触ってたんですか?ま、まさか直接・・・・?」
「バ、バカにするな!直接触るわけないだろ!あの・・・ふ、服の上からほんとにちょっと・・・な、撫でるくらいだ」
言い訳を聞けば聞くほど、僕の幼馴染が変態だった疑惑が高まっていく。無表情だが、言葉尻を聞くと多少なりとも恥ずかしいとは思っているようだ。とんでもない告白をしている自覚はあるのだろうか。
「ごめん。ますます混乱してきた。そんなちょっと撫でるくらいでイクなんてことがあるんですか・・・?そ、そういう体質なんですか?」
「違うんだ。あの・・・、ちょうど戴冠式の前日まで2ヶ月間私はルシアン帝国との前線まで行っていたんだ。しかも、前線の宿泊施設が不足していて、私は本来なら個室なはずなのだが、副官たちとずっと同室だったんだ!」
「え・・・、それが何か関係あるんですか・・・?」
「それは・・・・・」
口を開けたままぴたりと彼女の動きが止まる。
「それは・・・・、だから、その、同室に人がいたら、いろいろできないだろう・・・」
そこまで聞いて、僕はやっと意味を理解した。彼女にはきっと恋人がいるのだろう。普段は恋人に抱かれたりしているということだ。なるほど、言いづらいことを聞いてしまった。
心の中がどんよりと暗くなる。幼い頃から僕は彼女に憧れていた。今日も僕を頼って、彼女が来てくれたことを心のどこかで嬉しく思っていた。情けなくてやるせなくて、とても切ない気持ちだ。
「そうですよね、リョウカ団長ならきっと素敵な恋人がいるんでしょうね。すみません、想像が足りてませんでした・・・」
「ち、違う違う!そうじゃない!・・・そ、そういうのではなく・・・、その、じ、ジイ的な方の話だ」
「ジジイ・・・?え、年配の方がお相手なんですか?」
意外だ。彼女なら若く、有望な貴族たちがたくさん立候補してくるだろう。
「違うんだ!違うんだ!その・・・・、あの、じ、自分で慰めるほうの自慰だ・・・」
今度は僕が口をポカンと開けて惚けてしまった。さっきからとんでもない発言を連発していたが、更におかしなことを言い出した気がする。
「えと・・・、それは同じ部屋に人がいて、その、えーと、ずっと自慰が出来なかったから、久しぶりに服の上からちょっと撫でただけでイッてしまった・・・ということですか?」
「そ、そういうことだ」
「え、・・・そんなしばらく出来なかっただけで?」
「だから・・・、しばらくといっても、ルーティーンでやっていたことが出来なくなると、なんだかおかしくなることがあるだろう・・?」
なんだかどんどんおかしくなってきた気がする。本当に僕が憧れていた幼馴染みの美人の騎士団長はこの人だったんだろうか?
「ルーティーンって・・・、そんな毎日何回もしてたんですか?」
「ば、バカなことを言うな!何回もなんて!・・・・せ、せいぜい2回とか3回とか、い、1回の日だってあるし・・・」
そういえば、無駄に生真面目過ぎて、嘘がつけないタイプだった。もう自分が何を言っているのかわかっていないのかもしれない・・・。
「それで、漏らしてしまった後はどうなったんですか?」
「うむ、実は漏らしてしまったあとの記憶がないんだ。その・・・、イッてしまって、小水が出たところまでは覚えているんだが、・・・昇り詰めるような感覚のあと、意識を失ってしまったようなんだ」
なるほど、あの大勢いる会場で、絶頂昇天してしまったということだ。
「看護師から聞いた話だと、失神した私は貧血か前線での疲労の蓄積での体調不良だと思われたようだ。気が付いたときは医務室のベットの上で寝かされていた」
「失神してしまったということは、実は漏らしていなかったとか、そういう事はないんですか?」
「私が目覚めた時、上半身は特殊親衛騎士団の制服だったが、下半身は医務室に備え付けの寝間着に変わっていた」
「ダメそうですね・・・」
「ああ、ベッドの脇には私の制服のパンツと下着が洗って干されていた。丁寧に枕元に”汚れていたので、洗っておきました”とメモまで置いてあった。・・・・おそらく、漏らしたことは間違いないだろう」
残念ながら失禁したのは100%間違いないようだ。彼女の名誉のためにも、人目にあまりついていないことを願うばかりだ。
「リョウカ団長が運ばれた後って・・・、どんな感じだったんですかね・・。みんな気づいたんですかね・・・」
「わからない・・・。とりあえず、大切な戴冠式の日に騒ぎを起こしてしまったのは事実だ。今朝、ヒメカ王女のところには謝罪にうかがわせてもらった」
「え!?ヒメカ王女に謝罪に行ったんですか!?」
1国の王女のところに大の大人、しかも特殊親衛騎士団の団長たる女性が失禁したお詫びに伺う、というのはなんとも情けない構図だが、やってしまったのだから仕方ないだろう。どんな説明をしたのか、想像するだけで胃に穴が開きそうだ。
「ええと・・・・。今みたいな感じで説明したんですかね・・・?ヒメカ王女は何と言っていたんですか?」
「・・・・・・・・・爆笑されていた・・・・」
うん、まあそうなるよね。僕も幼馴染じゃなく赤の他人だったら腹を抱えて笑っていたと思う。
