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第一章 グッドタイミング (6)

 昼休みのことを小波ちゃんに話すと、彼女は呆れたように溜息をつくのだった。

「それは駄目だよ。あきちゃん」


「なんで?」

「男の子が女の子に告白するのって、すごく勇気がいるんだから、そんなに人がたくさんいる場所で詰め寄ったって、本当のこと言うわけないじゃん」


 なるほど。言われてみればそうだ。私はまた一つ、大人になった。


 ところが、放課後に予想だにしない出来事が起きた。今度は長山くんが私のクラスを訪ねてきたのである。


 私は席についていた。帰る準備の整った状態で、小波ちゃんと二人で連続ドラマの話に花を咲かせていた。


「は? なんか用?」

 そんな悪態をつきながらも、私の心臓はばくばくと高鳴っていた。


 長山くんは周囲を見渡した。やはり、生徒のほとんどがこちらに目を向けている。

 それから長山くんは、大きく深呼吸をし、真っ直ぐに私を見下ろしたのだった。

「好きです」


「はい?」

 まるで心臓で何かが爆発して、その衝撃が全身に広がっていくような感覚。おそらく、肌という肌が粟立っていたことだろう。長山くんの気持ちをとうの昔に察しており、おまけに今その台詞を告げられる予感もわずかながらあった。なのに、どうしてこんなにうろたえてしまうのだろう。


 しばらくして、私は我に返った。すると、どうだ。教室中、大騒ぎではないか。頭の弱い男子どもが、「ひゅうひゅう!」や「熱いね、お二人さん!」など、決まりきった文句をはいている。


 私はまた少し腹が立った。こんな恥をかいてしまったのも、全部長山くんのせいである。昼休みの仕返しもしてやらねばならない。


 さあ、この世というこの世の黒い部分を全部詰め込んだような、そんな言葉で長山くんを拒絶してやるのだ。


 ところが――。

 

「お前は俺のこと、どう思ってる?」

「え? 長山くんのこと? え? え?」


 またしても、私は固まってしまう。なぜだ。「あんたのことなんか、好きなわけないじゃん、くそばか!」と言ってやればいいのに。ぱくぱくと金魚のように、口を開閉するばかりだ。


 私はうつむいてしまった。顔が真っ赤になっているような気がしたからである。

「き、嫌いってわけじゃないけど……」

「好きなのか?」


 もう一度顔を上げて、長山くんを見る。なんという男らしさだろう。まさか、彼にこのような一面があったとは。


 私は彼にすべてを委ねるように、そっと目をつむった。

「好き、です」


 そして、両手で顔を覆った。


 ああ、もう誰にも見られたくない。長山くんにも、小波ちゃんにも、クラスのみんなにも。私の顔はきっともう、完熟トマトのような塩梅になっていることだろう。


「おい、目を開けろ」

 言われるがままに、私は手をどけて目を開けた。そこに、優しく微笑む長山くんの顔があり、私も不器用ながら微笑んでみせた。


 すると次の瞬間、長山くんの笑顔がどんどん卑屈な、気持ちの悪い笑顔に変わっていくのだった。


「お前に言ったんじゃねえよ。ばーか!」

「へ?」


 ざわめきの中、長山くんは身を翻し数歩移動した。そこに、いつの間にか私のそばから離れていたらしい、小波ちゃんが立っていた。


「俺、木下きのしたが好きなんだ」

「き、木下……小波ちゃん?」

 私は目をまん丸にして呟いた。


「ええ!」もとから少し赤い小波ちゃんの頬が、絵の具を塗ったように真っ赤になった。

「わ、私? どういうこと? だって、あきちゃんは……?」 


「昼休みのお返しだよ、ぼけ!」小波ちゃんの問いなのに、長山くんは私に向かって答えた。

「お前みたいなくそ生意気な女、誰が好きになるかっての。お前のせいで、まだ木下に告白する気はなかったのに、告白しなきゃいけなくなっちまったじゃねえか。殺すぞ、あほ」


 長山くんは小波ちゃんを見つめた。

「木下。お前のことが好きなんだ。つき合ってくれ」


「で、でも……」

 小波ちゃんはちらちらと私の表情を窺う。


 私の宮沢りえ似の美しい顔も、そのときばかりは、極悪同盟のダンプ松本みたいになってしまっていたことだろう。そんな凄まじい形相で、私は長山くんを睨みつけていた。


 お、おのれえ! なんたる屈辱! この怒りと憎しみを一滴残さず右足に込めて、お前に叩き込んでやるからな!


 いつしかざわめきは、長山くんと小波ちゃんへの冷やかしの声に変わっていた。その声を脳裏の隅で聞きながら、私はこっそりと上履きを脱いでいった。


 長山くんは小波ちゃんにも色々とひどいことをしてきたのだ。小波ちゃんはびしっと交際を断ってくれるはず。それで意気消沈する長山くんの側頭部に、追い討ちをかけるようにジャンプキックを見舞ってやるのだ。


 しばらくして、ついに小波ちゃんが口を開いた。

「私も、長山くんが好き」


「え?」

 私は手に持っていた上履きを、ぽてんと床に落とした。


「だから」小波ちゃんは、身体をもじもじさせながら続けた。

「友達からなら、つき合ってあげてもいいよ」


「ほ、本当!?」


 冷やかしが一層、ヒートアップする。最初より明らかに人の数が増え、いつの間にか他のクラスからの野次馬も混ざっていた。まんざらでもないような顔をしながら、長山くんはそんな彼らに弁明の言葉を投げた。


 一方で、とり残された私はその場に立ち尽くしたまま、身動き一つできない状況にあった。思考回路が完全に遮断され、目の前の光景がテレビドラマか何かのような、まるで実態のない世界に見えていた。


 首を傾げようかなと、私は思った。


 今考えれば、タイミングとしては正しい。これ以上ない、グッドタイミングといえる。しかしそのタイミングを逃し続けてきた私にとって、自然に首を傾げるというのは至難の技であった。


 実行に移した途端、ごきっと鈍い音がして私はうずくまった。その日の夜、母に連れられて整体医院の門戸を叩くはめになってしまったのだった。


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