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第一章 グッドタイミング (3)

「ところで、その彼氏なんだけどさあ」

「はい?」

 まだ何かあるのか、と野波さんに顔を向ける。


「そろそろ、ラジオでカミングアウトしちゃってもいいかなって思ってるんだよねえ」


「カミングアウト?」

 なんのこっちゃ分からないが、仕事の話だというのは分かった。野波さんはいつも、まさかというタイミングで仕事の話へ移転する。


「スポンサーさまからのご進言よお」皮肉たっぷりに野波さんは言う。

「まあ、〈ホッとスイーとタイム〉の反響がいまいちよろしくないっていう話は前からしてるよねえ。聴取率も毎回さっぱりだしい」


「す、すみません」

 私はしゅんと肩を落とした。なんとも耳が痛い。


「あきちゃんが悪いんちゃうよ」真鍋さんがすかさずフォローしてくれる。

「土曜の深夜は激戦区なんやから。AMなんてどこも東京の番組ネットしとるし。うちかて〈ホッとスイーとタイム〉以外はほとんどそうやん」


 しかし、ありがたいそのフォローも、私の耳を通り過ぎて星空の彼方まで飛んでいってしまった。


 はあ――。


 そうなのだ。前番組のパーソナリティだった方は、東京でもそれなりに知名度があり、もちろん話力もあった。だから激戦区でもなんとか生き残ってこられたのだが、私のような半分素人みたいな人間ではいかんせん荷が重い。アシスタント時代は素直で天然気味だというキャラクターが受けていた私だが、それはあの方がいじり回してくれていたおかげなのである。


 番組開始当初はそのことに、私どころか野波さんたちスタッフ、更には上層部の方も気づけなかったようだ。激戦区の時間帯に素人同然の私が一時間も生放送をするというのがどれほどの暴挙か、わずかばかりの分析で簡単に導きだせるだろうに。


 そんなわけで〈ホッとスイーとタイム〉が窮地に立たされているということを、今ではみんなが理解している。


 ローカルラジオというものにはそれなりの需要があって、〈ホッとスイーとタイム〉にも多くのコアなファンがついてくれている。彼らの励ましのおかげで私やスタッフもくじけずに頑張ってこられたのだが、スポンサーさまはやはり黙っていてはくれないのだ。


 ああ、頭が痛い。これは比喩表現などではなく、実際の生理現象である。私は悩みに胸をしめつけられると、頭痛をもよおしてしまう体質なのだ。それなのに悩みやすい性格でもあるとは、なんて不公平な世の中だ。


「打ち合わせのときにも話すつもりだったんだけどねえ。番組にちょっとしたテコを入れるのを、先方は望んでるみたいなんだあ」

「テコ入れですか」


「そう」神妙な顔つきで頷く野波さん。一分前まで下ネタを炸裂させていた男だ。

「要はあれだねえ。もちろん、純心ピュアガールなあきちゃんも魅力っちゃあ魅力なんだが、深夜番組にしてはお色気が足りなさ過ぎると、そう思わないかい」


「お色気……?」

 ビキニを着てマイクに向かう自分を想像する。いや、それじゃあ解決になっていないような。


「なあ、あきちゃん」とそこでグラスに一度口をつけ、間を置いてから野波さんは続けた。

「恋多き女ってのは、魅力的だと思わない?」


「恋多き女ですか……」私は野波さんの言わんとすることを想像しながら、ちくわにかぶりついた。

「はむはむ。まあ、魅力的ですよねー。毎年のようにワイドショーを賑わわせている芸能人とかって、だらしないけど、ちょっとかっこいいです」


「なるほど! それ、ええかもしれませんね!」どうやら、真鍋さんは悟ってしまったらしい。

「あきちゃんってめっちゃ可愛いし、男にもけっこうもてるやん? その証拠に、うち、あきちゃんと知り合ってから彼氏がおらへんの見たことないもん」


「は、はむはむ!?」

 私は驚いて真鍋さんに顔を向けた。だが、話の途中でつい丸ごと口に入れてしまった卵がなかなか飲み込めず、反論ができない。


「そうそう!」野波さんも同調する。

「さっすが、イツミちゃあん。まさにビンゴよお。今まではピュアなあきちゃんの魅力を最大限に生かすために、基本的に恋愛の話はなしにしてきたけど、これからはもっと赤裸々に恋の体験を語ってもらおうかってねえ。リスナーは中高生が多いから、そのほうがきっと受けるはずさ」


「あきちゃんが選ぶ、私の熱い夜ベスト5とか?」

「おお! その企画いいねえ! さっそく、いただいとこう」

「はむはむー!」


 先ほどまで、あれだけいがみ合っていた二人が、息ぴったりに私を攻め立てる。


「そういえば野波さん。あきちゃん本人に聞いた話ですけど、高校んときつき合っていた彼氏に自分から裸になって求めたことがあるらしいですよ」

「いいねえ、いいねえ!」


「は、はむ……ぐほ!」

 私はげほげほと咳き込んだ。さっと真鍋さんに差しだされた水を一気飲みして、なんとか持ちこたえる。目に溜まった涙を拭きとると、期待に瞳を輝かせた二人の顔が左右にあった。


「どう? いいと思わない?」


 野波さんを見やる。


「うちも、あきちゃんの恋愛体験聞きたいなー」


 それから、真鍋さんも。


 そんな二人の表情を見ていると、反論しようにもしにくくなってしまった。私はうーんと胸のうちで唸り声を上げた。


 まあスポンサーさまのお怒りを静めるためならば、恋愛体験を赤裸々に語るのも別段問題はないだろうと思う。ただし、そういえば言ってなかったっけか。私の恋愛体験というものは、拓人たくととの盛り上がりに欠ける十一年に終始するということを。


 なかなか言いだせずに目をうろうろと動かす私を、二人は不思議そうに見つめていた。やがて、どちらからともなく首を傾げ合う。

 

 むむ、なかなか上手ではないか。


 私には幼い頃、この首を傾げるという動作に憧れ、今か今かと繰りだす瞬間を見計らっていた時期があった。それをふと思いださせられてしまった。


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