第一章 グッドタイミング (5)
それからは比較的平和な日々が続き、私たちは五年生に進級した。小波ちゃんとは引き続き同じクラスになったが、長山くんとは別々のクラスとなった。
この頃あたりから、女子のあいだでは恋愛話が持ちきりとなる。その存在ぐらいしか知らない私でも多少は興味を覚え、クラスのかっこいい男子についてのひそひそ話を、小波ちゃんと一緒に胸をどきどきさせながら聞いていた。
一人の活発な女の子が、好きな男子を暴露した。女子たちは騒然となり、その騒ぎに一応私も参加する。なんだか不思議な感覚であるが、その女子が好きだといった男子だけ、私は敵と見なさないことにした。
そんなとき、私たちとは別の女子グループが面白い企画を始めた。題して〈クラスの男子全員に聞きました。あなたの好きな女子はだあれ? ミス五年三組コンテスト〉である。実態を説明するまでもなかろう。その名のとおりである。
実をいうと、その男子バージョンが先立って行われていた。こちらの企画者も同じ女子グループである。無記名投票なので私も一応参加したが、好きな男子などいるはずもなく、適当に目立たない男子を選んで票を投じておいた。
優勝候補筆頭の男子が半数以上の票を集めるという、面白味のない結果に終わった。その男子とも私は過去に何度かいさかいを起こしているので、「もし私が彼に票を入れたなどと勘違いされたらたいへんな名誉毀損だな」という感想ぐらいしか抱かなかった。
で、満を持しての女子バージョンである。男子のときとは比べものにならないほど私も興味津々だったが、一方で「有効票など一票も入らないのではないか」と本気で危ぶんでもいた。男子は散々女子に迫害を加え続けてきたのだ。無論、彼らも女子を敵と見なしているからこそ、そんな凶行に及ぶわけで、ましてや好きな女子などがいるはずもなかろう。
かくして、開票のときが訪れた。
代表の女子が一票、また一票と用紙に書かれた名前を読み上げていくたびに、クラスのみんなは歓声を上げ、それとは裏腹に私は顔を青ざめさせていくのだった。
この驚愕たるや、どんな言葉で表現すればよいのか。黒板に書かれた私の名前、その下の〈正〉の数が最終的には三つにも上っていた。
陰謀だと私は思った。これは新手の嫌がらせなのだ。憎き男子どもが手を組み、私を陥れようとしている。
だが、彼らの作戦は見事にはまった。陰謀を陰謀と信じきれない私は、とにもかくにも喜びを隠さずにはいられなかった。その日の放課後、お母さんに、生まれて初めて美容院という場所へ連れて行ってもらったのであった。
その頃あたりから、ひょっとして私はすごくもてる女なのでは? と自覚し始めた。お母さんに宮沢りえの活躍も聞かされ、自信は更に高まった。完全に男子どもの手のうちである。
そうなると、必然的に私に票を投じた男子が誰なのかが気になる。一五票も入ったのだから、ほとんどの男子が私に投票しているわけである。
「ねえ、小波ちゃん」と親友に訊ねてみる。
「うちのクラスの男子で、私のことが好きそうなのって誰かなー。小波ちゃんは誰だと思う?」
「うーん……」
胸もとのえりを指でつまみ、ぱたぱたと扇ぐように前後へ動かす。何かを考えているときの、小波ちゃんのくせだ。
先の総選挙で一票も入らなかった彼女に言わせてみれば、これほどうっとうしい友達はいないだろう。しかし、そんなことにすら気がつかないほど浮かれていたのだから、仕方がない。
小波ちゃんは優しい子なので、特に気分を害したようすも見せずに答えてくれた。
「長山くんかな。やっぱり」
「な、長山くんって……」
うちのクラスではないじゃないか!
しかも、あの長山くんをチョイスするとは――。
小波ちゃんの意外な一面を発見である。なんと彼女は面白い子だったのだ。お笑い芸人の真似をして私がツッコミを繰りだそうとすると、
「だって私、知ってるんだ」と小波ちゃんは続けた。
「ときどき長山くんが、廊下からこっそりとあきちゃんを見てるの。すごく寂しそうな目で」
至って真面目な顔つきである。
ひょっとして、冗談でもなんでもないのだろうか。
確かに、思い当たる節がないわけでもない。男子が好きな女子に対してちょっかいをかけたがるという理不尽なメカニズムが存在するということについては、すでに認め始めている。かの図工の時間の事件を発端とした長山くんの態度の変移も、すべてはそのメカニズムに基づいた自分の気持ちを悟られたくないがためだったのではないか。
そうだ。そうなのだ。長山くんは私のことが好きだったのだ。
私は有頂天になった。もう、楽しくて仕方がない。「あの長山くんが私のことを」とそう考えるだけで、うひょひょな気持ちになる。さあ、どうやって長山くんをからかってやろうか。
その日の昼休みに、私は早速長山くんのクラスを赴いた。机で数人の男子と語り合っている長山くんを見つけ、ずかずかと教室の中に足を踏み入れていった。
「長山くん!」
満面の笑みを浮かべる私に気づいた長山くんは、一瞬だけぎょっとした顔を見せ、それからすぐに不快そうに眉をひそめた。
「勝手に入ってくんなよ、ぶす」
おっと、いきなりの先制攻撃である。うふふ、可愛い、可愛い。彼の気持ちを知っている私にしてみれば、すべての罵詈雑言は暖簾に腕押しなのだ。
長山くんが私を無視しようとしたため、私は笑みを絶やさぬまま、彼の背中へ回り込んだ。かつてのいがみ合いのせいで警戒を解くわけにはいかず、長山くんはきょろきょろと私を目で追う。
「ねえ」私は背中から長山くんの顔を覗き込んだ。
「長山くんって、私のこと好きなんでしょ?」
「はあ!?」長山くんは身体ごと後ろを振り向いた。
「ふざけんなよ! お前、殺されてえのか! なんで俺がお前みたいな不細工、好きになんなきゃなんねえんだよ! ぼけ!」
暖簾に爪が引っかかる。少々むかついてしまった。
「誤魔化したって無駄ですー!」私は唇を尖らせて言った。
「長山くんがいっつも私のこと寂しそうな目で見てるって、友達が教えてくれたんですー!」
「知らねえよ! 勝手に決めんなよ! さっさと自分のクラスに帰れ! くそあま!」
困ってしまった。返す文句が思いつかない。
しかしまあ、男子という生きものは、なんでこうも素直じゃないのだろう。何杯カツ丼をご馳走してあげれば、本音を吐いてくれるというのだ。
気がつくと、周りの子たちの注目を浴びていた。男子も女子も、みな一様に好奇心に満ちた目をしている。私は恥ずかしくなって、逃げるように退散したのであった。