第5話:世界樹
「……着いたぞ、目を開けていい」
「は、はい」
光に包まれた数秒後、クロード様の声が聞こえてそっと目を開けた。
見渡す限り、どこまでも続くような白い空間が広がる。
目の前だけには地面が円形にあり、そして、そこには……。
「ジュリエット、これが世界樹だ」
「す、すごい……初めて見ました」
大きさに圧倒されてしまい、呟くような声しか出ない。
およそ50mはあろうかという巨大な樹木がそびえる。
幹は今まで見たどんな樹より太く、頭上で広がる枝は数え切れないほど多く、この樹が生きてきた歴史を感じる。
でも……今にも枯れそうな様相だ。
幹は樹皮がぼろぼろと剥がれ落ち、枝には葉が一枚もない。
何より、樹全体から死期を感じる姿だった。
その辛そうな姿に悲しくなっていたら、傍らのクロード様が静かに話し出した。
「今はこのような姿だが、昔は本当に輝いていた。今は亡き両親とともに、この下でよく食事を取ったものだ」
クロード様は初めて見るような、優しげな微笑みを受かべて話す。
穏やかな表情や声から、本当に幸せな思い出が詰まっているのだとわかる。
なおさら、どうにか治してあげたいと思った。
私は世界樹に向かって一歩踏み出す。
「待っていてください、クロード様。今、世界樹を……クロード様の大事な思い出が詰まった樹を救ってみせます」
「……頼む、ジュリエット。今やお前だけが頼りだ」
励ましの声を背に、私は世界樹に手を当てる。
ひんやりとした不気味な冷たさを感じ、植物を触るといつも感じる"鼓動”が非常に弱々しい。
植物には心臓がないものの、人間と同じように鼓動があるのだ。
生きていれば誰もが持つ鼓動の弱さ……。
それだけで、世界樹の状態の悪さがより一層強く伝わる。
庭師鞄から特製肥料を取り出し、水に混ぜながら地面に撒く。
世界樹を育てたことはないけど、一番汎用性の高い特製肥料を選んだ。
樹が大きいので通常よりたくさん撒き、準備は完了。
幹に手を当て、少しずつ魔力を注ぎ込む。
――クロード様の大事な樹……。お願い、元気になって!
魔力を込めるも、少しして異変を感じ取った。
幹の下に壁があるようで、樹の中心に魔力が注がれない感覚だ。
こんなことは初めてだ。
懸命に魔力を注ぐけど、その阻まれる感覚はなくならない。
いったい、どうして……。
額に脂汗が滲み出したとき、クロード様の声が聞こえた。
「ジュリエット……大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
大丈夫です、と答えようとしたら、この感覚の原因がわかった。
「はい、私は問題ないです。……ですが、申し訳ありません。きっと、私の魔力が少なすぎるせいで、世界樹の治療がうまくいかないのだと思います」
樹の大きさに対して、私の魔力が少なすぎるのだ。
このままでは治すことができない。
焦りが心の中に生まれる……。
そんな焦燥感を消すように、ぽんっと私の肩に大きな手が優しく置かれた。
「それなら、私の魔力を使えばいい」
「い、いや、しかし、そこまでしていただくわけには……」
申し訳ないので断ろうとしたけど、クロード様は静かに首を振る。
「私も世界樹を治したいんだ。……ジュリエットと一緒に……」
温かい気持ちで胸がいっぱいになり、クロード様の魔力が全身を伝わるのがわかった。
これなら絶対に世界樹を治せる。
だって……。
――私にはクロード様がついているんだから。
先ほど抱いた焦燥感や不安なんて完全に消え去ってしまい、私は安心して魔力を込める。
数分も経った後……世界樹が眩いほどに激しく輝いた。
一枚もなかった葉が絶え間なく芽吹き初め、樹全体からは月明かりを思わせる銀色の輝きが煌々と放たれる。
あまりの美しさに言葉を失う。
「す、すごい美しいですね……。今まで見たどんな樹より……え?! ク、クロード様!?」
か、傍らのクロード様も光り輝いている。
世界樹と同じように。
やがて、長い黒髪は美しい銀色に変わり、漆黒の瞳は眩いほどの金色に、黒っぽい衣服も白と金の混ざった明るい色調に変わってしまった。
――い、いったい、何が起こったの……!?