「そうすると、お咎めはなかったんですか・・?」
「いや、特殊親衛騎士団の団長は解任していただいた。さすがに会場に小水で水たまりを作ってしまってはな・・・・。由緒ある大日本王国の特殊親衛騎士団長がお漏らし団長では笑いものになってしまう。警備部隊第5管区の分隊長に降格させてもらった」
「・・・・そうですか・・・」
彼女の今までの努力や才能をなまじよく知っているだけに、こんなことで特殊親衛騎士団の団長の任を外されてしまうのは、なんとも惜しい気がする。とはいえ周囲からの視線や陰口に耐えながら、その地位にとどまり続けるのももっとつらいのではないかと思う。大切な幼馴染である彼女の気持ちを考えるとうっすらと瞳に涙がにじんできた。
「・・・・タマちゃん、悲しんでくれているところ悪いが、今回の件の原因はタマちゃんだぞ」
「・・・・・え?」
「タマちゃんが原因の一端だ。少しは責任をとってもらわないとな」
何を考えているのかわからないところや、真面目に発言しているのに中身がとぼけているところはあるが、誠実で人のせいにしたりしないところが彼女の美点だと思っていた。まさか僕のせいにしてくるとは。
「まさかの責任逃れですね・・・。残念です。なんで、急に僕が登場してくるんですか?」
「責任逃れではない。本当のことだ。私はそんなことで嘘はつかない。・・・戴冠式のとき、タマちゃんも一瞬だけ会場に来ただろう?」
「よく知ってますね。確かに局長に急ぎの伝言があり、少しだけ会場に行きました。それが、何か関係が?」
僕の言葉に彼女は軽く顎をあげて、勝ち誇ったような微笑みを見せる。それみたことか、といった表情だ。
「・・・そのときの自分の姿を覚えているか?」
・・・!?
思い出した。・・・僕はズボンの尻が破れているのに気づかず、戴冠式の会場に行ってしまった。トウキョウ城を出てすぐに気づいたので、きっとあの会場にいるときは尻が破れたまま動いていたのは間違いないだろう。しかし・・・
「まさか、僕のズボンが破れていたのを見ていました・・?」
「そういうことだ」
彼女はなぜかドヤ顔だ。まるで僕が彼女の失禁の全ての元凶だと言わんばかりだ。
「なんでドヤ顔なのかわかりませんが・・・・?、と
いうことは僕の破けたズボンから覗くパンツをオカズにして、自慰をして絶頂失神したということですか?」
「ちょ、ちょっと待て!違う!違う!!違うぞ!!!そ、それじゃあ私が変質者みたいじゃないか!」
戴冠式の最中に自分のアソコを触って、絶頂失禁したら充分変質者な気がするが・・・。
「タマちゃんが、あんな場所でパンツなんか見せるのが悪いんだろう!?」
「でもまさかあの場所で、それを見て自慰した挙句、放尿するなんて変態行為する人がいるなんて想像できませんよ」
「へ、変態だと!?し、失礼だぞ!!だいたい自慰したわけじゃない!ちょっとパンツを目で追ってしまい、ちょっとアソコを触ってしまっただけだ!!」
「それを自慰っていうんじゃないんですか?」
「な、何を・・・・!!」
言葉に詰まった彼女は唇を噛みしめながら、瞳にはうっすらと涙がにじんで、悔しそうな表情だ。ちょっと言いすぎたかもしれない・・。ことの顛末に衝撃を受けてしまって、言葉がきつくなってしまったかもしれない。そんなつもりではなかった。本当は慰めなくてはいけなかった。
「うう・・・・・・・、し、仕方ないだろう・・・・。気になる男性のあられもない姿を見てしまったら・・・、タ、タマちゃんだってそういうことくらいあるだろう・・・」
彼女の声が小さく震えている。
本当に悪いことをしてしまった。
・・・・ん?
「え!?き、気になる男性って・・・言いました?」
「・・・・・!?」
いつも無表情な彼女の顔が急に動揺を見せた。
大きな瞳を更に見開き、勢いよく息を飲み込むように唇を開く。色白な顔はあっという間に真っ赤になって、僕を見ていた視線を慌てて外してしまう。
僕も何を言っていいかわからず口をパクパクとさせている。
「あ、・・・・・、その・・・・、つまりだな・・・気になるというのは・・・、あの・・・」
彼女は一生懸命言葉を紡ごうとするが、うまく言葉を見つけることができず、何度も唇に指をもっていく。いつもとは全く違うその姿が、たまらなく愛おしくなる。心の中に温かさが湧き上がってくる。
「え、・・・・ええと、タマちゃんのことはもちろんだな・・・」
しどろもどろに、何度もええ・・とかその・・・を繰り返す彼女。子供のころから憧れていた、幼馴染。
ずっと僕を守っていくれていた大切な人に、僕は勇気を出して、伝えなくちゃいけない。
「あの・・・!」
あわあわとしながら言葉をつなげていた彼女の動きが止まる。
「・・・タ、タマちゃん・・・」
「だ、第5管区に・・・・、そのおいしいレストランがあるんだけど・・・、着任祝いに行ってみない・・・?その、管区を良く知っておくのも、分隊長の仕事になると思うよ・・・」
僕の言葉に彼女の頬が更に紅潮する。さっきは悔しさの涙をためていた瞳が、キラキラと輝きながら三日月のようなカーブを描く。
僕の大好きな幼馴染は、今日はじめて世界一素敵な微笑みを届けてくれた。