エピローグ
【OFF】
放送終了後もブースに残り、私はリスナーから届いたメールを読み漁っていた。
拓人の公開プロポーズについての感想は、やはり私たちを祝福する声が大多数を占めていた。ただ、中には「ラジオを私物化するな」など厳しい意見もあり、たいへん勉強になった。最終回ということもあり、いつもの三倍近くのメールが届いていた。
「なんちゅう顔してん?」
隣りで同じくメールに目を通していた真鍋さんが、苦笑いを浮かべながら言った。
確かに、私は死人のような顔をしていただろう。番組開始時には予想だにしていなかった怒涛の展開に、心身ともども疲れ果てているのだ。
それが心地よい疲れとならない原因は、明確だ。リスナーさまの反感に加え、結婚資金の問題、そして、依然として不明瞭な拓人の私への気持ち。私の悩みは、一生尽きることがなさそうだ。
「そんじゃ、この分はもう読んだねえ?」野波さんがメールの束を持ち、スタジオ入り口のドアに手をかける。
「お先に失礼するよお。あきちゃん、一年間お疲れさまあ。新藤くんと仲よくやってねえ」
ばたんとドアが閉ざされた一瞬、スタジオ内がしんと静まり返った。その静寂を打ち破ったのは私である。
「真鍋さんは、結婚願望ってありますか?」
「ん?」真鍋さんはきょとんとした顔を見セた。
「なんなん? ひょっとして、結婚に気が進まへん? 早くもマリッジブルー?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど」
「結婚願望、もちろんあるよ」真鍋さんは不適に微笑んだ。
「女たるもの、誰か素敵な人にもらわれたいって思うん、当然やと思わへん? うちの場合はそうやなー、結婚相手よりも結婚そのものに対する憧れが強いかなー」
「結婚そのものに……」
「そんなん、人それぞれやで。あきちゃんも同じように考えろとは言わへんよ。好きな人と、ずっと一緒にいたいからってだけでもいいし」
「そ、そうですね」
私の場合は――。
うーん、頭が痛い。
額を押さえながら玄関のドアを開けたとき、私は身体を強張らせた。薄々予見していたとおり、そこに拓人のスニーカーが脱ぎ捨てられていたからだ。
私は電気も点けずに、足音を忍ばせて寝室に向かった。まるで、敵のアジトに侵入したスパイのような心境だ。ここは私の家だったはずだが。
「拓人?」
寝室は消灯されていたが、なんだか明るかった。いつもは閉まっているカーテンが開け放たれ、窓から月明かりが漏れていた。
拓人はベッドの上にうつ伏せて、夜空を眺めているようだった。
「おかえり」
布団に包まったまま、彼は言った。
「ただいま」胸のうちを悟られないよう、できるだけ平然とした口調で挨拶を返す。
「いつからいたの?」
「仕事終わってから、ずっと」
「ふーん」
私は部屋の中心に立ち尽くしていた。ぼうっと窓の外に目を向けていた。
婚約を交わした直後の、二人にとってはハッピーなはずの時間である。それなのに、さまざまな悩みに頭を痛めてしまっているという事実が、私に後ろめたさを感じさせていた。
そんな私を見かねたか、拓人は布団をまくり上げて、私を手招きした。
「寒いでしょ? おいで、おいで」
「うん」
私はそう答えるが早いか、上着を脱ぎ始めていた。少し恥ずかしかったので、拓人に背を向け、残りも全部脱いだ。その行動は、後ろめたさを隠すためのものでもあった。
「ん? 脱いでんの?」
「そうだよ。悪い?」
私はさっと布団の中に潜り込んだ。同時に、拓人は私を抱きしめてくれた。
ああ――。
とても、温かい。
意外と身体が冷えていたのだろう。いつにも増して温かく感じられる。
ふわっと頭痛が萎えていき、例によって睡魔に襲われる。
拓人は私の頭をそっと撫でた。
「――だよ、秋実」
何か言っている。吐息が首筋に触れ、その部分がほんのりと熱を帯びる。そして、その息はやはり酒臭い。もう、禁酒は終了なのか。
「好きだよ、秋実」
私のことが好きだって? そんなことは、言われなくても分かっているさ。私が訊きたいのは、なぜ私のことが好きなのかであって……あと、それから結婚資金のこともね。
あ、まずはさっきの文句を言わなきゃ。ラジオで公開プロポーズなんて、全然似合わないことして。そのせいで、リスナーに怒られちゃったんだぞって。
「ねえ、拓人」
うつらうつらしながら、私は口を開いた。
「ん、何?」
「あのさあ……」
「うん?」拓人は上体をわずかに起き上がらせ、不思議そうに私の顔を覗き込んだ。
「なんだよ、じれったいな。早く言ってくれ」
「…………」
私の場合は――。
どうでもいいや。
〈ホッとスイーとタイム 完〉
ご愛読ありがとうございました。
大好きなほのぼのを追求してみたら、こんな感じになりました。
ある意味、自分のスタイルに最も合った作品だと思います。
来週から新連載始めます。
今度は一転して凝ったお話です。
お楽しみにー。