第一章 グッドタイミング (4)
【アッキーの恋の軌跡】
小学校低学年だった当時、私は最強だった。
女子が男子にいじめられているという話を聞きつけては、一目散に現場へ駆けつけた。相手が気心の知れた同じクラスの子であろうが、名前も知らない余所のクラスの子であろうが、片っ端から宣戦布告してやった。
私の必殺技は、おそらくアントニオ猪木あたりに影響を受けたジャンプキックである。スカートがめくれようと気にしない。十メートルほどの助走をつけ、男子の側頭部に不意打ちで決める。上履きをはいたままだと可哀想なので、あらかじめ脱いでおくのが礼儀である。
こんな大技を使いこなす女子は私以外におらず、大抵の男子はそれで泣きだしてしまうのだが、ごく稀に耐える者や避ける者が現れる。そんな奴らには、第二の必殺技である脅迫だ。
「やめてくださーい。先生に言いつけますよー」
「何もやってませーん。こいつが勝手に泣き始めたんですー」
喧嘩のときは敬語を使いなさいと、先生に言い聞かされていたのだ。
あまりに聞き分けがない相手の場合、奥の手を使う。喉を枯らさんばかりに叫ぶのだ。
「せんせえー! 女子がいじめられてますー! きてくださいー!」
確かにそう言っているのだが、周りの者にとっては甲高いノイズにしか聞こえていなかっただろう。これを使えばもう無敵で、男子はその場を逃げだす他ない。ふと気がついたときは、いじめっ子の男子は姿を消しており、いじめられていた涙目の女子が私に駆け寄ってきている。
「あきちゃん。ありがとう」
「うん」にこっと微笑み、私は決め台詞を口にする。
「何かあったら、いつでも私を呼んでね」
私にとって、男子は絶対悪であり、女子とは盃を酌み交わした兄弟だった。私たちのクラスに平和な女子の楽園を築くべく、いつも私は目をぎらぎらさせ臨戦態勢を崩さずにいた。
そんな私の最大の宿敵ともいえる相手が、長山くんである。転校してしまったので顔はよく覚えていないが、後に聞いた話だと相当かっこよかったらしい。しかし私の中では、やはり悪でしかない。
長山くんは何かにつけて私に戦いを挑んできた。休み時間に隙を見て忍び寄り、いつも、私の艶々な黒髪ロングを、手でぐしゃぐしゃにして逃げていった。
もちろん、私は追いかける。長山くんの逃げ足はかなりのものだったが、それでも運動会でハヤブサと戦かれた私の脚力には敵うはずもまい。
徐々に差がつまり、あと少しで捕まえられそうになったとき、決まって長山くんは男子トイレへ逃げ込むのだ。卑怯なり、長山!
他の女子は躊躇してしまうだろうが、私を舐めてもらっては困る。私は一切の迷いも見せずに、男子トイレの中まで追いかける。
「うわ! こいつ、男子トイレの中に入ってきたぞ! 変態だ、変態だ!」
「うるさい! 死ね!」
〈喧嘩のときは敬語〉という掟を守らぬ者には、私も相応の態度で臨む。
だが、自慢のジャンプキックはトイレでは使えない。助走するには距離が足りないし、上履きを脱げない。よって、アジャコングあたりに影響を受けたチョップを軸に戦線を組み立てるのだが、長山くんはそのチョップの雨からするりと抜けだし、逃亡を再開するのだ。
そんなこんなで休み時間の終了を告げるチャイムが鳴り響き、一時休戦となる。その繰り返しだった。
最強の女子だった私だが、長山くんにはどうにも負け続きであった。足は私のほうが速かったが、水泳のクロールでは、長山くんが一歩リードしていた。なぜか勉強もできる奴で、テストの点数でもいつも負けていた。
小学校四年に上がる頃には、男子と女子の抗争はややなりを潜め、私と長山くんの個人抗争ばかりが過熱していった。
私のそばにいつもついていてくれたのが、小波ちゃんである。その頃の彼女は気の弱いおとなしい女の子で、むしろ私が子犬のような彼女を放ってはおけなかった。
ある日、小波ちゃんは言った。
「あきちゃんって、宮沢りえに似てるよね」
「え? そうかな」
実はお母さんにも、同じことをよく言われていた。宮沢りえが一世を風靡したアイドルだということを、大人になった今ではもちろん知っている。だが当時の私には、貴花田との結婚を発表して結局は婚約解消した人という認識しか残っていなかった。よって、どんな顔をしているのかもぴんとこず、あまり褒め言葉だとは受けとっていなかった。
何が言いたいのかというと、要するに少女時代の私は絶世の美少女だったということだ。ははは。
しかしながらそんな自分の美貌に気づくはずもない私は、相変わらずの日々を過ごしていた。長山くんとの抗争の日々である。
ある日、ちょっとした事件が起きた。図工の時間、私と小波ちゃんが協力して作り上げた厚紙タワーを、長山くんが引っくり返したのだ。
しくしくと泣きじゃくる小波ちゃんを残し、逃亡する長山くんを追いかけようとしたとき、担任の若い女の先生が声を上げた。
「あんたたち、いい加減にしなさい!」
「だって、長山くんが……」
私の主張は聞き入れてもらえず、私と長山くんは揃って説教されるはめとなった。しかもクラス全員の前に立たされてである。
「あのねえ」先生は両手を腰に当て、ぐっと前屈みになった。
「長山くんは男の子でしょう? 女の子をいじめるっていうのは、男の子として最低の行為なんだよ」
ぶすっした顔の長山くんに、私は挑発的な笑みを見せつけてやった。
「あきちゃんも!」先生が私に顔を向ける。
「女の子はもっと女の子らしくしなくちゃ駄目でしょう? 女の子は暴力なんて振るっちゃだめ!」
私もぶすっとし、今度は逆に長山くんがにやりと笑う。
そのときだ。説教を見守る男子の一人が、突拍子もないことを口にしたのだ。
「先生! こいつら、つき合ってるんですよ!」
「な!?」大げさに反応したのは長山くんだ。
「お前、何言ってんだよ! ふざけんなよ! 誰がこんな女と!」
逃げだす男子を追う長山くん。彼らの背中を更に追う先生。三人は教室を出ていき、騒ぎ声だけが廊下から届いていた。その騒ぎ声に耳を傾けながら、私はきょとんとして、その場で立ち尽くしていた。
まったくもって意味不明である。なぜ私と長山くんが恋人同士などという発想が生まれてしまうのか。私は正義であって、長山くんは悪なのだ。そんな二人が恋人同士なんて、あるわけがないではないか。
あまりに突飛な言葉過ぎて、私は怒るのも忘れていたのだ。
思えばこのときもチャンスだった。なんのチャンスかというと、首を傾げるチャンスなのだが、まだまだ情報量が足りていなかったのだろう。
まあ深くは気にせずに、これからも長山くんとは幾多なる交戦の歴を刻むのであろうなと私は考えていたのだが、それ以来長山くんはあまり私にちょっかいをかけてこなくなった。
私と長山くんが争うことにより、なぜか私たちがつき合っているなどと誤解する輩が出てくるということが判明したため、一応は理解できた。そんな誤解を受けるぐらいなら、私とて争うのをよしとはしない。ならば、もう正式に抗争を終えようではないか。
ただ、少しばかり寂しかったのは確かである。