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第五章 最終回 (2)

【OFF】


 二月も下旬となった。その日は、四日ぶりのカラオケボックスのバイトだった。


 金曜日だったので、少々憂鬱である。土曜と並んで最も忙しい曜日なのだ。


「あれ?」

 開店前に出勤してきたとき、店長の直くんが不在だったので、私ははてと首を傾げた。


 直くんは、基本的に毎週月曜日に休みをとっている。少なくとも金、土に休んだことは、今までに一度もなかった。


「直くん、休み?」


「伯父さんの通夜だそうです」のんちゃんが答えた。

「もうちょっと日を選んでくれないかなー。ただでなくとも人手が足りないのに」


「まあ、そりゃ、仕方ないね。暇な日に亡くなってくださいとは言えないし」

「うー」


 のんちゃんはバックルームのパソコンを操作していた。肩口から覗き込むと、モニターにはアルバイトのシフト表が表示してあった。


「のんちゃん、パスワード教えてもらったの?」


 パソコンを扱えるのは、直くんと私だけだった。それは〈パスワードを知っているのは〉とほぼ同義である。直くんが休みの日は、私が代わりに店長業務を行うわけだ。


「パスワードだけじゃありませんよ」のんちゃんはぶすっとふて腐れた表情を浮かべる。

「金庫の暗証番号も教えてもらいました。これ、見てください」


 彼女がかかげて見せたのは、直くんがいつも首からさげている鍵束だった。これまた、直くんがいないときは私がさげている。


「あ、あはは」私は苦笑した。

「なんかごめんね。私がいなくなるばかりに」


「いや、アッキーさんを恨んでいるわけではなくて、なんで私なのかなと。他にもしっかりしてそうな子はたくさんいるのに」


 私が三月いっぱいで退職するという話は、すでに通知済みだった。今までは私が担っていた直くん不在時の管理業務を、これからはのんちゃんが引き継ぐこととなったらしい。たくさんいるアルバイトの中からなぜ自分が選ばれたのか、というのんちゃんの疑問の答えについては、説明するに及ばないだろう。


「ありゃー。のんちゃんってば、テンチョーでも目指してんの?」

 茶化すように言ったのは、みっちゃんだ。相変わらず化粧がきつい。


「やだよ」のんちゃんは吐き捨てた。

「雇われ店長になるなんて、人生捨てたようなもんじゃん。店長の給料知ってる? あんなに働いてるのに、手どり二十万ももらえないんだって」


「のんちゃん、怒ってるー」みっちゃんはコンパクトを開きながら、無邪気に笑った。

「冗談に決まってんじゃん! テンチョーみたいになるぐらいなら、どっかで野垂れ死んだほうがマシじゃない?」


 うら若き少女たちの会話を、私はぼうっと立ち尽くして聞いていた。


 直くん、尊敬されていないなー。のんちゃんの言葉聞かせたら、ショックで寝込んじゃうだろうなー。


 そんな私はというと、直くんの働きぶりにいつも感服している。一日十時間以上、週六日も働けなど言われても、私には到底無理であろう。おまけに、雇われ店長なだけに上からも下からも圧力をかけられるので、心労も計り知れないものがあるはずだ。


 直くんを尊敬の対象として見られる私と、そうでないのんちゃんたちとの違いはなんなのか。


 のんちゃんたちの言い分も、分からないではない。むしろ、のんちゃんたちのほうが大人のような気がする。うーん、なぜ? 私のほうが五つも年上なのに。


 まさか、恋愛経験の差? 


 だとすると、恋愛というものも、あまりよいものじゃないのかもしれない。


 開店から一時間ほどが経過し、すでに部屋が埋まってしまった。夕食どきなので、料理の注文も多い。私たちは冷凍食品をレンジでチンしては、部屋へ運び入れる作業に追われた。バイト全員、フル稼働である。同時に四部屋から注文があったときは、もう駄目だと本気でくじけかけたが、それでもなんとかなってしまうのが人間の神秘だ。


 午後九時を超える頃には、一旦ピークが過ぎる。部屋は今までどおり満席だが、注文がぐっと少なくなるので助かる。私はのんちゃんと二人で三十分の休憩をもらった。


「ねえ、暑くない? 冷房つけようかな」

「アッキーさん、すごく動いてましたもんね」

「ブラジャー外しちゃおうかな」 

「あはは……」


 私は団扇で顔を扇ぎ続けていた。冬だというのに汗だくだ。


「はあ……」のんちゃんがパソコンのマウスを操り、モニターのスクリーンセーバーを解除した。

「今のうちに、続きやっとこう」


 さっきはああ言っていたものの、のんちゃんがパソコンを操る姿はさまになっている。というより、休憩中に管理業務を行うとは感心である。むむ、やっぱり大人だ。


「のんちゃん、のんちゃん」

 私はのんちゃんの横顔に話しかけた。


「はい?」


 直くんへの苛立ちが再燃したか、のんちゃんは不機嫌そうな反応を見せる。先輩に対してその態度はなんだー! とモンゴリアンチョップを繰りだそうとした矢先、のんちゃんは「あわわ」と首を横に振った。


