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第1話:婚約破棄と魔王様

「ジュリエット・ベルレアン。僕は君との婚約を破棄することに決めた。……それでいいよな?」


 いつものように、宮殿の植物園で草木の手入れをしていたとき。

 しゃがんだ私の背中にざくりと言葉が突き刺さった。

 慌てて立ち上がると、一人の男性が穏やかにニコニコと微笑んでいる。

 サラサラとした輝く金髪に、夏の海を思わせる美しい碧眼。

 男性を見た瞬間、私の心臓は不気味に鼓動した。


「ビ、ビクトル様……」


 ここシュナイダー王国の第三王子で……私の婚約者でもあらせられる。

 爽やかな笑顔を見ていると、冷や汗が出て徐々に呼吸が浅くなってきた。

 己の婚約者に恐れを抱くなんて失礼だけど、婚約が決まってからの日々ですっかり怖じ気づくようになってしまった。

 そのような私を知ってか知らずか、ビクトル様は花壇からはみ出た草花を踏みにじりながら、私の前まで歩く。


「君は本当に物静かな女だね。男爵といえど仮にも貴族令嬢なんだ。もっと男を喜ばせるような態度を取ったらどうだ? ……僕はこの国の王子だぞ」

「も……申し訳ございません」


 ビクトル様に睨まれ心がしぼむ。

 笑顔を止め、すごむように見られる。

 今年十八歳を迎えられたこともあり、宮殿内外では若くて爽やかな第三王子と人気のある方だけど、時折見せるこの冷たい瞳が何より苦手であった。

 上から私を睨んだまま、ビクトル様は淡々と話す。


「父上と母上の命でなければ、君みたいな地味でつまらない女と……しかも、こんな身分差で婚約などするはずがないのにね」

「私も……おっしゃるとおりかと思います」


 ため息交じりに放たれた言葉に、私はひどく申し訳なさを感じる。


 ――実際、そうだと思うから……。


 本来なら、一介の男爵令嬢が第三王子と婚約などできるはずもない。

 でも、私は四年ほど前、植物に対する深い知識と栽培の技術を国王夫妻に買われて、宮廷庭師に任命。

 植物園の管理や庭の手入れなどを担当させていただき、やがてビクトル様との婚約を結ぶことになった。

 十六歳になった今も、唯一の宮廷庭師を務めている。

 宮殿の広大な庭と植物園を一人で管理しているのには理由がある。

 ビクトル様が他の庭師を全員辞めさせてしまったからだ。


 ――目的は"ジュリエットを苦しめるため"……。


 そう、とある人物に話しているのを以前聞いてしまった。

 だとしても、宮廷庭師を辞めようとは思わない。

 私は子どもの頃から植物が好きだ。

 可愛い花や美しい葉、一つとして同じ姿形はなく、いつでも私を優しく受け入れてくれる。 

 静かに風に揺れる様子を見たり、癒やされる香りをかぐだけで楽しくて安心できたものだ。 

 ぼんやりと今までのできごとを思い出していると、ビクトル様がにこやかな笑顔で話した。


「君が婚約破棄されて、周りの植物たちも嬉しそうじゃないか。よかったな、ジュリエット。世話をした甲斐があっただろう」

「あ、いえ……これからも頑張ります」


 ちくちくと心が痛むも、私は思う。

 婚約破棄はされてしまったけど、逆に考えると仕事に集中できるかもしれない。

 元々、王子の妻など分不相応もいいところだ。

 私のような地味な女は、静かに畑仕事をするのが似合っている。

 ふいに、ビクトル様は花壇の花をちぎると、私の顔にぽいっと投げつけた。


「それと、君は今日で宮廷庭師でもなくなるから。端的に言うと、解雇さ」

「……え?」


 何の気なしに告げられた、言葉。

 花が地面へ落ちると同時に、それは私の心にすとんと落ちてきた。

 ……宮廷庭師の解雇……。

 正直に言って、婚約破棄より衝撃的な話だった。

 思わず叫んでしまい、静かな植物園に私の声が響く。


「か、解雇とは、どういうことでしょうかっ」

「まったく、大声を出さないでくれたまえ。どういうことも何も、言葉そのままの意味さ。君は今日をもって宮廷庭師ではなくなる」

「そ、そんな……。しかし、誰がお庭や植物園を管理するのですか」


 宮殿に生きる植物たちは珍しくて貴重な種類が多く、みな繊細で管理が難しい。

 昼間に水をあげると枯れてしまう月夜草、肥料を吸収するスピードが速いリンド花、日差しに弱いポーの樹……。

 庭師は私の他に誰もいない。

 植物たちが枯れてしまうのは嫌だ……。

 絞り出すように尋ねると、ビクトル様は相変わらず淡々と答えた。


「問題ないよ。優秀な人材が君の代わりを務めるのだから」

「優秀な人材……でございますか?」


 ビクトル様は打って変わって優しく、「入っておいで」と植物園の扉に呼びかける。

