第五章 最終回 (3)
【アッキーの恋の軌跡】
拓人と別れてしまいそうだという話を、いよいよ野波さんたちスタッフに打ち明けてみた。みんなうろたえていたが、それでもリスナーには内緒にしておこうと口々に言った。
投げやり過ぎると思う。〈ホッとスイーとタイム〉が終わっても、私には春からの新レギュラー番組がある。さすがにそのときには明かさねばならないだろうに。
それでも、私は了承した。ことを荒げて、スポンサーさまの怒りを買うわけにもいかない。
三月に突入し、放送も残り二回となった。今夜もまるで現実逃避するかのように、ラブラブだった頃の、拓人とのプラトニックエピソードを語るぞー! おー!
今回のテーマはプレゼントである。
うん。恋人関係の潤滑には、やはりプレゼントがつき物だ。私たちも高校卒業以来、誕生日プレゼントのみは毎年交換している。お互い財政難なので、一万円以内を相場にしようととり決めているが、拓人は守ったためしがない。
なんてたちの悪さだ。拓人が守らないなら、こっちまで守っちゃいけなくなるじゃないか! よって、結局二人とも、一万円以上の品を贈っている。
拓人のプレゼントは、実用的なものばかりである。自転車とか、財布とか、食べものとか。たまには、お洒落なガラス細工でももらってみたい。それをドラマの主人公みたいにうっとりと眺めて、「拓人……」と名を呟くのだ。
昨年は、私が数年前から欲しがっていたニンテンドーDSをもらった。つまようじみたいな棒で画面をつんつんしながら、「拓人……」と呟いたりはしない。まあ、楽しいからよいのだが。
私のほうは、主に衣服をあげている。拓人の誕生日は十一月なので、どうしても冬ものばかりとなってしまうのが気に入らぬも、彼は毎年私の贈った服を律儀に着てくれるため、贈り甲斐はある。
そんな誕生日プレゼントにまつわるエピソードを一つ――。
当時私は大学生で、ADのバイトを始めて間もない頃だった。一方の拓人は、高卒で今の会社に就職したため、私からするとちょっとした金持ちだった。
九月の、私の誕生日の日。その日は二人とも予定を空けており、拓人は朝から私のマンションに押しかけてきた。
「ハッピーバースデイ」
「ありがと」
ぽっと頬を赤らめそう答えながら、私はおや? と首を傾げた。拓人がまったくの手ぶらだったからだ。
しかし、「プレゼントはどうしたの?」などと訊けるはずもなく、とりあえずは言及せずに拓人を部屋へ通した。
「一人暮らしっていいなー。俺もやってみたいなー」
「拓人もやればいいじゃん」
「職場が近過ぎるからなー。実家暮らしは楽だからなー」
「じゃあ、やらなきゃいいじゃん」
ソファに座って内容のない会話をしながら、私は考えていた。
なぜ手ぶらなのだろう。プレゼントを忘れていたのだろうか。それとも今年はプレゼントを買うお金がなく、その旨を私に伝えかねているのだろうか。どちらにしても気になるので、さっさと真相を語ってほしい。
は、まさか!
麗しき光り物の類ではなかろうか。それならポケットにでも忍ばせておける。
私は自分の指先を見つめた。二千円で購入したファッションリングが鈍く光り輝いている。
どきどきと胸を高鳴らせる。九月の誕生石はサファイアである。そんなもの、見たことも触ったこともないぞ。
だが、サファイアに対する期待は、それを軽く凌駕する恐怖にかき消されてしまう。
サファイアとはいったい、いくらぐらいするのだろう。そんなものをもらって、本当に大丈夫なのだろうか。
「ん? どうしたの? 顔色が悪いよ、秋実」
「え?」私ははっと我に帰った。それから、ぶるぶるとかぶりを振る。
「な、なんでもない。ちょっと昨日の心霊番組を思いだしちゃって」
「なんで今、そんなの思いだすの?」
拓人は無邪気に笑った。そんな彼に、私は怪訝なまなざしをぶつけた。
うーむ。なんだというのだ。見たところ、お金がなくてプレゼントを買えなかったという線は薄そうである。表情に陰りがなさ過ぎる。やはりプレゼントはサファイアで、それをだし惜しみしているのか。
テレビをつけ、私たちは偶然やっていたドラマの再放送に見入っていた。
誕生日だからといって、特別な話題があるわけでもない。実は二日前にデートしたばかりでもあるのだ。思えば、そのときもプレゼントの話題をだしてこなかったので、おかしいなとは感じていた。
「拓人……」
私は身体をすり寄せて、拓人に甘えてみた。ひょっとしたら、私が催促するのを待っているのかもしれないと思ったからだ。プレゼントを催促しているというよりは、早く真実を突きとめてすっきりしたかった。
「どうしたの?」
「ん? 別に……」
そう答えながらも、上目づかいで拓人を見つめてみる。くーんくーんと物欲しげな鳴き声まで発していたかもしれない。
「秋実ってば、仕方ないなー」
拓人は私の目尻にキスをした。
いやん……いやいやいや! そうじゃなくて!