「し、失礼しました。どうしたんですか? アッキーさん」


「んーとねー」私は意味もなく眼鏡のブリッジを人差し指でつついた。

「のんちゃん、たまには〈ホッとスイーとタイム〉聞いてくれてる?」


「ああ」のんちゃんはにんまりと笑った。

「もちろんです。毎週楽しみに聞いていますよ。終わっちゃうの、残念ですよねー」


「あ、ありがとう」彼女を抱きしめたいという衝動を抑えつつ、私は続けた。

「でさ。ラジオでいつも話してる私の彼氏についてなんだけどね」


「はいはい」

 のんちゃんは目を輝かせているようだ。他人の恋愛沙汰に興味を覚えるのは、みな同じである。


「もしかすると、その彼氏と別れるかもしれないんだよね」



「え?」のんちゃんはぎょっと目を見開いた。

「マ、マジですか。あんなに仲よさそうなのに……原因はなんなのでしょう」


「結婚について……」


 のんちゃんの顔つきが、より一層生き生きとするのだった。




 拓人と連絡をとり合わなくなって、二週間以上が経過している。もう私はほとんど破局したものだとして受けとめてしまっている。


 もちろん、今でも拓人のことが好きだ。だけど、彼が連絡を寄越してこないのは、彼のほうは私に愛想を尽かしているからだと考えて間違いないだろう。それならば、私は彼に何も言えない。何も与えられないのだ。


 今になって疑問に思うが、拓人はなぜ私のことが好きなのだろうか。その理由については、今まで一度も聞かされていないような気がする。私と十一年間もつき合い続けることに、なんのメリットがあった? 私がたいした奴じゃないというのは、私が一番よく分かっている。


 …………


 また悩める材料を増やしてしまった。ああ、頭が痛い。




「うーん」話を聞き終えたのんちゃんは、悩ましげに眉間のあたりを指で押さえ、唸った。

「ラジオが原因なのでしょうか」


「それもあるかも……」

 そう答えつつも、それだけじゃないだろうという見解であった。


「どっちにしてもひどいですよ」のんちゃんは口を尖らせた。

「別れたいなら別れたいって、直接アッキーさんに言わなきゃ。逃げ回って自然消滅を狙うなんて、男として最低です」


「でも、私も連絡をとろうとはしてないから」


「それは当然です!」のんちゃんは飲みかけのオレンジジュースを、ぐびっと仰いだ。

「女の子にそんなことができるわけないじゃないですか! もう、信じられません! アッキーさん、その人とはもう、こっちから別れてやるべきですよ!」


 拓人を悪く言われるのは正直気持ちのよいものではないが、相談に乗ってもらっている手前、文句は言えない。


「そ、そうだよね」

「さあ、今ここでメールしてやりましょう!」


「え!?」

 私は目を見開いてのんちゃんを見た。彼女の表情は真剣そのものだ。


「メールって……もう別れようって?」


「はい!」

 のんちゃんは大きく頷いた。


「…………」


 どうしよう。まさかそんな展開になるとは。 


「さあ、早く清算して新しい恋に向けて走りだしましょうよ」


 新しい恋――。


 素敵な響きだ。普通の女の子だったら誰でも、新しい恋に向けて走りだしたことがあるのだろうな。

この一瞬だけ、恐怖とか悲哀よりも、新しい恋への憧れのほうが先行してしまった。


 そして、私はケータイを手にとった。


〈このままじゃ、お互い前に進めないから、別れるならちゃんと別れよう〉


 文字を打ち込み終え、あとは送信するだけとなった。隣では、のんちゃんが私の一挙手一投足を、固唾を呑んで見守っていた。


 新しい恋……さあ! 新しい恋に走りだすんだ!


「…………」


「あの……」のんちゃんは心配そうに眉を寄せ、私の顔を覗き込んだ。

「大丈夫ですか。アッキーさん?」


「う、うん」

 えぐえぐと嗚咽を漏らしながら、私はなんとか頷いた。


 ああ、可愛い後輩の前で、また泣いてしまった。指が震えて、どうしても送信ボタンを押すことができないのだ。


 逃げ回っているのは、私なのだろうか。



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