 入ってきた女性を見た瞬間、息を呑んだ。

 腰まで伸ばされた長い髪は燃え盛る焚き火のように紅く、真っ赤な大きい瞳が爛々と輝き、髪も目も本人が着る純白のドレスによく映えていた。

 彼女は目を瞬かせて私に言う。


「あら、お義姉様。まだ宮殿にいらしたのね。てっきり、追放されたとばかり思っていましたわ」

「メ、メラニー!?」


 現れたのは…………私の義妹、メラニー・ベルメランだった。

 私より二歳年下の彼女は、ビクトル様の腕をさりげなくもはっきりと握る。

 ビクトル様もまた、私には向けない優しげな笑顔で話す。


「君の後任はメラニーだよ。ジュリエットなどより、大変優秀な庭師なのさ」

「お義姉様が宮廷庭師として偉そうに過ごせるのも今日までですわね」

「えっ……メラニーが……!?」


 まさか、彼女が後任とは思わなかった。

 今までメラニーが植物の世話をしている場面を一度も見たことがないのだ。

 たまに植物園を訪れることがあったけど、「服が汚れる」とかで花壇に近寄ろうともしなかった。

 そもそも、あまり植物が好きではなさそうだ。

 目を離すと葉っぱをむしって遊んだりしてたし。

 夜会とかドレスとか、そういう類いの方がメラニーは好きだと思うけどな……。

 ビクトル様は彼女を力強く抱き寄せる。


「僕はメラニーと婚約を結び直した。彼女こそが"真に愛する女性”だったのさ」

「お義父様とお母様もあたくしたちの婚約を喜んでくださってますわ」

「そ、そうなのですか」


 なおも驚く私をおいて、二人は仲睦まじく寄り添う。

 他の庭師を辞めさせたとき、ビクトル様が目的を話していたのがメラニーだ。

 メラニーは私が婚約してから、こっそりと彼との密会を重ねていた。

 世間的に言えば浮気ということになるのだろうけど、相手はこの国の第三王子。

 ビクトル様に対する恋慕の感情も特になかった私は、波風が立たぬよう振る舞うことにしていたのだ。

 植物の栽培に夢中になっていたという事情も多分にある。

 娘の婚約者が家族と言えども違う女性と婚約を結び直すなんて、それもまた一般的にはよくないことだろう。

 でも、お父様は実母の死後、再婚してからお義母様とメラニーの言いなりだ。

 それに、ベルメラン家としては第三王子との繋がりが消えたわけではない。

 お父様たちも王族と婚姻関係があれば良いのだと想像ついた。

 正直なところ大好きな庭師の仕事を辞めるのは辛いけど、王子の命令は絶対だ。

 従わなければならない。

 それならせめて……。


「メラニー、これを受け取って」

「……なにかしら?」


 肩にかけた鞄から一冊の本を取り出してメラニーに差し出す。


「宮殿の植物たちの栽培方法をまとめたノートよ。どの種類もこれを見ればお世話に困ることはないと思う」


 本を読んだり文献を調べたりして学んだ知識と、自分の経験を記したノート。

 これがあれば一通りの栽培はできるはず……。

 メラニーは迷惑そうな顔で受け取ると、中身を見ることなくビリビリと破り捨ててしまった。


「いりませんわ、こんな汚い本」

「あっ!」

「ハハハ、メラニーもなかなかやるな」

 

 パラパラと紙の破片が地面に落ちる。

 今までの努力が壊されてしまったような、悲しい気持ちになる自分がいた。

 メラニーは足で踏み潰すと、不気味な笑顔を浮かべてビクトル様に話す。


「お義姉様の顔を見るのはもう十分でございますわ」

「そうだね。そろそろいいか。さて、ジュリエット、心配はするな。君の新しい就職先は斡旋してあるからね……おい、準備を始めろ」


 言い終わるや否や、植物園に五、六人ほどの魔法使いが入ってきて、瞬く間に私を取り囲んだ。

 みな、宮殿に仕える一流の実力者だ。

 突然のことに怖くなる。


「ビ、ビクトル様、これはいったい……?」

「ジュリエット。君には魔王の人柱になってもらう。今回の献上品は君を贈ることに決めたのさ。ついでに言うと、もう正式な文書も送ってある」

「……っ!?」

 

 今日一番の衝撃で朦朧とする意識の中で、ビクトル様とメラニーの高笑いする様子が見えた、

 シュナイダー王国の北方には、暗黒の闇に閉ざされた広大な荒れ地が広がる。

 通称、暗黒領地。

 伝承によると、数百年前に突如として出現したらしい。

 地面はひび割れ木々は枯れ、この世の絶望がそこにあると聞く。

 そして、その支配者は……魔王なのだ。

 飲み物は人の血、人間をいたぶり殺すのが趣味、睨まれただけで地獄へ落ちる……などなど、恐ろしい噂ばかり。

 侵略の兆候はないものの、五年に一度、友好の印として献上品を贈るのが王国の習わしだった。

 人柱だなんて恐怖で胸がいっぱいになる。

 これだけは拒否しなければ……!


