第二章 新藤くん (1)
【アッキーの恋の軌跡】
「2010年、明けましておめでとうございます」と先に挨拶しておこう。
正月三が日はここ数年恒例となっているように、私と拓人の実家を持ち回りで挨拶しにいった。私の父から拓人が酒を勧められ、「どうするかな」と私は見ていたが、結局飲んでいた。この時期に禁酒は無理があったか。
そんなこんなで、新年一発目のラジオ放送を、お正月ムードが消滅した九日に迎えた。
もはや説明するまでもなかろうが、ここで私が語っている恋愛体験は、人名などをぼかしつつ、ラジオでもちゃんと語っている。ラジオどおりの口調で語ってもよいのだが、「あのう」とか「ええと」とかが多過ぎて話の腰を折られてしまうこと必至である。
ではさっさと参ろう。今回はちと長いのだ。
私は地元の中学に進級した。ほぼ全員が小学生時代からの顔馴染みだったが、人生初経験の制服というものが私にそれなりの新鮮味を与えてくれた。
私の学校は学ラン、セーラー服を採用していた。セーラー服は夏が白、冬が紺で、スカートはグリーンのチェック柄だった。なかなかに可愛いデザインで私も気に入り、春休みに二十人以上の親戚の前でファッションショーをしてみせた。あの集まりはお父さんの叔父に当たる人のお通夜だったわけで、お父さんにナックルアローを食らわされたのを覚えている。
中学進級にあたり、私は意気込んでいた。「いよいよ私も、恋という魅惑の世界に足を踏み入れてやるぞ」と。
小学生時代に恋人関係を公にしていたのは長山くん・小波ちゃん組ぐらいのもので、他に誰々がつき合っているという話はまったく聞かなかった。ただ、私の周りの子はみんな恋をしていた。好きな男子の一挙手一投足に注目し、その結果泣いたり笑ったりしていたのである。もう、なんていうか楽しくて仕方がなさそうに見えた。
で、私はとことん男子を意識して生活した。
するとどうだろう。小学生のときとは打って変わって、男子との会話が減ってしまったではないか。一学期に初潮を迎えてからは、もう病気のように男子を避けるようになってしまった。まるで、クラスの男子全員に恋をしているみたいだった。
違う。何かが違う。
おまけに、女子の中でもなんとなく孤立してしまう。男子を意識すると同時に男子の目も意識していたから、嫌われてしまったのだろうか。スカートの丈を短くしたのも私が最初だったし、夏服のセーラー服の胸もとをはだけて着ていたのも私が最初だった。っていうか、私だけだった。当時はブラデビューもまだだったので、今思いだすと死にたくなる。
結局空回りしたまま一年が過ぎ、二年になった。クラスの面子が変わったのをきっかけに、私もいい加減にしようと思った。とりあえず、一人ぼっちは寂しいので友達を作ることにした。
一年のときに転校してきた、真奈美ちゃんという女の子だ。飾りっ気のないショートカットは校則違反で罰せられた証、やはり少し不良っぽい子だった。
なんと彼女は、今までに五人もの男子とつき合ってきたのだという。現在の彼氏はサッカー部のエースで、これまた男子における校則違反の証である坊主頭をした先輩だった。
真奈美ちゃんはカリスマだった。彼女に憧れる女子たちが集まり、新たに十人ほどのグループが形成された。もちろん、私もその中の一人である。グループの端っこのほうにぴたっと張りついていた。
私と特に仲よくしてくれたのが、小学校時代でもお馴染みの小波ちゃんである。長山くんと交際していたという経歴から、彼女も相当な権力を持ち、グループ内のナンバーツーといえた。わたしはナンバーセブンぐらいだろうか。うん、縁起がよい。
「斉藤くん、明日は学校にきてくれるかな」休み時間に、小波ちゃんがひそひそ声で話しかけてきた。
「もう三日も会ってないよー。早く斉藤くんの顔が見たい」
緩くパーマを当てた髪の毛や、薄くなった眉のせいで、顔つきが変わってしまったが、けれどもあの小波ちゃんである。私はかつての彼女とは別人だと思って接していたが、もしかするとあちらもそうしていたかもしれない。
「本当だよねー」私は話を合わせた。
「彼女いるのかなー。あんなにカッコいいんだから、いないわけないよね」
「駄目だよ。私が先に告るんだから」
「えー。ずるいー」
私は口を尖らせて、くねくねと腰を振った。
真奈美ちゃんのカリスマ性は、思わぬ部分にまで影響を及ぼした。
小学生の頃は絶対悪、中学一年の頃は絶対正義だった私の中の男子という存在を、そのステータスに基づいて、きっちりと二分してくれたのだ。すなわち、カッコいい子や面白い子、スポーツができる子や不良っぽい子のみが正義なのである。中でも、不良っぽい子は英雄だった。その男子が悪ければ悪いほど、私たちは心をときめかせた。一番人気なのが、暴走族の兄を持ち、集会に参加するために学校をサボっていた斉藤くんだったのだから恐ろしい話である。