これ以上の催促は私の美学に反するため、あきらめてテレビに目を向けた。
私が小学生の頃にやっていた例愛もののドラマだ。トレンディドラマって奴か。今も活躍している俳優の若い頃の姿にあれこれといちゃもんをつけているうちに、プレゼントのことも忘れてしまった。
十時を回った頃から、拓人がちらちらと時計を気にするようになった。どうしたのだろうとそちらに気をとられ始めた矢先、玄関のチャイムが鳴った。
「はーい」
拓人に断りを入れて、来客を出迎えにいった。そして玄関のドアを開けた瞬間、私は予想外な光景に目を丸くした。
玄関先には作業着らしき服を着た男性が三人おり、彼らは大きなダンボールの箱を囲んでいた。
「どうもー、山上急便でーす。本山秋実さまでしょうか」
「は、はい……」
「ビックリ電気さまより、お届けものでーす。受領印をいただいてもよろしいでしょうか」
私はようやく、この事態の意味に気がついた。同時に後ろを振り向いてみる。
そこに、得意気な顔をした拓人が立っていた。
「な、なんなの? これ」
「プレゼントだよ」拓人は言った。
「前に秋実、言ってたじゃん。ずっと使ってたラジカセが壊れたって」
「ラジカセ……」
私はダンボール箱をまじまじと眺めてみた。それは大型のブラウン管テレビでも入っていそうな大きさであった。
「せっかくだから、コンポにしたんだよ」
拓人のその言葉に、私は改めて彼とダンボール箱とを見比べるのであった。
リビングにコンポを運び入れてから、宅配業者の方々は引き払っていった。ダンボールを開ける気にもなれず、私はその前にじっと立ち尽くしていた。
コンポはかなり高性能なもので、ラジオも聞ければ、CD、カセット、MD、おまけにレコードまで再生可能であり、おまけに音質も素晴らしいのだという。
「これ、いくらぐらいしたの?」
私はつい気になっていたことを訊ねてしまった。これが拓人のプレゼントだと直感したときから、実はそのことばかり考えている。
「ちょっとばかし、奮発したよ。んーとね……八万ぐらい」
「八万!?」私は両手で頭を抱えんばかりの衝撃を受けた。
「い、いらないよ! 絶対にもらえない! 八万なんて私、そんなお金持ってないもん!」
「いや、別に俺の誕生日に返してくれって言っているわけじゃないし……」
「無理! 絶対無理!」
ここは素直に受けとっておくべきなのは分かっている。実際、コンポをもらえるのはすごく嬉しい。だが、私はどうしても譲れなかった。もしかしたら、少しだけサファイアへの未練があったのかもしれない。こんなもの買うお金があるのなら、サファイアをくれよと。
あまりに私が拒絶するので、いつしか拓人も機嫌が悪くなり、最終的には彼がコンポを引きとると言いだした。
拓人の会社のトラックがあったので運ぶのは楽だったし、数日後には、あまりに気に入ったのか彼の機嫌も直ったので、一応はことなきをえた。
ただ、私はけっこう長いあいだ塞ぎ込んでしまった。毎日のように、例の頭痛に襲われていた。そうならないためには、やっぱりあのとき受けとっておかなくてはならなかったのである。そして必死に貯金して、相応のものを拓人の誕生日に返す他なかったのだ。
男女関係とは、なんて不条理なのだろう。他の恋人たちはどうやって乗りきっているのか。
今ではそのときのことを思いだしても、あまり胸が痛まなくなった。なぜなら、拓人はあのコンポでこの番組を聞いているそうだからだ。
拓人が私にプレゼントしようとしてくれたコンポから、私の生の声をプレゼント。うーん、こじつけ臭いが素敵な話じゃないか。
ただし、今夜も拓人があのコンポでこの番組を聞いてくれているのかどうかは、定かでないが。