「お、お待ちください、ビクトル様っ。献上品はこの黄金ユリの予定ではなかったのでしょうか!」


 慌てて自分の後方に咲く金色の花々を指す。

 南東にそびえる山脈にしか生息しない貴重なユリで、宮廷庭師になってから栽培に全力を注いできた。

 必死に伝えるも、ビクトル様とメラニーは馬鹿にしたように笑う。


「そんな花より人間の方が喜ばれるだろう。せいぜい苦しまずに殺してもらえ」

「あたくしたちに助けを求めるようなことはやめてくださいね?」


 周りの魔法使いが呪文を詠唱し、地面に魔法陣が浮かぶ。

 ……転送魔法だ。


「ま、待ってくだ……!」


 ビクトル様とメラニーが笑顔で手を振る中、私は白い光に包まれた。

 


 □□□



「うっ……ここは……?」


 白い光が収まったら、私は見知らぬ土地にいた。

 ひび割れた大地に赤黒い空。

 考えなくてもわかる。


 ――……暗黒領地だ。


 伝え聞いた話や文献に記された内容とまったく同じ様相だった。

 見渡す限りの荒れ地が広がるけど、遠方には屋根の尖った塔がいくつもある巨大なお城が見える。

 あれが魔王城だろう。

 できれば行きたくないものの、勝手に逃げては魔王様の機嫌が損なわれ、王国が危機に陥るかもしれない。


 ――覚悟を決めるしかないか……。


 意を決して歩き出す。

 小さな悪霊が飛んでたりして、襲われないかびくびくと怖がりながらも歩くこと五分ほど

 魔王城の前に着いた。

 深呼吸して足を踏み出す……のだけど。

 魔王城の周囲には、何十本もの枯れかけた樹が生えていた。

(元)宮廷庭師の血が騒いでしまい、ちょっと観察してしまう。

 今にも枯れそうでかわいそう。

 世話してあげたいな……。


「……失礼ですが」

「ひぇぇえあっ!」


 ジッと眺めていたら、後ろから女性の声が聞こえて心臓が跳ね上がった。

 慌てて振り返ると、私より少し背が高く、モノトーンなメイド服を着た女の人がいた。

 濃いめの青い髪をボブカットにしており、凜とした青い目が美しい。

 人間みたいな風体なのだけど、一つだけ明確な違いがある。

 ……頭から二本の角が生えている。

 

「ジュリエット様とお見受けしますが?」

「え……は、はい、そうです。私はジュリエット・ベルメランと申します」

「やはりそうでしたか。遠路はるばるお疲れ様でした。私めは魔王様の使用人、セシルでございます」

「よ、よろしくお願いします」


 丁寧にお辞儀をされ、私も急いでお辞儀をする。

 案内してくれるというので、セシルさんに続いて魔王城の中を進んだ。

 お城は暗くて空気は冷たい。

 誰とも会わず、それがまた不気味だった。

 しばらく歩くと最上階に着き、重厚な扉の前に通された。


「こちらが魔王の間でございます。準備はよろしいですか?」

「だ、大丈夫です」


 セシルさんの言葉にゴクリと唾を飲む。

 いよいよ、魔王様と対面するのだ。

 重厚な扉がゆっくりと開かれる……。


「魔王様、ジュリエット様がいらっしゃいました」


 セシルさんの後を静々と歩く。

 奥の玉座には……男性が座っていた。

 長くて黒い髪に鋭い目つきの黒目。

 身につける魔法使いみたいな衣服も黒く、全体として暗い雰囲気が漂う。

 冷淡で怖い印象はあるものの、一見すると私たち人間と同じだ。

 セシルさんみたいな角もない。


 ――この人が魔王様……?


 もっと大きくて恐ろしい(まぁ、怖いのは怖いのだけど……)、悪魔みたいな人かと思っていた。

 もしかしたら、良い人で見逃してくれるかも……などと少しの間考えていたら、魔王様にギロンッと睨まれ背筋が凍りつく。


「……お前が今回の献上品とやらか?」


 先ほど一瞬想像した希望はすぐに消え去った。

 今の自分は人柱なのだ。

 私の人生は今日で終わりなのかな。

 

「は、はい、さようでございます。ジュリエット・ベルメランと申します。不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」


 混乱でよくわからない返事をしてしまう。

 そんな私に対し、魔王様は頬杖を着いたまま何の感情も込もらない声で言った。


「今すぐ失せろ、人間」



 ◆◆◆



 ジュリエットを追放した後、メラニーとビクトルは宮殿の豪奢な談話室でゆったりとくつろいでいた。


「お義姉様を追い出してせいせいいたしましたわ。宮廷庭師にはなりましたけど、ビクトル様とお会いする時間は減らしませんからね」

「ああ、もちろんだ。草や花の世話なんて適当でいいさ。勝手に育つだろ」


 メラニーは笑い、ビクトルも笑う。

 宮殿の植物園や庭には、彼女らが思う以上に繊細な植物が生きる。

 ジュリエットの献身的で配慮に満ちた世話を受けられなくなり、すでに枯れ始めている貴重な植物たち。

 国王夫妻や二人の兄は外遊や遠方の視察で不在がちなこともあり、ビクトルは自由にできたわけだが、自分たちに訪れる破滅の未来を二人は知る由もなかった。

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