クロード様が銀色になってしまった。
突然の事態に激しく混乱する。
頭の中で謎が渦巻いていると、クロード様が淡々と私に言った。
「驚かせてすまない。これが私の本当の姿なんだ」
「本当の……姿……でございますか?」
たどたどしく尋ねると、クロード様は無言でうなずく。
「私は……元は精霊王だったんだ」
「えっ!?」
今までで、一番大きな驚きだった。
精霊王はその名の通り、精霊たちの王様だ。
クロード様がそんなすごい人だったなんて。
なおも驚いていたら、どういうわけか話してくれた。
「元々、城の周囲は精霊の土地だった。だが、今から百年ほど前、人間たちに土地を荒らされてしまってな。結果、土地も植物も弱り、精霊の力を維持できなくなった。そこで、私以外の精霊は深い眠りにつき、私の身体も変わった。恐ろしい見た目のせいか、やがて魔王と呼ばれるようになったんだ」
「そう……だったのですか……」
まさか、暗黒領地にそんな事情があったなんて……。
そのまま、クロード様は話を続けてくれた。
土地を飛んでいる悪霊は元妖精で、セシルさんも元は精霊。
角を生やすことで眠りを防いでいると聞いた。
百年前、シュナイダー王国が攻め込んできた事実はないものの、長い時間が過ぎる間で、色々と捻じ曲がって後世に伝わったのだろう、とのことだ。
そのお話を聞くと、自然と首が垂れた。
「申し訳ございませんでした……」
「……なに?」
下げた頭の上に、クロード様の疑問そうな声が聞こえる。
考える間もなく、言葉が口をついてでる。
「私たち人間が大事な土地を壊してしまい、私もまた……そのような事情を知らずクロード様を怖がって申し訳ありませんでした。私は自分が恥ずかしいです」
クロード様は何も悪くない。
むしろ被害者だ。
それなのに、噂などという不確かな話に振り回された自分を恥じた。
肩を震わす私に、クロード様は優しく語りかけてくれる。
「ジュリエット、君が謝る必要はない。知らなかったのだから。それに、私も悪いんだ。ぞんざいな態度と口調で話す男なんて、誰しも怖いだろう。だから……どうか、顔を上げてほしい」
「はい……ありがとうございます……」
クロード様は世界樹を見上げながら話す。
「この世界樹は私たち精霊の力の源でな。ジュリエットが治してくれたから、私も本当の姿を取り戻せたんだ。感謝してもしきれない」
「いえ……私は自分にできることをしただけですから」
「ジュリエットは……いつも謙虚だな。そんな君だから、私は好きになったんだ」
「……え?」
言葉を実感する前に、クロード様は静かに跪き……私の手をそっと握った。
「私はこの数ヶ月、ジュリエットの努力を目の当たりにした。慣れない環境にもかかわらず、懸命に植物と向き合う姿。いつしか……ジュリエットは私にとって欠かせない人間になっていた」
「クロード様……」
私を握る手は、とても温かい。
優しさが伝わる温かくて大きな手。
魔王なんて呼び名はふさわしくないほどの、優しい手だった。
「だから……私と結婚してくれないか? ジュリエットと……いつまでも一緒にいたい」
その言葉を聞いた瞬間、私の心には一面の花畑が広がった。
かっこよくも何ともない表現になってしまうけど、本当にそんな景色が見えたのだ。
「はい……もちろんでございます!」
温かい雫が頬を伝うとともに、力の限りお答えする。
感動で胸がいっぱいになり、いつものように敬礼することはできなかったけど。