逆に、不細工な子、暗い子、運動神経が悪い子なんかは悪と認識していた。
「うわ、見て」小波ちゃんがそう言いながら、一人の男子を指差した。
「あいつ、真奈美のこと見てない? うわ、きも! 真奈美、可哀想―」
うちのクラスにおける悪の典型ともいえる存在で、多数の女子に敵視されている新藤くんだった。やたらと湿気を含んだ天然パーマや細長い垂れ目、鼻の下に生えた産毛など、容姿の迫力に加え、いつも独りぼっちだし、スポーツもまるで駄目。挙句の果てには、今小波ちゃんが言ったように、不気味な視線を色んな女子に向けているのである。なんという凶悪さだ。
「ねえ、あきちゃん。もし、あいつに告られたらどうする?」
「うわー。そんなの、死んだほうがまし!」
それほどの強大悪ならば、かつての私ならジャンプキック一撃で沈めていただろう。ところが、今回の敵はその身体に触れただけで大きなダメージを負ってしまうため、打つ手なしであった。
よって、遊びに利用することにした。
真奈美ちゃんの考案した〈新藤菌ゲーム〉は当時の昼休みの定番であった。まず、じゃんけんをして負けた子が新藤くんにタッチする。今度は新藤菌のついたその子から、他の子が「わあきゃあ」と教室内を逃げ回るのだ。昼休みが終わった時点で、まだ新藤菌がついたままの子が負けとなる。まあ、単なる派生版鬼ごっこだ。
で、初めてじゃんけんで負けてしまったとき、私はものすごく狼狽した。なぜなら、はっきりいって新藤くんが可哀想に思え始めていたからである。しかし、ゲームから下りるわけにも、狼狽を他の子たちに見透かされるわけにもいかない。また独りぼっちになってしまいそうだからである。
私は恐る恐る新藤くんに近づいていった。かなり足音を忍ばせたにも関わらず、彼はすぐに私に気がついた。
彼は横目でじっと私を睨みつけていた。やはり彼も馬鹿でないのだから、自分がどう扱われているかを知っているのである。私は手を差しだしたまま、固まって動けなくなってしまった。
幸いにも真奈美ちゃんたちは、私が新藤くんを本気で嫌っての躊躇だと勘違いしてくれているらしく、何やら冷やかすような声を背中に投げかけていた。
新藤くんは、やがてそっぽ向いた。それを機とばかりに、私は新藤くんにちょんと触れて、無事その日はゲームを開始させることができたのだった。
そして、ぼちぼち〈新藤菌ゲーム〉にみんなが飽き始めていたある日、真奈美ちゃんが恐ろしい提案をしたのだった。
「じゃあさ。今日負けた人は、放課後新藤に告白するってことにしない?」
残酷だと思った。もちろん負けた女の子がではなく、新藤くんがである。今までだって残酷だったのには変わりないが、もし彼が本当にその子のことが好きなのだとしたら、目も当たられない。だって、その子は新藤くんとつき合う気なんてさらさらないのだろうから。真奈美ちゃんに限っては、彼氏もいるのだ。
「ちょっと、さすがにそれはまずくない? だって――」
このときばかりは私も、ナンバーセブンの分際で偉そうにも意見してしまった。だがそれに対する真奈美ちゃんの反論は、ある意味非常に的を射ていた。
「大丈夫、大丈夫」ふははと無邪気に彼女は笑う。
「つーか、あいつが私たちとつき合いたがるわけないじゃん」
それもそうである。むしろ、罰ゲームであることを見抜いてしまうはずだ。
そんなわけで、残酷なゲームの幕は半ば強引に上がった。じゃんけんで負けた小波ちゃんは、まるで叩くように新藤くんにタッチしていたが、新藤くんは一切無関心のようだった。新藤菌が女子たちのあいだを次々と移動し、時間は瞬く間に過ぎていく。昼休み終了のチャイムがなるまで残り三分という状況で、ついに新藤菌が私に移ってしまった。
これはまずい。もしあんな罰ゲームをやらされるはめになったら、いよいよ新藤くんに一生呪われてしまう。さっさと誰かに押しつけてしまわなければ。
追う私も必死なら、逃げる女子たちも必死である。一番足が速かったはずの私が、まったく追いつけない。机のあいだを縫い走り、みんな巧に私の手を逃れていく。
そんなとき、目の前で真奈美ちゃんがすってん転んだ。それを見た私はトペ・スイシーダのように飛びかかって彼女を捕まえようとしたが、その手が触れるより一瞬早く、無情にもチェイムが鳴り響いたのだった。
「やったー! 秋実の負けー!」
「あきちゃん。放課後絶対に逃げちゃ駄目だからねー」
本気で逃げだしたかった。